目次
はじめに
Ⅰ 歴史
第1章 「始まり」のタガウン――建国神話と精霊伝説
第2章 ピューとビルマの「始まり」――母語で語られた記録
第3章 パガン――大いなる歴史と遺産
第4章 モンやシャンの人たちとビルマの王による「統一」――王国の時代の歴史をどう考えるか
第5章 バインナウン王とアラウンパヤー王――「英雄」たちの軌跡
第6章 ヨーダヤーとタイ――歴史と現在
第7章 ラカインの人たち――土地と歴史
第8章 植民地支配と分割統治――「民族」をめぐって
第9章 「カラー」とバマー――忘れられた南アジア系ディアスポラ
第10章 ムスリムとミャンマーの関係――宗教を越えたつながりを模索して
【コラム1】日本の仏教とビルマの仏教
【コラム2】ビルマ文字
Ⅱ 自然
第11章 上ビルマと下ビルマ――風土・歴史・文化のちがい
第12章 水は天地を駆け巡る――雨季と乾季
第13章 シャクナゲとラン――植生と植物相
第14章 ゾウと水牛――人とかかわる動物たち
第15章 チークとウルシ――森林資源の利用
第16章 焼畑と「タウンヤ造林」――森林と農地の循環的利用
第17章 エーヤーワディー河とインレー湖――地形・水文・変化
第18章 イネとマメ――人と自然が織りなす多彩な農業
第19章 ダム・水・電気――国土開発と自然環境
第20章 ナルギスが奪ったもの、連れてきたもの――史上最悪の災害
【コラム3】煙草――セーボレイとシーガレッ
【コラム4】医者と薬屋
Ⅲ 社会
第21章 二つのネーピードー――「王の都」をつくる
第22章 最大の都市ヤンゴン――その今、昔
第23章 農村と都市、そして国外と――ヒトの移動
第24章 農村の変化――貧困問題の現状と解決の試み
第25章 家族・親族と子育て――補完的役割としての僧院
第26章 自由な女性と不自由な女性――ジェンダー
第27章 「人」と「人」とを結ぶ――「個」のつながり
第28章 教育――公立学校における就学とその後
第29章 「寺子屋」と「塾」――公立学校を補う場
第30章 出版事情――検閲全廃とジャーネー
【コラム5】飲酒と賭博
【コラム6】隠れた映画天国
Ⅳ 文化
第31章 ビルマ語と少数民族語――言語の世界
第32章 ビルマ文学の700年――作家たちは書き続ける
第33章 僧伽と僧院――在家と密接にかかわる「出家」
第34章 人々にとっての仏教――新しいインターフェイスの展開
第35章 精霊信仰と仏教の儀礼――村落における諸相
第36章 生活の中の音楽芸能――演奏と伝承の場
第37章 笑いとペーソス――大衆文化の主役・ルーシュインドー
第38章 民族衣装――ロンヂーとエンヂー
第39章 家庭料理と外食――都市に見る多様な食文化
第40章 フットボールとチンロン――スポーツ
【コラム7】「蝙蝠の翼」と尖塔屋根の木彫――パゴダと伝統工芸
【コラム8】「男と女」――いろいろな恋愛
Ⅴ 政治
第41章 アウンサンと「国づくり」――封印された独立ビルマの夢
第42章 二つの「社会主義」――ウー・ヌとネーウィン
第43章 民主化運動とアウンサンスーチー――信念と妥協の間で
第44章 国軍と軍事政権――戦士と政治家、ニ足のわらじ
第45章 国家と民族――多民族国家の構図と行方
第46章 公務員という生き方――気高き「庶民たち」の日常
第47章 現行法下の慣習法――その理念と役割
第48章 日本の対ミャンマー外交――改革への支援
第49章 移民と難民――越境者が映す国のかたち
第50章 麻薬問題とその統制――中国国境地域のケシ栽培
【コラム9】土曜日と木曜日はヘビとネズミ――占い
【コラム10】情報化――都市と農村
Ⅵ 経済
第51章 王国から植民地へ――ミクロの視点から見る経済システム転換
第52章 植民地経済と現代経済――過去からの脱却はなるか
第53章 「鎖国」と経済制裁――周回遅れの開発主義
第54章 お金と金融――通貨チャットにまつわる災い
第55章 ミャンマーと中国――「胞波」関係の変容
第56章 豊かな資源――宝石の「咲く」がごとく
第57章 貿易と商習慣――ミャンマー・ビジネスを理解するために
第58章 物価の現実と所得水準――見えない消費力の源、出稼ぎ労働
第59章 シャン州の村人と共に――あるNGOの活動
第60章 日本で学ぶこと・日本で働くこと――「国づくり」としての人材育成
【コラム11】ミャンマーと韓流
【コラム12】市場とショッピングセンター
ミャンマーを知るためのブックガイド
ミャンマー(ビルマ)を知るための年表
前書きなど
はじめに
ミャンマーは、2011年3月に新しい政権になるとともに、前年の総選挙にもとづく議会の開催、アウンサンスーチーをはじめとする「民主勢力」との対話や政治犯の釈放など、民主化を着実に進めているように見受けられます。そして、同年12月に米国のクリントン国務長官が訪問したことをきっかけに、この国を取り巻く情勢もめまぐるしく変化しています。ビジネスマンをはじめとして多くの人々がおしかけ、マスコミにこの国についての情報がふんだんに流れるようになりました。こうした激動の時期ゆえに、この国がこれからどうなっていくのかをあらためてじっくりと考える必要があると言えましょう。
この国は、よくマスコミで言われる「フロンティア」ではありません。長い歴史をもち、そのなかで豊かな文化を育み、濃密な社会生活が営まれてきました。今回起こっているような動きも決してはじめてのことではありません。もっとも近いところでは1990年代の半ばに国を外に開こうとしたことがあり、遡れば、英国からの独立の時、また19世紀の外国勢力と対峙した時があります。これらの時期は今日同様にこの国が大きな転換点を迎えていました。そして、本書でもふれられているように、こうした時にはある面で、現在に重なり、あるいはつながる課題がありました。
今ミャンマーで起こっていることを十分に理解していくためには、この国のこれまでを知り、現在とのつながりをとらえることが必要と思います。本書は、ミャンマーという国をさまざまな側面から理解することをめざしたものですが、とくに歴史的な流れのなかにとらえていこうとしています。多くの執筆者が、現在は過去からの連続と変化のなかにあることをふまえています。そして、年代をできるだけ入れて時代性を明らかにするとともに、最後に年表をつけて、各章で述べられたことを時間軸のなかに位置づけられるようにしました。
本書のもうひとつの特徴は、こうした過去の蓄積のなかにあるビルマ/ミャンマーを、身をもって経験されている人によって執筆されていることにあります。各執筆者は研究あるいはそれぞれの専門分野において、これまでミャンマーと長く付き合ってきており、ほぼ全員が長期の現地滞在を経験し、ミャンマーの人たちと深い人間的な信頼関係を築いております。彼らは今のような「開かれた」ミャンマーではなく、「閉ざされた」時代を経験しており、それだけにミャンマーを心身ともに理解していると言えるでしょう。他方で、ミャンマー人の執筆者の方々は、留学あるいは仕事で長く我が国に滞在され、それぞれにミャンマーと日本との絆をつくられてきました。こうした方々の何よりも身に付いた経験や知識、それぞれの専門性からくる視点が本書にいかされており、多くの人々に、ことにこれからこの国に向き合おうとする次の世代の人々に伝えられていくことを願っています。
また、本書のブックガイドにはできるだけ執筆者の出版物を載せており、若手研究者などについては代表的な論文を挙げて、現在の我が国におけるミャンマー(ビルマ)研究の成果が概観できるようにしています。ミャンマーをめぐる新しい展開が出てくるなかで、本書を一助として、ミャンマーについての深い認識と理解をもった方が一人でも多く生まれることを望んでおります。
(…後略…)