前書きなど
はじめに
この本は、音楽史に刻まれている大音楽家たちが、二十世紀という革命と戦争の時代に国家とどう対峙したかを描く、歴史読み物である。
国家と音楽家――本来ならば対峙するものではない。だが、二十世紀という「戦争と革命の世紀」は多くの音楽家を国家と対峙せざるを得ない局面に追い込んだ。
ある者は妥協した。ある者は屈服した。ある者は対立を避けて国外へ出た。闘い抜いた人もいるし、死の一歩手前にあった人もいれば、故国喪失者となった者もいる。
「音楽に国境はない」と言われるが、そんな能天気なことは平和な時代だから言える。少なくとも、音楽家には国境がある。
登場する国家は、ドイツ、イタリア、スペイン、フランス、ソ連、ポーランド、チェコ、アメリカ、そしてイスラエルの九カ国だ。独裁国家もあれば、自由と民主主義の国もあれば、社会主義国もある。
登場する政治家は大物としてはヒトラー、ムッソリーニ、フランコ、スターリン、ケネディ、ニクソンで、彼らと対峙する音楽家として、フルトヴェングラー、カラヤン、トスカニーニ、カザルス、ショスタコーヴィチ、クーベリック、コルトー、ミュンシュ、ルービンシュタイン、バーンスタインたちが登場する。
現代史や政治に詳しい方は、よく知っている人物や事件に、これほどまでに音楽家が関与していたのかと驚くかもしれない。その逆に、音楽について詳しい方は、音楽家たちがこれほどまでに政治に深く関わり翻弄されていたのかと驚くかもしれない。
「音楽家から見た現代史」であり、「現代史の中の音楽家像」を描いたものだ。
記述にあたっては、いつ・どこで・だれが・なにを・したについては、当然のことながら、一切、創作はない。だが、学術書ではないのでひとつひとつの情報の出典は記さず、巻末に参考資料一覧を載せた。また文中で触れた演奏会で録音されているものは、註番号を付け、巻末に紹介した。
二十一世紀初頭―ナチ政権崩壊から七十年近くが過ぎ、ソ連崩壊からも二十年以上が過ぎた時点から、半世紀以上前の出来事、人物を批判することは、あまり意味はない。状況が違いすぎる。したがって、事実のみを記し、それぞれの音楽家たちの言動への評価は読み手に委ねたい。そのための材料を提供する。