目次
謝辞
序
第1章 ニューブランズウィックの新たな病気
第2章 らい学の父とその娘婿
第3章 モロカイの殉教者
第4章 スティーヴンソン氏とハイド医師
第5章 帝国の脅威
第6章 使命感に燃えた二人の女性
第7章 米西戦争の退役軍人(一)——「ネッド・ラングフォード」とクリオン
第8章 米西戦争の退役軍人(二)——ジョン・アーリーとカーヴィル
第9章 サー・レナード・ロジャーズと「大英帝国救らい協会」
第10章 スタンレー・スタインとカーヴィルの奇跡
第11章 ピーター・グリーヴとセントジャイルズのホーム
第12章 「セント・ポール」ブランドと「ミスター・レプロシー」ブラウン
第13章 ある国のらい——そしてこれから
第14章 終止符は打たれたが……
読者のみなさまへ(山口カズコ)
監訳者あとがき(菅田絢子)
注
索引
前書きなど
読者のみなさまへ
英国のノンフィクション作家トニー・グールドによる『私を閉じ込めないで Don't Fence Me In』(邦訳書名は『世界のハンセン病現代史—私を閉じ込めないで』)は、二〇〇五年イギリスのブルームズベリー社から刊行され、まもなくアメリカのセントマーチン社からDisease Apart: Leprosy in Modern World(仮訳『隔離される病—現代のハンセン病』)という書名で、全く新しい装丁で刊行された。
ハンセン病は、人類の歴史とともに古く、地域を越え文化を超えて世界の各地に、病気としてはいうまでもなく社会現象として、数々の足跡を残してきた。本書はこの病気をめぐる過去二〇〇年の時の流れと社会に残した文様を、さまざまなかたちで、かかわった人々——研究者・宣教師・修道女・医師・行政官、そして病んだ当事者とその身近にいた人々——の姿を通して紡ぎだそうという、大胆で骨の折れる作業に挑戦した。
一九三〇年代カナダ、ニューブランズウィック州で集団的に罹患が発見された人々の悲惨な歴史(1章)。らい菌の発見者として知られ、今日の病名の由来となったノルウェイの研究者アルマウェル・ハンセンをめぐる人間模様。ハンセンによる人体実験の経緯も含め研究者と医の倫理の問題が当時の文献をもとに解説されている(2章)。ハワイのモロカイ島をめぐる二つの章では、聖者ダミアンはいうまでもなく、ダミアンと同時代およびその後のハワイのハンセン病対策にかかわった当局、医師、作家たち、宗教間の反目、さらには後の合衆国政府の失敗例に終わった研究施設の一幕まで広く取り上げている(3・4章)。
アメリカ合衆国については、米西戦争の退役軍人で、アメリカのハンセン病史に特異な足跡を残した二人の人物——ネッド・ラングフォードとジョン・アーリー——を取り上げながら、アメリカの植民地政策が生んだ世界最大の隔離施設フィリピンのクリオン島療養所と、後に合衆国唯一の国立ハンセン病施設となったカーヴィル療養所の創設に触れ、米政府当局や医師たちの紆余曲折の道のりを描いた(7・8章)。著者はさらにカーヴィルの名を世界に知らしめた人物スタンレー・スタインの自伝『もはや一人ではない』(邦訳あり)を中心に、カーヴィルを当事者の視線で紹介しつつ、スタンレー・スタインと同時代をカーヴィルに生きたもう一人の証人で『カーヴィルの奇蹟』(邦訳あり)と『誰も知ってはならない』の著者ベティ・マーティンと彼女の夫ハリーの人生をも重ねて描いている(10章)。
著者の本国イギリスにかかわる章(5・9・11・12章)ではさらに多くの地域と人物を取り上げている。とくにイギリスが植民地支配を確立しつつあったインドにはハンセン病患者が多く、インドに在住する大英帝国民への感染、さらには本国に病気が持ち込まれるのではないかという恐れから、本国内に強い関心があったことが反映されている。著者は自国であることの利点をフルに生かして多くの一次資料にも目を通し、インド植民地政府のハンセン病対策を担った「大英帝国救らい協会」(BELRA——後のLEPRA)と、キリスト教伝道を出発点に優れた医療奉仕活動を展開した「らい者救済ミッション」(MTL——後のTLM)の成立と活動を、豊富な文献資料と関係者からの聞き取りを参考に記述している。その中には二〇世紀の世界のハンセン病に大きな足跡を残した二人の英国人宣教医師、ポール・ブランドとスタンレー・ブラウンが含まれる。第11章はハンセン病を自ら体験した英国人作家ピーター・グリーヴ(自伝的小説やその他数冊の作品があるがいずれも邦訳はない)と彼が最後の日々を過ごしたセントジャイルズ療養所(ロンドンの東のエセックス州)を取り上げている。この中には一部、英国人の専門医たちがかかわった英領マレー半島のスンガイブロー療養所(クアラルンプール郊外)についても記載がある。
日本に関する記述は、ジュリア・ボイド元駐日イギリス大使夫人によるハンナ・リデル伝(英語版)と大谷藤郎の『城壁崩れ陥ちぬ』(「らい予防法廃止の歴史」の抄訳英語版)をもとに、ハンナ・リデルを紹介した(6章)。さらに最終章(14章)で、この大谷藤郎の著作のほかに一九九六年四月のハンセン病予防法廃止と二〇〇一年五月の国家賠償訴訟の熊本判決を報じた海外メディアの報道をもとに、日本におけるハンセン病問題の動きをカーヴィル療養所の閉鎖(一九九九年)とならんで「終止符」の形の一つと表現している。
グールドは本書の執筆にあたって膨大な資料の読み込みをしたと思われる。今日では入手が難しい書籍の数々、英国の前出二団体などに保管されている資料、一九三三年発刊の「国際らい学会雑誌—IJL」などの専門誌の丹念な読み込みをもとに、全編にわたって随所に引用を挿入している。そして巻末には各章ごとの引用の出典を明記しており、参考文献リストに加えてこれ自体本書にとって一つの財産となっている。また、幾つかの貴重なインタビュー、とくに英国のハンセン病専門医ダイアナ・ロックウッドとの接触を通して、ハンセン病とその臨床および公衆衛生対策への見解が本書全体に反映されていることも、本書の価値であろう。ハンセン病の歴史を読み物として提供するという意図はこれらの努力により十分に成功したといえる。しかし同時に、世界のハンセン病の歴史には、残された分野もあることをも明らかにしたといえよう。
(…後略…)