目次
はじめに
南太平洋の地図
I 2つの南太平洋──メラネシアとポリネシア
第1章 秘境と楽園──イメージのなかの南太平洋
第2章 気候と自然──陸島、火山島、サンゴ島
第3章 身体からみた2つのネシア──人類史が育んだ多様性
第4章 言語からみた2つのネシア──マルチリンガルとモノリンガルの世界
第5章 生業と食文化──イモと豊穣の島、パンノキと飢餓の島
第6章 島における嗜み──ビンロウ噛みとカヴァ飲み
第7章 伝統的な政治的リーダー──ビッグマンと首長
II 南太平洋史
第8章 島じまの発見者――南太平洋の人びとのルーツと移住史
第9章 大航海時代と探検家たちの「発見」――マゼランからキャプテン・クックまで
第10章 新たな支配者の到来――押し寄せるキリスト教化と植民地化の波
第11章 ミニ国家の誕生――ネーション建設の苦しみ
【コラム1】 コンティキ号漂流記――ヘイエルダールと歴史への旅
【コラム2】 カーゴカルト――権利の獲得をめざして
III メラネシアの国ぐにと地域
メラネシア周辺の地図
○パプアニューギニア
第12章 南太平随一の国際都市――眠らぬポートモレスビーの鼓動
第13章 熾烈な国会議員選挙――「勝ち組」をめざして
第14章 男をつくる、女をつくる――絡みあう伝統と近代
【コラム3】 携帯電話――ビジネスマンの必須アイテム
○フィジー諸島共和国
第15章 リトル・インディアの行方――ギルミティヤからトランスナショナルなネットワークへ
第16章 サトウキビ産業盛衰史――基幹産業の過去・現在・未来
第17章 孤独な政治家の肖像――パシフィック・ウェイの提唱者ラトゥ・マラの生涯
○ソロモン諸島
第18章 消える森林――国家財政を支える森林開発
第19章 紛争解決と賠償――2つの島民間の対立から
第20章 教祖エトの新しい教会――クリスチャン・フェローシップ教会
【コラム4】 ケネディ島――ジョン・F・ケネディが泳ぎ着いた島
○ヴァヌアツ共和国
第21章 アフター・ファイヴの楽しみ――都市部におけるカヴァ・バー
第22章 豚を殺して地位を上げる――位階階梯制社会におけるリーダー
第23章 ミュージカル『南太平洋』の舞台――100万ドル岬のある町
【コラム5】 バンジージャンプの原型
【コラム6】 南太平洋の傑物――リニ兄妹
○フランス領ニューカレドニア
第24章 多民族社会の成立――フランス系白人の入植と流刑囚
第25章 食文化からみたヌメアの人びとの暮らし――多民族社会を「食べ歩く」
第26章 本当に天国にいちばん近い島?――脱植民地化闘争とカナク・アイデンティティ
【コラム7】 ニッケル鉱山と幻のゴロ鉄鉱山
IV ポリネシアの国ぐにと地域
ポリネシア周辺の地図
○トンガ王国
第27章 脈々と続く王家の血筋――親日家の王、ツポウ4世
第28章 ストライキと抗議運動――賃上げと民主化をめぐって
第29章 高騰する儀礼の出費――消費される海外移住者からの送金
【コラム8】 日本に輸出されるトンガのかぼちゃ
○サモア独立国/アメリカ領サモア
第30章 分断されたサモア――西の独立と東の植民地継続
第31章 プライバシーはあるのか?――屋根と柱だけの家での暮らし
第32章 南太平洋随一の保健医療制度―――「住民参加」型の保健医療とその行方
○ツバル
第33章 もてなしの世界――饗宴を通して知るツバル文化
第34章 「海面上昇」の真実――進行する環境破壊
第35章 総人口1万人のミニ国家――その生存戦略
【コラム9】 増え続けるゴミの問題
○フランス領ポリネシア
第36章 楽園の喧騒――タヒチ島パペーテの人びとの暮らし
第37章 身体に模様を刻む文化――タヒチのタタウ
第38章 ゴーギャンの思い描いた「楽園」――タヒチとマルケサス
○その他の地域
第39章 トケラウ、ニウエ、クック諸島――ニュージーランドの市民権をもつ人びと
第40章 ウォリス・フツナ諸島――ポリネシアのもうひとつのフランス領
第41章 ピトケアン諸島―――「バウンティ号の反乱」の子孫たちが住む孤島
第42章 ラパヌイ(イースター島)――東の果てのモアイ像の島
V グローバリゼーションのなかの南太平洋
第43章 「最貧国」における「豊かな」暮らし―――「生活の質」とはなにか
第44章 資源なきささやかな平穏――MIRAB経済論とグローバル化
第45章 太平洋諸島フォーラム――域内中核の地域協力機構
第46章 住民主体の平和な太平洋をめざして――越境的な市民社会の活動
第47章 南太平洋大学――12の国・地域が共同出資した学びの舎
第48章 太平洋芸術祭――海を越えてつながるアーティストたち
第49章 レゲエと南太平洋――現代のポピュラー・ミュージック
第50章 秘境観光、楽園観光―――「売り物」として演出された文化
【コラム10】 現代芸術としてのオセアニック・アート
VI 南太平洋と日本
第51章 第2次世界大戦――ソロモン戦史を中心に
第52章 もうひとつの戦争――島の人びとにとっての日本軍
第53章 知られざる日本人移民――鉱山契約労働と真珠採取、サトウキビ栽培
第54章 カツオ・マグロを求めて――日本企業の進出と漁業開発
第55章 日本でも手に入る「ポリネシアの伝統的秘薬」?――ノニ・ジュース
第56章 日本の最先端技術の導入――海水淡水化装置と太陽光パネル
第57章 太平洋・島サミット―――「アイランダーズ」(島びと)にこめられた意味
第58章 秘境と楽園のイメージを超えて――現代における日本と南太平洋の関係
「南太平洋」を知るための参考文献
【執筆者一覧】
荒木晴香(あらき・はるか)[33,コラム1]
石森大知(いしもり・だいち)[4,9,10,20,41,54,コラム2,コラム4]
江戸淳子(えど・じゅんこ)[11,26]
大谷裕文(おおたに・ひろふみ)[27,28,29,コラム8]
小柏葉子(おがしわ・ようこ)[45,46,57]
小野林太郎(おの・りんたろう)[2,8,39,40]
風間計博(かざま・かずひろ)[43,44]
川崎一平(かわさき・いっぺい)[12,13,14,コラム3]
朽木量(くつき・りょう)[24,53,コラム7]
倉田誠(くらた・まこと)[30,31,32,55]
桑原牧子(くわはら・まきこ)[36,37,48]
小林誠(こばやし・まこと)[34,35,56,コラム9]
白川千尋(しらかわ・ちひろ)[49,58,コラム5]
関根久雄(せきね・ひさお)[19,51,52]
中村純子(なかむら・じゅんこ)[25,50]
丹羽典生(にわ・のりお)[15,16,17]
野嶋洋子(のじま・ようこ)[5,6,42]
古澤拓郎(ふるさわ・たくろう)[3,18]
吉岡政徳(よしおか・まさのり)[1,7,21,22,23,38,コラム6]
渡辺文(わたなべ・ふみ)[47,コラム10]
前書きなど
はじめに
太平洋地域を示す言葉にオセアニアがある。太平洋が主として海を指すのに対して、オセアニアはその海に点在する島じまを指す。オセアニアは、大きくは3つの地域に区分される。ひとつは、日付変更線よりも西側で、赤道よりも北側の地域であり、ミクロネシアとよばれる。ミクロは「小さい」、ネシアは「島じま」を意味するギリシャ語であり、小さなサンゴ島や火山島が点在していることからこの名称がつけられた。2つめは、同じく西側だが赤道よりも南側の地域で、メラネシアとよばれる。メラというのは「黒い」という意味であるが、メラネシアの島じまは比較的大きく、ジャングルに覆われており鬱蒼としていることからこの名称になったという説や、そこに住んでいる人びとの肌の色が概して黒いことからこうした名称がつけられたという説がある。3つめは、日付変更線よりも東側の地域で、ポリネシア(多くの島じま)とよばれている。島じまは、ハワイ、ラパヌイ(イースター島)そしてニュージーランドを結ぶポリネシアン・トライアングルとよばれる三角形のなかにほぼ集中しているが、ハワイなどをのぞくと、ほとんどが赤道より南側に位置している。
さて、本書がふくまれているシリーズではすでに『ミクロネシアを知るための58章』が刊行されているが、オセアニアの残りの地域、つまり、メラネシアとポリネシアを対象地域として同シリーズの1冊にできないだろうか、というところから本書の企画がもちあがった。メラネシアとポリネシアをまとめるキーワードとして浮かんできたのが、南太平洋であった。メラネシアは赤道より南だし、ポリネシアの島じまはハワイなどをのぞけば赤道より南にある。そこでハワイについては別に1冊上程することとし、南太平洋という枠組みで本書の章立てづくりがスタートした。
(…中略…)
トピックは、それぞれの国・地域に精通しているフィールドワーカーと相談しながら、何が一番その国・地域の特徴をよくあらわすトピックであるのか、という点を考えて選定している。たとえば、国会議員選挙はどの国でも行われるが、パプアニューギニアにおける国会議員選挙は、他のどの国にも増して、伝統的な政治の仕組みと近代的な国家の仕組みが絡みあう大掛かりな選挙であり、パプアニューギニアらしさが表れていると同時に、南太平洋の現在の姿を知る手がかりになるという点でとりあげている。同じことはソロモン諸島の森林開発についてもいえる。開発はどの国・地域でも行われている出来事である。しかし、森林開発の規模の大きさ、その影響の大きさからいえば、ソロモン諸島をおいて他には適切な例がないとさえいえるのである。また、ツバルでとりあげている海面上昇・環境破壊というトピックは、ツバルというミニ国家が象徴的に体現している出来事であり、南太平洋の現実のひとつが、このツバルという国を通してみえてくるということで、とりあげている。
本書を通して、南太平洋の国ぐにが身近なものになり、我々と同時代を生きているその南太平洋の現実の一端が示されたなら、編者としてはこのうえもない喜びである。