目次
日本の読者へのメッセージ
謝辞
著者の言葉
序
人種と人種論議――基本定義
啓蒙時代以前の人種――論議とその要素そして展開
ステージⅠ――最初の出会い
ステージⅡ――地域の情報
ステージⅢ――長期の出会いと地域情報の拡大
ステージⅣ――グローバルな情報と集大成
集団の地位に関する近世の決定要素
本書の目標
第一局面 推測段階――出会い以前の日本に関する知識(一三〇〇年-一五四三年)
第一章 ジパングの浮上とその先駆的民族誌
肌の色の中世的意義とポーロの見解
第二章 大航海時代の幕開けと“ジパング”
カリブ海のジパング――コロンブスの妄想
マラッカに来る謎のゴーレス
総括――推測段階における“人種”
第二局面 観察――初期の出会いと論議の始まり(一五四三年-一六四〇年)
第三章 日本人に関する初期の観察
動き始めた論議――近世初期日本に関する人種知識の生産者たち
日本人とは何者か――初期の特徴描写
日本人の身体検査とその全体像
日本人の起源と民族的類縁性――予備的推論
第四章 当代のヒエラルキーにおける日本人の位置
尺度としての力
測定基準としての技術及び文化の達成度
包括的民族階層化の登場
アコスタの階層論
ヴァリニャーノの階層論
リンスホーテンの階層論
集団の属性論
第五章 新人類秩序の鏡像
政治的軍事的ヒエラルキー――奴隷と傭兵
社会的文化的ヒエラルキー――先住民との性交渉と結婚
精神の階層――イエズス会の会士資格
力とヒエラルキー――日本人対中国人
第六章 観察局面期の“人種”とその認識上の限界
近世の観察者に見る認識上の限界
可視域を無視し不可視域を見る
総括――観察段階の“人種”
第三局面 再検討――議論の到達点(一六四〇年-一七三五年)
第七章 日本人の体型と起源に関するオランダの再評価
身体への転換――初期の徴候
日本人の起源に関する再検討
第八章 力、地位そして世界秩序における日本人の位置
オランダの力とアジアにおけるその限界
日本人の力とオランダに対するその影響
世界及びアジアのヒエラルキーと日本の位置
第九章 新しい分類学を求めて――植物、医術そして日本人
植物学、医学そして科学的思考の高まり
包括的人間分類法の誕生と日本人
人種マーカーとしての黄色い肌の登場
第一〇章 “人種”と「再検討段階」における認識上の限界
視覚的想像の限界
当代ペテン師の教訓
要約――「再検討段階」における“人種”
むすび――近世ヨーロッパにおける人種論議と日本人のケース
近世人種論議のメカニズム
近世ヨーロッパにおける人種の本質
ローカルからグローバルへ――近世人種論議に対する日本の寄与
“ヨーロッパ”の概念形成と人種に対するそのインパクト
人種とヨーロッパ例外主義の問題
まとめそしてプロローグ
訳者あとがき
図の掲載書名と出典
注
参考文献
索引
前書きなど
日本の読者へのメッセージ
(…前略…)
近代の日本人が、自分たちの肌を黄色と考え始めたのは、どのような経緯からであろうか。その日本人のなかには、ヨーロッパ人のような“白い”肌になりたいと思い、金髪にあこがれ、ヨーロッパ人のように肉食にしようとまで考えるようになった者がいたのは、どうしてであろうか。それはともかく、少なくとも重要な問題がある。つまり、いかにしてヨーロッパ人は日本人を、モンゴル人種の黄色構成員とみなすようになったのかである。この一連の疑問については、近代の人種概念と、明治日本でのその概念の受け入れ方のなかに、たくさんの手掛かりが見つけられる。それにしても、明治時代が、日本人種という思考の始まりだったのであろうか。そしてそれは、ヨーロッパ人それとも日本人の着想であったのだろうか。本書は、まさにこの疑問を対象として考察し、答を模索する。本書は、日本人対象の人種問題を課題とする、大きい研究プロジェクトの第一部に当たる。つまりその初巻は、西欧における日本人観のよってきたるところ、即ちその思考の起源を検討し、更に、日本との出会いから二世紀経過するなかで、その思考が“白色”人種から“黄色”人種に変化した経緯を追求する。
人種は重大な問題である。過去三世紀前後の間に、この概念は劇的な変貌をとげた。それは、極少数のヨーロッパ人博物学者がもてあそんだ趣味の域から、人間そのものに対する意識とその社会生活を変える、世に遍く知られる概念になってしまったのである。人種は不可避的に人種主義と結びつく。そのためそれは強いネガティブな効果を及ぼす。それは、我々人間の集団上、個人上のアイデンティティに関わる。同様に、それは集団のイメージの故に個々人に対する差別と偏見をもたらし、戦争を引き起こす公算を強めることすらある。それ故に、人種と人種主義が微妙かつ厄介な課題であるのは、不思議ではない。この微妙な側面があるとはいえ、私は本書の日本語訳が実現したことを喜んでいる。実際のところ本書は、誰にもましてまず日本人読者のために、書かれたものである。人種概念の犠牲者であるだけでなく、進んでそれを適用した者として日本人はほかの誰よりも、本書に意義を認めるであろう。
(…後略…)