目次
はじめに
1 聖者たちのチベット
第1章 観音菩薩に祝福された民——開国伝説
第2章 “世界の屋根”チベット高原——チベットの地理
第3章 聖王たちの古代王朝——古代チベット王国と仏教
第4章 チベット最古の宗派——ニンマ派
第5章 チベットの“心臓”——聖都ラサ
第6章 世界宗教への道——後伝仏教総論
第7章 モンゴル帝国を擒にしたチベット仏教——サキャ派
第8章 密教行者のコミュニティ——カギュ派
第9章 整然とした僧団秩序——ゲルク派
第10章 東洋の法王庁・垂直のヴェルサイユ——ダライラマ五世とポタラ宮
第11章 “中国”はチベット仏教圏の不可分の一部である——中国とチベット八〇〇年史
2 雪の国の仏教
第12章 チベットからみたインド仏教——インド仏教略史
第13章 無尽蔵の智慧の宝庫——チベット仏教の聖典
第14章 時を超えたタントラ行者——パドマサンバヴァ
第15章 吟遊するヨーガ行者——ミラレパ
第16章 文殊菩薩の啓示を受けた大学僧——ツォンカパ
第17章 覚りへの道のガイドブック——ラムリム
第18章 ディベートの楽しみ——論理学
第19章 “私”はどこにも存在しない——中観
第20章 仏になるための登竜門——チベットにおける灌頂
第21章 生成のプロセスと完成のプロセス——生起次第と究竟次第
第22章 チベット密教のパンテオン——忿怒尊
第23章 幻身とともに出現する仏の住処——マンダラ
第24章 転生する高僧たち——トゥルク
第25章 聖地巡礼——ネーコル
3 暮らしの文化
第26章 ラサ近郊のある農家の暮らしから——チベットの衣食住
第27章 解脱へと近づくために——チベット仏教の僧院生活
第28章 マンダラ世界を地上に作る——「祈り」のシンボルがひしめくチベット建築
第29章 クロスロードの音色たち——ポタラ宮廷音楽ナンマを中心に
第30章 歌って踊って演技して——チベット歌劇アチェ・ラモを中心に
第31章 日傘の骨でペンを作る——言葉と文字
第32章 口承文学「ケサル王物語」とその担い手——チベットの文学
第33章 薬師仏の浄土——チベット医学入門
第34章 世界を読み解く手がかり——チベットの占い
第35章 タントラに基づく暦——チベットの暦
第36章 諸天がはたらきかける未来——護法尊
第37章 仏教国で生き続けたマージナルな宗教——ボン教
4 チベット・オリエンタリズム
第38章 名探偵ホームズの秘密——チベットをめざした探検家たち
第39章 シャングリラの原像——隠された聖地の伝説
第40章 臨死体験の手引き——チベット死者の書
第41章 ティンセルタウンのチベット・フリークたち——ハリウッドとチベット仏教
第42章 ロックでチベット支援——世界で盛り上がるチベット文化支援
第43章 “秘境”はそれほど遠くない——チベットを旅する人のために
5 チベットのいま
第44章 チベット高原サンクチュアリ化計画——弾圧と環境破壊
第45章 自由と真実を求めて——チベット人たちのいま
第46章 リトル・ラサ——ダラムサラとチベット亡命政府
第47章 ダライラマの悲しき陰画——パンチェンラマ
第48章 ミレニアムの亡命劇——二人のカルマパ
第49章 草原の民のアイデンティティー探し——モンゴルで復活するチベット仏教
第50章 “世界の聖者”ダライラマ——その人と思想
『チベットを知るための50章』用語解説
チベット入門ブックガイド
『チベットを知るための50章』参考文献・資料
前書きなど
はじめに チベットという“国”がこの世から姿を消しておよそ半世紀の時がすぎた。しかし、今なおチベットは人びとの口の端にのぼり、その文化は人びとを魅了し続けている。チベット文化の存続を願う人びとは年を追うごとに増え、チベット文化に対する認知度はかつてないほど広く、深いものとなっている。 国を失っても、そのアイデンティティが崩壊するどころかよりいっそう鮮明となり、さらに外国人までまきこんでひろがってきたその理由は何であろうか。言わずと知れたことだが、チベット文化、とりわけ仏教文化には国境や民族を超えて通用する普遍的な性格があるからである。 本書はこのように世界中で評価を受けているチベット文化の様々な側面を、過去から現代に至るまで、また、内と外の視点から総合的に紹介することを目的としている。これまでのチベット入門書に比べれば、章立てや内容が網羅的かつ専門的になるよう心がけたつもりである。 第1部の「聖者たちのチベット」では、開国に始まり中国の侵入によって終わる伝統的なチベット世界の歴史を、チベット人の信じるがままに紹介した。なぜ、史実を客観的に述べるのではなく、チベット人の思考をなぞるのかといえば、チベット人は古代王朝を理想の時代と考え、それを現代に再現しようと考える民族であるため、彼らの信じる物語はそれが歴史的事実であるなしにかかわらず、人びとを動かし、チベット史を作りあげてきたからである。現実的に力のあったイメージである限り、それを無視することはできないであろう。 第2部「雪の国の仏教」では、チベット仏教をテーマとし、第3部「くらしの文化」では、仏教以外の生活文化、ボン教、医学、音楽、占星術などについて扱った。つまり、第1部が時間軸にそって伝統的なチベットを紹介したものであるとすると、第2部と第3部はチベット文化をスタティックな側面から扱ったものである。 そして、はじめの三部がチベットの歴史と文化をチベット人の視点、すなわち内部からの視点で見たものであるとすると、続く第4部「チベット・オリエンタリズム」では、「外部から見たチベット」像を扱ったものである。いかに、精神文明に重きをおくチベットとはいえ、人間の国である以上、戦争や腐敗と無縁の社会ではなかった。しかし、西洋人の目から見たチベットは、つねに俗塵の届かぬ「秘境」あるいは「神秘の国」であった。このような「西洋人から見たチベット・イメージ」が第3部のテーマである。 そして、最後の第5部「チベットのいま」は、ダライラマ、カルマパ、パンチェンラマなどの現代を生きる高僧達に焦点をあててチベット人が今現在直面している問題をあぶりだした。 第5部の最終章であると同時に、本書全体の最終章でもある第五十章に据えられているのが、ダライラマ十四世の人と思想である。ダライラマは太古にチベットを祝福した観音菩薩の化身であり、開国の王ソンツェンガムポの転生であるという意味では、第1部で扱った神話の体現者である。そして、彼が仏教哲学の大家であるという点では第2部で扱ったチベット仏教の体現者といえ、伝統的な僧院社会に生きる現代チベット人としては、第3部で扱ったチベットの日常文化の体現者といえる。また、彼の聖者としての生き方が西洋人の持つチベット・イメージを裏切ってこなかったことから、第4部で説かれたチベット・オリエンタリズムの体現者として位置づけられる。つまり、ダライラマこそがまさに、神話と現実の接点にあって、チベット文化のあらゆる側面を奇跡のように体現する人物なのである。このような意味でダライラマ十四世は本書を総括する第五十章に据えられた。 以上の構成からもおわかりいただける通り、本書はチベット文化の魅惑的な諸相をヴィヴィッドに伝える刺激的な書に仕上がっている。なので、各章ごとにひと滴ずつ落ちていくチベット文化の精華が、ダライラマ(海の高僧の意)という大海に集まっていく過程を、読者のみなさんに楽しんでいただければこの上ない喜びである。 最後に、写真、地図、系図などをふんだんに掲載することに尽力くださった明石書店編集部に、執筆者を代表して謝辞を捧げたい。 二〇〇四年四月石濱裕美子