目次
日本の読者の皆さんへ
第一部 背景の設定
第一章 発見
第二章 奴隷制に関する教皇の教え
第三章 物申す時
第四章 本書の焦点
第二部 主張と反論
第五章 ちぐはぐなビジョン
第六章 信者の信仰のセンス
第七章 犯罪容疑者を名指して
第三部 証拠の真偽を問う
第八章 『伝統』に見られる議論
第九章 女性は神の似姿として創られていないのか
第十章 女性が教えることは許されないのか
第十一章 エバの罪の重荷を背負って
第十二章 イエス・キリストは女性を故意に無視したのか
第十三章 女性はキリストを代表できるような人間ではないのか
第十四章 「花むこ」のシンボルをめぐって
第十五章 推定『伝統』への批判
第四部 再度の試み
第十六章 本物の伝統
第十七章 9世紀にわたる女性助祭
第十八章 女性助祭の役割
第十九章 司祭としてのマリア信心
第二十章 司祭召命を持つ女性たち
第二十一章 侵入者の正体を暴く
第二十二章 これからの道
注
付録
訳者あとがき
前書きなど
訳者あとがき
全世界を覆うまさにグロ−バルな混沌とした21世紀の初頭にあって、キリスト教も聖職者のスキャンダルを含め、多くの問題を抱え、更なる刷新、改革の必要性が叫ばれています。聖霊降臨の日に誕生した教会は2000年の歩みの中でたくさんの誤りを犯してきました。その一つは紛れもなく性差別です。著者は神学者、聖書学者として聖職からの女性の排除について長年の研究を重ね、本書はその集大成といえるでしょう。
人権意識に目覚めた20世紀の世界で、教会の周辺でも女性たちは目を開き、問いただし、動き始めました。今、司祭不足の教会で、同じようにキリストの信奉者である多くの女性たちが様々なニ−ズに応えて奉仕しています。彼女たちの中には聖霊に突き動かされ、キリストが建てられた教会で洗礼を通して与えられた命を、使命を、十全に生きる招きを強く感じている人たちがいます。1996年、オ−ストリアで開かれたエキュメニカル(超宗派)女性シノドスでは世界ネットがつくられました。それぞれの歴史的、文化的情況の中で、また地方教会のニ−ドの中で女性たちは自分たちが受けた神の賜物を用いて奉仕したいのです。カトリック教会の扉はまだ閉められています。日本でも最近この課題に関して少からぬ関心と期待が表明されるようになりました。そのような時の到来にあたり本書が多くの人の手に渡り、読まれ、議論が始められることを願っています。(後略)