目次
はじめに
Ⅰ はじめに
第1章 インドネシアへ行こう──心ときめくエメラルドの島じまの連なり
第2章 インドネシアになるまで──古い国家なのではない
第3章 「多様性のなかの統一」と「想像の共同体」──「想像される」国家
【コラム1】移動と混淆──バジャウ人の世界
Ⅱ 自然
第4章 地理──島と海と火山と
第5章 湿潤熱帯のモンスーン──雨の降りかたに目を向ける
第6章 動物──進化論のもうひとつの故郷
第7章 植物の楽園──多様な熱帯林
第8章 地震・津波・火山噴火 災害大国?──和平や再婚も災害復興の大切な一歩
【コラム2】津波ニモマケズ病ニモマケズ──被災した「ハンセン病の集落」
Ⅲ 暮らし
第9章 民族と暮らし──あふれる多様性、たくさんの驚きと学び
第10章 工場労働者とモノ売り──低位中間層の仕事と暮らし
第11章 ジャワ農村で農業をして生きる──「ノミほどに小さな」農民たちの日常
第12章 漁村に暮らす──海に生きる人びとの時間と空間
第13章 ムスリムの暮らし──変わる時間の観念・衣・食
第14章 ジェンダー──世界最大のイスラーム国のジェンダー規範
第15章 健康と病気──住民参加でいのちを守る
【コラム3】地方最低賃金を実感する──予算3万ルピアのマリオボロ通り仮想観光
Ⅳ 文化・芸術
第16章 インドネシアの近代文学──人びとの祈りに寄り添って
第17章 歌で語り音でつながる──そのとき限りのアンサンブル
第18章 インドネシアの伝統染織──社会のなかの布、布がつなぐ社会
第19章 住居──地域の生態系にもとづく多様な形態
第20章 食──「インドネシア料理」と「地方の料理」
第21章 ファッション──服は人をあらわす
第22章 ポピュラー・カルチャー──クール・ジャパン、クール・インドネシア
第23章 観光──どう歩くか世界文化遺産
【コラム4】文化をめぐるマレーシアとの対立──国民国家と文化遺産
Ⅴ 教育・宗教
第24章 インドネシア語──しなやかさとユーモアがいちばんのもち味
第25章 学校教育──地域の自律性と多様性を保障する教育へ
第26章 宗教──国家と多宗教社会
第27章 イスラーム──多様な展開
第28章 ヒンドゥー教とバリ人──「文化」と「宗教」をめぐる政治
第29章 民間信仰──もうひとつの世界
【コラム5】いまどきの学校事情──国際水準学校と速習プログラム
Ⅵ 政 治
第30章 近現代史概説──「多様性のなかの統一」を目指した近代国家への道
第31章 9月30日事件とその後の虐殺──真相究明と被害者救済
第32章 スハルト体制と民主化──改革は進んだのか
第33章 国会と選挙──形式的な役割から民主政治の中心へ
第34章 国軍・警察──国防と治安のはざまで
第35章 人権──連綿とつづく「不処罰」の慣習
第36章 汚職──汚職撲滅をはばむ「司法マフィア」
第37章 外交──ASEANの盟主、復権を目指す
【コラム6】コインの裏表──インドネシアとシンガポール
Ⅶ 地域紛争とテロ
第38章 東ティモール問題──民主化に貢献した「靴のなかの小石」
第39章 アチェ──永続的な平和は実現するのか
第40章 パプア──植民地支配と東西冷戦に翻弄された先住民族
第41章 民族紛争と宗教紛争──スハルト体制末期から崩壊後にかけての紛争を中心に
第42章 イスラーム急進派の動向──引き継がれる思想、ゆるやかにつながる人・組織
【コラム7】イスラーム防衛戦線──「イスラーム服を着たチンピラ」
Ⅷ 経済
第43章 インドネシア経済史──国有化、工業化、そして新興経済大国へ
第44章 財政と金融──「重債務の国」「高金利の国」からの決別
第45章 産業構造の変化分散した成長エンジン
第46章 農業──300年におよぶ栽培強制とその終焉
第47章 貿易構造の変化──バティック服まで中国製?
第48章 労働──インフォーマル・セクター主体の性格と、暗い時代と明るい時代
第49章 海外出稼ぎ労働者の人権問題──現代の奴隷制
第50章 人口の地域的偏在と移住政策── ジャワ島と外島
【コラム8】貧困者支援──貧困者より投資家支援を優先
Ⅸ 開発
第51章 エネルギー開発──日本のエネルギー・セキュリティの陰で
第52章 鉱山開発──資源ナショナリズムの行く末
第53章 原子力発電所──「エネルギー危機」を乗り越えるための巨大なリスク
第54章 森林の開発と保全──二酸化炭素という怪物の登場
第55章 農園開発──アブラヤシ生産の現状と問題
【コラム9】サシと伝統的資源管理
Ⅹ インドネシアと日本
第56章 トコ・ジュパンとからゆきさん──日本人の南方進出
第57章 来日する移住労働者──技能研修生から看護師・介護福祉士候補まで
第58章 日本軍政──大きく攪拌されたインドネシア社会
第59章 戦争賠償──経済進出の先行投資
第60章 ODA──賠償にさかのぼる汚職の連鎖
【コラム10】何の補償も受けられなかった「ロームシャ」と「慰安婦」たち
現代インドネシアを知るためのブックガイド
前書きなど
はじめに
その昔、オーストラリアのシドニーで、インドネシアに関する数多くのドキュメンタリー映画作品を上映するフェスティバルがあった。そのなかに「モンスーン」という作品があった。英国出身のフィルム作家であるブレア兄弟がつくったスラウェシ島マカッサル(当時はウジュン・パンダン)からアラフラ海のアル諸島まで木造帆船に乗る航海記である。その作品の冒頭は、博物学者アルフレッド・R・ウォーレスの著書The Malay Archipelago(新妻昭夫訳『マレー諸島──オランウータンと極楽鳥の土地(上・下)』ちくま学芸文庫、1993年)をシンガポールの古書店でみつける場面からはじまる。ウォーレスの旅をあと追いすることをブレア兄弟は望んだのである。1988年にわたしたちも同じような旅を体験することになる。
インドネシア東部スラウェシ島からパプアまでの多島海地域を、ウォーレスの生物境界線の線引きにしたがって「ウォーレシア」と呼ぶことがある。この自然・生態系はボルネオ島(カリマンタン島)とも、ジャワ島とも、スマトラ島とも異なる。ダーウィンの進化論とほぼ同時期にウォーレスはこの地域の観察から進化論を発見している。インドネシアは国家や政治だけではないし、経済だけでは測れないし、宗教だけでも切れない。民族グループや言語も複雑に絡み合う。自然生態系からもみなければならない。
わたしの先輩の鶴見良行氏は、東南アジアをコツコツと歩きつづけた人だが、東南アジアを観るときの戒めを語っていた。
1 国家・国境線だけでみない。
2 首都だけからみない。
3 定着農耕史観にとらわれない。
南北1800キロメートル、東西5000キロメートル、海に囲まれた多島国家がインドネシアである。ともすると、わたしたちは、ジャワやジャカルタのことをインドネシアの「代表」だと思っている。政治・経済機能が集中しているのは事実だろう。人口が稠密なのもたしかだろう。だが、そこにみられる水田農業は、農業といっても、マルクやパプアのサゴヤシ栽培やイモ栽培とはおおいに異なっている。アチェや西スマトラのイスラームからすれば、スラウェシ北部のプロテスタント文化やフローレス島のカトリック文化は想像外の世界なのかもしれない。
いわゆるネーション・ステート(国民国家)である「インドネシア」が成立してから67年がたつ。どこにでも翻る国旗メラ・プティ(紅白旗)、どこでも歌われる国歌インドネシア・ラヤなどを思い浮かべると、インドネシア国家に揺らぎは感じられないかもしれない。しかし、民族や宗教、文化、そして農業など産業の形態といった多様性をみたとき、インドネシアがひとつだといいきれるのだろうか。
インドネシアという国家が万全でなく揺るぎうるものであるというのは、アチェでも、マルクでも、パプアでも感じられる。東ティモールも、1975年末にインドネシアが侵攻し、その国家に組み入れんとしたが、けっきょくは無理だった。けっして紛争を支持するような立場に立つわけではないが、インドネシア各地の紛争は多様性ゆえのダイナミズムを示しているともいえる。このダイナミズムは、むしろわたしたちが学ぶべきことかもしれない。
『現代インドネシアを知るための60章』は10部60章、そして10のコラムからなる。十分なわけではないが、インドネシアを知る、理解するうえで重要だと思われるものを掲げた。それぞれの項目、コラムに最適と考えられる専門家が執筆している。本書は辞書としても十分につかえるものである。はじめから順を追って読む読みかたもできれば、好きな箇所をまず読んでいただいてもかまわない。
編者の望みは、本書を読まれた方がインドネシアを広く知るだけでなく、インドネシアを好きになっていただくことである。そのご期待に十分こたえることができることを願って編者のことばとしたい。
2012年12月24日 編者を代表して:村井吉敬