目次
第14章 「消耗病」――ロマン主義時代の結核
病因
症状と段階
消耗病についての医学理論
消耗病と階級とジェンダー
消耗病と人種
ロマン主義
消耗病による社会への影響
長患い
第15章 「伝染病」――非ロマン主義の時代の結核
接触伝染説
結核との闘い
療養所(サナトリウム)
診療所(ディスペンサリー)
予防所(プリベントリウム)
健康教育――衛生意識
「闘い」の評価
戦後の時代と抗生物質
結核の新たな緊急事態
第16章 ペスト第三のパンデミック――香港とボンベイ
細菌説と瘴気(ミアズマ)とペスト
ボンベイの壊滅
イギリスの植民地ペスト対策
市民の抵抗と暴動
ペスト対策の方向転換
世界が学んだこと
第17章 マラリアとサルデーニャ――歴史の利用と誤用
マラリア原虫と、その生活環
症状
伝播
サルデーニャ島の世界的な重要性
マラリアと、その同義語とされたサルデーニャ
最初のマラリア撲滅運動――DDT以前
第二次世界大戦後の危機
第二次マラリア撲滅運動――ERLAASとDDT
その他の根絶要因
まとめ
第18章 ポリオと根絶問題
ポリオという病気
現代ポリオ
新たな科学的理解――希望から失望へ
カッター事件
世界的な根絶に向けての取り組み
二〇〇三年から二〇〇九年までの挫折
第19章 HIV/エイズ――序論と南アフリカの事例
エイズの起源
HIVと人体
感染経路
治療と予防
南アフリカでのパンデミック
第20章 HIV/エイズ――アメリカの経験
アメリカでの起源
最初に認められた症例
生物医学技術
初期の検査と命名
スティグマ
伝播
「怒れる神の復讐」とエイズ教育
複合流行
まとめ
第21章 新興感染症と再興感染症
不遜の時代
警鐘
もっと危険な時代
デング熱とコレラの教訓
院内感染と薬剤耐性
第22章 二一世紀のためのリハーサル――SARSとエボラ
再武装
重症急性呼吸器症候群――SARS
エボラとの闘い
まとめ
終章 COVID-19の震源地――ロンバルディアの二〇二〇年一月から五月まで
グローバリゼーション
人口統計
大気汚染
パンデミックのはじまり
初期の公衆衛生対策
危機
全国的なロックダウン
訳者あとがき
註
参考文献
事項索引
人名索引
前書きなど
まえがき
この本は、イェール大学の学部課程の講座から発展したものである。もともとその講座の目的は、ちょうどそのころ話題になっていた、SARS(重症急性呼吸器症候群)、鳥インフルエンザ、エボラウイルス病といった新興感染症への関心に応えることだった。イェール大学の学部生に提供されていた既存の講座では、そうした新興疾患について学べる機会はなかったのである。もちろん、大学院に在籍する科学者や、医科大学院の医学生向けの専門講義では、これらの疾患を科学的な観点や公衆衛生の観点から扱っていた。だが、それらの講義にしても、疫病を社会的な背景や、政治や芸術や歴史との関係に絡めて考察することを目的としていたわけではない。さらに周囲を見渡せば、疫病の歴史とその影響についての研究は、アメリカの大学の学部カリキュラム全般において、まったく発展途上のテーマであることも明らかになった。しかし私からすると、感染症がいかに人間社会の形成に少なからぬ役割を果たしてきたか、そして昔もいまも、感染症がいかに人間社会の存続を脅かしているかについて、学際的な観点から議論することには重要なニーズがあると思われるのだ。そこで、そのニーズに私なりに応えようとしたのが、この講座だった。
その講座を書籍化するにあたり、講義の基盤になっていた当初の意図をなるべくそのまま残すのは当然として、学生にかぎらずもっと幅広い、しかし同じような関心をもった読者層に届けられるようにしたいとも考えた。言い換えれば、本書の目標は関連分野の専門家に届くことでなく、疫病の歴史に興味をもち、微生物からの新たな挑戦に人間社会がどれだけ備えられているかを心配する一般読者や学生に、議論をしてもらえるようにすることなのだ。
したがって本書の構成と内容も、その目的にかなうことを第一としている。もともとの講義と同様に、ここでも歴史や疫学についての予備知識を前提とせず、読者ができるだけ題材にとっつきやすいようにと工夫した。本書で取り上げる問題に関心のある人なら誰でもついてこられるように、これを読んだだけで一通りそのテーマについて多面的な理解ができるように論を進めたつもりだ。大学課程でも、人文学と科学の交差に興味のある学生向けの課程なら、本書を副読本のようなものとして使えるだろう。そのために、関連する科学用語には説明を加えてあるし、もっと詳しく知りたい人や、本文に出てくる意見の出典を調べたい人のためには参考資料の書誌情報も載せてある。また、巻末の注で出典を示すのは、本文中の直接引用だけに限定した。本書が何より目ざしているのは、このテーマに独自の貢献をすることではなく、既存の知識を広範な解釈に照らして考えてみることである。
ただし、本書は教科書ではない。私はこの分野の題材を包括的にまとめようとしているのではない。むしろ、あえて主要な争点と、社会に最も深い、最も永続的な影響をあたえてきた疫病だけに焦点を絞っている。そしてもう一つ教科書と違う点は、本書のいくつかの章が、おもに一次資料にもとづいて書かれていることだ。そうした部分では、これまでの常識とは異なる見解を述べることにもなるが、それが既存の文献の隙間を埋めるのに役立つこともあろうかと考えた。いずれにしても、私は一人の学者として、この分野の研究を行いながら、イェール大学の学部生という知識欲のある思慮深い一般読者の意見や質問から、多くを学ぶ機会に恵まれてきた。本書のさまざまな章から伝わる内容が、その一学者の得た確かな情報にもとづく見解になっていることを願うばかりだ。
(…後略…)
(『疫病の世界史(上)より』)