目次
はじめに
1 歴史上のおもな出来事
第1章 ルーツと先住民——スペインからの独立まで
第2章 独立戦争——泥沼化する戦局
第3章 対外債務問題のはじまり——首都と地方の対立
第4章 ロサスの強権政治——パンパの精神と伝説の反映
第5章 アルゼンチンの「明治維新」?——ミトレ、サルミエント、アベジャネーダ政権の功績と事件
第6章 「南米のパリ」——二〇世紀初頭のブエノスアイレス
第7章 ガウチョ——アルゼンチンを代表するアイデンティティ
第8章 中産階級の誕生——経済格差の広がる首都と地方
第9章 ペロン大佐の登場——激動する国内外情勢
第10章 功績と遺産——ペロン政権の一〇年
第11章 エビータ——伝説と政治的存在
第12章 繰り返される政権交代——二七年間の軍政・民政権時代
第13章 不安定な政情——ゲリラの登場、ペロンの再登場と最後の軍政権
第14章 「失われた一〇年」——一九八〇年代の経済政策
第15章 九〇年代の栄光と影——一ペソ=一米ドルの固定相場制を導入
2 社会と文化
第16章 「ビベサ」——民族的ずる賢さというアルゼンチン気質
第17章 「ルンファルド」——アルゼンチン特有の用語
第18章 タンゴ——官能と癒し
第19章 牛肉中心の食卓——世界有数の牛肉生産国
第20章 ワイン——高い世界的評価
第21章 マテ茶のぬくもり——アルゼンチンを代表する国民的飲み物
第22章 サッカー文化と情熱——競技場はファンの「戦場」
第23章 ブラックユーモアのお笑い芸能人——厳しい世情を笑いで斬る
第24章 民族のお祭り——先住民の神秘的要素とカトリックの融合
第25章 教育制度の課題と展望——経済・社会危機を招いた要因
第26章 大学教育の現状——卒業できるのは二割弱、卒業しても就職できない
第27章 大卒の就職難と海外「永久留学」——弁護士資格を持つ多くのタクシー運転手
第28章 家族政策とカトリック——同棲、離婚、妊娠中絶合法化の議論
第29章 複雑な医療制度——人口の半分は無料で治療
第30章 貧困問題——歪む社会構造
第31章 治安悪化の要素と影響——最大の要因は貧困問題
第32章 警察と司法の脆さ——悪名高いブエノスアイレス州警察
第33章 記録的な失業率と失業者の実態——最大の打撃を受けた建設・サービス部門
第34章 「ブラック労働」——インフォーマルな雇用創出阻害要因
第35章 開き直った脱税——「優れ」た「節税」の知恵
第36章 税源と財政の「バランス」——法人に偏る税収
3 政治と経済
第37章 議会と議員——中南米で第2位「政党汚職率」
第38章 大統領という「天下人」——いまだ不安定な政治システム
第39章 地方有力政治家「カウディージョ」の力——「ファミリー」で権力基盤を固め地域全体を支配
第40章 不健全な民主主義——利益を求めて誕生した無数の政党
第41章 軍と軍部の政治的役割——政治は軍を利用し軍は政治を利用する
第42章 「五月広場」——軍政権と人権抑圧問題
第43章 輸入代替制度の失敗——行き詰まる国内産業優遇政策
第44章 リスクの高い投資先——ビジネス環境の再構築が急務
第45章 メルコスール——ブラジルとの貿易摩擦が最大の課題
第46章 払えない債務——長年の失政と無責任体制の「積み重ね」
第47章 南米諸国との関係——大きな外交課題の国境線未確定問題は解決
第48章 マルビーナス戦争の政治的教訓——戦後初の西側陣営同士の武力衝突
第49章 マルビーナス戦争を戦った兵士の試練——プロ兵士とノンプロ兵士の戦い
4 アルゼンチンと日本
第50章 移民社会のなかの日本人移民——勤勉さと正直さ、誠実な対応で好評
第51章 戦後の日系人社会——制度化された入植事業
第52章 戦前の両国関係——一八八六年日本人移民第一号が入国
第53章 戦後の両国関係——拡大する民間交流
第54章 アルゼンチンに触れよう——日本で楽しめる情報案内
【コラム1】 ペロンとペロニズムに対する評価と視点
【コラム2】 貧困の諸相
【コラム3】 青少年犯罪の状況
【コラム4】 混迷する社会
【コラム5】 偏在する労働環境
【コラム6】 中小企業の輸出努力と期待
【コラム7】 観光スポット
【コラム8】 「世界遺産」への旅
アルゼンチンを知るためのブックガイド
あとがき
政府関係機関リスト
前書きなど
はじめに
南米の最南端に位置するアルゼンチンは日本からもっとも遠い国である。飛行機の便が増えたとはいえ日本からの直行便はなく、アメリカもしくはヨーロッパ経由で最低一度は乗り換えが必要である。最近、マレーシア−南アフリカ−ブエノスアイレス便というのができたのだが、クアラルンプールで乗り換え、南アフリカではヨハネスバーグとケープタウンで二回乗り換えるため三五時間以上かかる。かなりの長旅になるが、南アフリカを観光しリフレッシュして、少し時差ボケを解消してからタンゴとサッカーの国に到着するのも悪くないという人もいる。
日本でアルゼンチンといえば、華麗なタンゴやサッカー、広大なパンパ(大草原)やおいしい牛肉、そしてヨーロッパの童話『母を訪ねて三千里』などがイメージされるのではないだろうか。また一九七〇年代後半から九〇年代初頭まで不況、ハイパーインフレ(物価が短期間に数倍、数十倍になるインフレ)、国際収支の悪化、対外債務の累積など経済が非常に悪化していたことをご存知の方もいるだろう。一九八二年にはイギリスと戦争を起こしたこと、サッカーのワールドカップに二回優勝し世界的に有名な選手がいることをご記憶されている方も多いのではないだろうか。また最近のワインブームもあって日本でも多くのアルゼンチンワインを目にするようになった。
ビジネスや文化活動などで行き来をしたり、数年間現地で生活をした経験を持つ日本人は、時には腹を立てながらも、多くの方がアルゼンチンを好きになり、とくにブエノスアイレスというヨーロッパ風の街を気にいるようだ。他の南米諸国では味わえない雰囲気と発見があるからであろう。
筆者の生まれ育ったアルゼンチンは、ヨーロッパ南部および地中海諸国からの移民によって近代国家を建設した。スペインとイタリアが主だが、ポルトガル、東ヨーロッパ諸国、アラブ諸国とくにレバノンやシリア、そして数は少ないがアジア勢では日本や中国、韓国からの移民によって成り立っている。戦後は、パラグアイやボリビア、チリ、ウルグアイなど隣国からの移民が多く、九〇年代の経済成長期にはペルーからも八万人ぐらいの出稼ぎ移民が入ってきたのである。
こうしたラテン的な要素があるため、性格的に明るくおしゃれで見栄っ張りという個性豊かな社会を形成してきたともいえる。しかし、その個性が制度そのものと合わず混乱を招き、不安定な社会を生んでしまったのも、もう一つの事実である。
アルゼンチンという国は、以前から「われわれは他の南米諸国とは違う」という部分を強調しており、社会的にも文化的にも、そして経済・政治的にもその違いをアピールしてきた。当然ながら、こうした特徴は外交にも表れ、アルゼンチン人そのものの気質にも反映され、周辺諸国をはじめ世界から評価されることもあればひんしゅくを買うこともしばしばあった。近隣諸国とは摩擦も絶えず、戦争を引き起こしかねない事態もあった。
アルゼンチンは、経済や社会構造から見ても先進国でも途上国でもなく、わかりにくい国だとされてきた。一九世紀末、日本の明治維新と同じように近代化を急ピッチで進め二〇世紀初頭、一九三〇年頃までは世界第五位の先進国(経済大国)であったアルゼンチンは、一九六〇年頃から日本とは逆方向に急落する。インフレや景気の停滞、累積債務問題、慢性的な財政赤字で経済は悪化し、政治的には軍政と不安定な民政を繰り返してきた。現在は国際経済から孤立しないよう懸命であるが、いまなお有効な施策を見出せずにいる。天然資源の少ない日本から見れば理解に苦しむ状況である。豊かな国土と少ない人口、教育・教養水準も比較的高い国民、それなりに整ったインフラ等々、経済発展に必要な要素はかなり存在するにもかかわらず、なぜアルゼンチンが国として、いや社会としてまとまりがなく、何回も同じような過ちを繰り返し、世界経済の潮流に乗れないのか、まだ答えが出ないのである。評論は数多くあるが、政策と制度構築は追いついていないのが現状である。
本書では、すべての疑問に対して納得のいく答えを出すことはできないかもしれない。ただ筆者は、ネイティブの視点から日本の読者にアルゼンチンという国のさまざまな側面を、リアルにわかりやすく紹介したいと考えている。
第1部ではアルゼンチンの建国過程を紹介し、先住民の存在からスペイン探検隊の到来、独立と内戦を介した国造り、そして近代国家の形成といった、激動の二〇世紀を経て今日にいたる政治・経済的要素を中心に述べる。
第2部は、アルゼンチンの社会的、文化的要素を扱う。アルゼンチン人の気質や日常的な側面、アルゼンチンを代表するタンゴやサッカーなどについても華やかな部分とそうでない部分を紹介する。また、昨今問題になっている教育制度や医療制度、貧困問題、治安と司法の腐敗構造にかなり詳しく触れている。
第3部は、現状を把握するための経済、政治情勢を、あまり知られていない側面からアプローチしている。税に対する意識や政治家たちに対する期待と不満、大統領と地方の有力政治家「カウディージョ」の役割、歪んだ政策決定過程と利権がらみの産業構造、そして日本でも話題になっている債務問題等を紹介している。
そして第4部では、筆者のルーツである日系人の移民コミュニティと日本との関係に触れる。これまでの日本とアルゼンチンの関係を知ることは今後の両国間の関わりを探るうえでさまざまなヒントがあるだろう。
以上の側面を通してアルゼンチンの全体像を描くことによって、少なからず、今後日本も参考になるもの、せめて「してはならないこと」を、読者はある程度イメージできるかもしれない。本書のあとがきはそうした想いを込めて執筆した。
来日して約一五年になるが、日本人が描いているアルゼンチンのイメージはあまりにも単純すぎる側面があり、社会の本質、根底、底力、危険性、将来性などを理解していないように感じることが多い。
一方、筆者のように海外に住んでいると、祖国をノスタルジックに想うようになり、良い側面ばかりを強調しがちになってしまうのであるが、できるだけ冷静に見極めながら今まであまり注目されていなかった部分を発見または再発見しながら執筆に取り組んだ次第である。
執筆過程で想像以上に厳しい現実を突きつけられた想いが強いが、それが今のアルゼンチンであり、これから軌道修正し立て直していかなければならない国であると痛感している。
専門家やアルゼンチンを知り尽くしている読者からみれば、政治や経済については本書の内容では不十分かもしれないが、「一般知識プラスα」という観点で読んでいただければ満足していただけるのではないだろうか。
本書によってアルゼンチンの良いところもあまり良くないところも発見するとともに、一人ひとりが今の日本という社会をあらためて見つめ直し、日本が抱えている、または抱えそうな諸問題に真剣に取り組み、熟考することを期待したい。
アルゼンチンという国は、筆者が思うところ一種の「歴史の反面教師」であり、将来的には大きな国際的責務と国内の諸問題に直面するであろう。そのうえで日本には少なからず参考になるものがあると思える。また、いずれ相互に協力できる部門、補完しあえる分野もさらに出てくる可能性は十分にあると考えられる。
ビジネスや文化交流など何らかの形でこの国とすでに関わっている人たち、またはこれから関わっていこうとしている人たちに、本書が少しでもお役に立てば幸いである。
さらにアルゼンチンに住んでいる日本人や日系人の方にも本書が届いた場合には、新たな発見の機会となることを望んでいる。
最後に、本書の執筆を提案していただいた元三井物産の社員で、現在ラテンアメリカの文化交流活動で活躍されている平尾行隆氏に感謝するとともに、編集過程では明石書店の大江道雅氏、法月重美子氏、アルゼンチン大使館の職員の方々、写真家で友人のイレーネ賀集氏、アルゼンチン在住で旅行コーディネーターをしているモニカ小木曽氏、その他有意義な助言やアドバイスをいただいた方々に! Muchas Gracias!(どうもありがとう)と言いたい。もちろん、執筆作業を優しく見守り、ふだんどおりの家庭環境を提供してくれた妻RIKOには感謝しても感謝しきれない。
そして、四十数年前に日本から移民したアルゼンチン在住の両親(ブエノスアイレス州エスコバール市の松本毅と和子)や兄弟、たくさんの夢や希望を抱いて海を渡った日本人移民の方々や、両国友好のためにさまざまな方法で貢献してきた、そして今も熱意を持って携わっている人たちに本書を捧げたい。
二〇〇五年三月三一日、横浜にて
アルベルト(俊二)松本