目次
序章 「私はゴミではない」という叫びから
第1章 ユリノキ村の創設から現在まで
第1節 創設と草創期(1960〜1970年代)
第2節 社会的承認期(1980年代)
第3節 組織再編期(1990年代〜現在)
第2章 外部の目と内部の目——ボランティアから見たユリノキ村
第1節 ボランティアの属性
第2節 仕事における能力・規律の重視
第3節 ボランティアの不満と共感
第3章 対立し合う「自分なりの規範」——〈メンバー〉の相互関係
第1節 緒方師による集団規範の失効
第2節 〈メンバー〉による「自分なりの規範」の保持
第3節 相互に対立する「自分なりの規範」
第4章 通じない「常識」——〈グループホームの人〉を含む関係
第1節 〈グループホームの人〉による「常識」の「逸脱」
第2節 成員間の突き放しと共感
第5章 組織における統制とユリノキ村
第1節 ゴッフマンのTotal Institution論
第2節 Total Institutionにおける集団規範と被収容者の反応
第3節 ユリノキ村における集団規範の失効と成員の反応
第6章 コミューンにおけるエゴイズム調整とユリノキ村
第1節 コミューンと呼ばれた集団
第2節 山岸会とユリノキ村の対比
第3節 心境とユリノキ村の対比
第7章 新たなコミューンの可能性
第1節 現代社会論にみられるコミューンの理想化
第2節 管理社会への対抗文化としてのユリノキ村
終章
引用・参考文献
あとがき
前書きなど
あとがき(抜粋)
本書は、実在する「ユリノキ村」(仮称)という共同生活の場の民族誌である。本書のもとになっているのは、2003年にお茶の水女子大学に提出した博士論文「管理社会への対抗文化成立の可能性——精神障害者福祉施設『ユリノキ邑』のマイクロ・エスノグラフィー」である。
今回『「居場所のない人びと」の共同体』という書名によって示したように、ユリノキ村はパラドックスに満ちた場である。人びとは、ユリノキ村において、自らの意図をくじかれる経験を繰り返し疎外感を抱き続ける。しかし同時に、ユリノキ村においてこそ、他の成員と同様に自らも受容されているという感覚を抱き続けることにもなる。私自身、このような場のありように強くひきつけられた。そして、この場に足を踏み入れることのない人びとにも伝えたいと強く願い、著したのが本書である。
ユリノキ村での調査にあたっては、創設者であり施設長である緒方師、および職員の方々にはあらかじめ許可をいただいた。また他の人びとには、折に触れて訪問の理由を尋ねられたときに私の意図について答えるというかたちをとった。人びとの多様な背景のために、日常的なコミュニケーション自体が極めて成立しがたいのがユリノキ村である。ユリノキ村独特のありようを解き明かしたいという私の意図について、それぞれの人がどのように受けとめてくださったのかは必ずしもわからない。ただ、それぞれの人は、私の意図を聞いた上で、普段と変わらずに振る舞っておられたようであり、むしろ私に対して積極的に説明したり語りかけたりしてくださったことも少なくなかった。こうして私の調査を受け入れてくださったユリノキ村をめぐるすべての人びとに感謝したい。
ユリノキ村は、本書で示した通り、20余年間の営みの中で、小規模な共同生活の場から事業体へ、さらには社会福祉施設へと変化を遂げてきた。そして貴重な実践を繰り広げてきた。しかしながら、ユリノキ村の内部では、その実践について記録を作成するということはほとんど行われてこなかった。本書が、ユリノキ村の実践を外部から参照可能なものにするということに貢献できるなら、幸いである。
実はユリノキ村は、今新たな変化の途上にある。創設以来、強いリーダーシップを発揮してきた緒方師は、激務と加齢のために、本書で示したような役割を担い続けることに困難をきたすようになってきた。またユリノキ村自体、長引いた不況と福祉制度「改革」のもとで、経済基盤を大きく揺るがされる事態に直面している。長年主たる収入源であったリサイクルショップ事業は、買い控えとアウトレット業者の進出という状況下で、著しく低迷してきた。また、2006年施行の障害者自立支援法の影響下で、2次的収入源であった施設補助金は、その交付に際して他施設との事業実績の比較を伴うようになり、減額や打ち切りの可能性に常にさらされるようになった。すなわち、ユリノキ村自体が、社会における競争原理にいっそう直接的にさらされるようになったともいえる。こうした変化を前にすると、本書は、それ自体、いまだ序章に過ぎないとも思われる。今後ユリノキ村に生じるであろういっそう激しい変化について、引き続き、注意深く見つめていきたい。
ユリノキ村で調査を開始したのは8年前のことになる。その間、ユリノキ村をめぐる人びとのうち、片手の指にはおさまりきらない人びとが他界された。記して、ご冥福をお祈りしたい。
本書の構成(「序章」より抜粋)
本書の構成は次の通りである。
第1章では、ユリノキ村の全体像を把握する目的で、創設から現在までの20余年間の経緯を記す。それは、緒方師により「居場所のない人びと」のためにと創設された共同生活の場が、事業体へ、そして社会福祉法人へという移行を経ながらも、必ずしも制度化・構造化しつくさなかった過程についての記述である。
第2章では、ユリノキ村の外部と内部を行き来するボランティアの視点から、ユリノキ村のありようを概観する。ボランティアは、ユリノキ村の経済活動を支えるという役割のために能力主義・規律化の観点を保持するが、ユリノキ村は、その観点が必ずしも通じない場であることを示す。
第3章と第4章では、ユリノキ村の日常における相互行為の描出を通して、成員が対立や葛藤を表面化させる状況とその帰結を詳述する。まず、日本人の健常者同士の相互行為を、次に、外国人の精神障害者を含む相互行為を対象とする。
第5章と第6章では、ユリノキ村の集団としての特徴を相対化して捉える目的で、既存の集団類型との対比を行う。まず成員の属性の共通性から、E・ゴッフマンによるTotal Institutionとの対比を、次に集団の創設意図の共通性から、同時代にコミューンと呼ばれ注目された集団との対比を行う。
最後に第7章では、改めてユリノキ村を1970年代の日本社会の文脈に置いてみる。そして、ユリノキ村という具体的な共同生活の場が今日まで存続してきたことの意義を明らかにする。
以上を通して、現代社会において「ゴミ箱の中に捨てられたような人間」と感じざるえない人びとが、それゆえにこそ受容され、それゆえにこそ他者とともに創造しつつあるような、新しい共同性のありようの可能性を示す。