目次
序 文
凡 例
第I部 アイデンティティと善
第1章 不可避の枠組
第2章 道徳空間における自我
第3章 不明確な倫理
第4章 道徳的源泉
第II部 内面性
第5章 道徳の地形学
第6章 プラトンの自己支配
第7章 「内なる人に」
第8章 デカルトの距離を置いた理性
第9章 ロックの点的自我
第10章 「人間の条件」の探究
第11章 内なる自然
第12章 歴史的説明についての補足
第III部 日常生活の肯定
第13章 「神は副詞を愛し給う」
第14章 合理化されたキリスト教
第15章 道徳感情
第16章 神意による秩序
第17章 近代の文化
第IV部 自然の声
第18章 砕かれた地平
第19章 ラディカルな啓蒙
第20章 源泉としての自然
第21章 表現主義的転回
第V部 より繊細な言語
第22章 ヴィクトリア朝に生きたわれらが同時代人
第23章 ポスト・ロマン主義時代のヴィジョン
第24章 モダニズムのエピファニー
第25章 結論――近代の対立軸
訳者あとがき
注
索 引
前書きなど
本書の執筆は困難であった。それはあまりにも長い年月を要した。その間に私は、本書に何を盛り込むべきかに関して何度か考えを変えた。自分が何を言いたいかが長い間はっきり分かっていなかったというおなじみの理由によってそうなったとも言えるが、別の理由もあった。近代的アイデンティティを明確化しその歴史を描くという私の試みそれ自体が、とても野心的だったのである。私が近代的アイデンティティという言葉で指し示したいのは、人間という主体がどのようなものであるかについての(ほとんど明確化されていない)さまざまな理解の総体のことである。ここで言うさまざまな理解とは、西洋近代に適合するような、内面性の感覚、自由の感覚、個性の感覚、自然に根を下ろしているという感覚のことである。
しかし、当初私は、この近代的アイデンティティが理想とするものと禁止するもの――それが浮き彫りにするものと、影の部分に押し込んでしまうもの――が、ほとんど気づかれることなく、いかにして私たちの哲学的思考や認識論や言語哲学を形づくるかということも示したいと思っていた。自我というものが入り込まず、また入り込むべきでない領域を冷静に検討する……
[「序文」冒頭より]