紹介
現代アルゼンチンを代表する心理臨床家ブカイと、精神分析家であり作家でもあるアギニスが、アルゼンチンや近隣国の諸都市を巡り、人々と女性、差別、家族、成功、孤独、危機、幸せ、暴力、愛など重要な人生の問題について率直に語り合った対話の記録です。アルゼンチンと言えば地球の反対側の遠い国ですが、本書を読めば分かるとおり、社会が直面している危機も人々の苦悩も、驚くほど日本と共通しています。しかしそれ以上に本書を私たちにとって興味深いものにしているのは、全体に一貫して流れる、豊かなユーモアと人間性への深い信頼でしょう。日本の読者にも違和感なく、人生の困難と知恵について思いを巡らす豊かな時間をもたらしてくれる本です。ブカイには『寓話セラピー』、アギニスには『マラーノの武勲』などの邦訳書があります。
目次
はじめに
イントロダクション
ライブ対話 1 ロサリオ
1 社会における女性の新たな役割
2 相違・別離・不実
ライブ対話 2 メンドーサ
1 忠実と信頼
2 真の家族とは
3 成功か、成功主義か
ライブ対話 3 マル・デル・プラタ
1 個の危機
2 孤独
3 罪
ライブ対話 4 ブエノスアイレス
1 幸せの探求
2 社会の暴力
3 身体礼讃
ライブ対話 5 プンタ・デル・エステ
1 愛……その言葉が意味するもの
2 家庭内暴力と依存症
ライブ対話 6 コルドバ
1 マス・メディアの機能
2 知識人たちの果たすべき役割
3 現代社会における価値観の危機
訳者あとがき
訳注
前書きなど
訳者あとがき
本書は、現代アルゼンチンを代表する二人の著名人、ホルへ・ブカイとマルコス・アギニスが、六ヶ月間にわたってアルゼンチン国内・近隣国の諸都市を巡り、人々と意見交換した模様を記録した、ライブコンサートならぬライブ本、Jorge Bucay y Marcos Aguinis, El cochero: un libro en vivo, Editorial Del Nuevo Extremo, 2001 の全訳である。
本題に入る前に、まずは左記の項目をご覧いただきたい。
・貿易の自由化および規制緩和、国営企業の民営化、雇用形態の柔軟化、社会保障制度改革等を柱とする行政改革がおこなわれる。
・公営企業の民営化にともない公務員の五分の一が解雇される。
・民間企業の経営合理化によって雇用条件が悪化、労働者はより厳しい生活を強いられ、そこへ公共料金の値上げがさらに追い打ちをかける。
・大手自動車会社の工場が生産を削減、大量の従業員が解雇される。
・「景気は上向いている」と政府が発表する一方、大量失業が常態化、失業率は二十パーセントに達する。とりわけ若年労働者層の失業が深刻な問題に。
・高金利と預金残高減少によって政府は国債の発行が、企業は金融機関からの新規借り入れが困難に。
・財政赤字削減の名目で公務員の賃金・年金をカット。
・銀行預金の凍結。引き出し額の上限を週二百五十ドル、月千ドルに制限。
・全国各地で抗議活動が暴徒化。デモ参加者らがスーパーマーケット等を襲い、略奪行為に走るように。
・貧富の差が拡大、国民の半数以上が貧困層に転落。
・消費の落ち込みから首都中心部でも小売店の閉店が相次ぐ。
・家賃やローンが払えずに住居から強制退去させられ、路上で暮らす高齢者が急増。
・医薬品が極度に不足。慢性病の治療薬供給に深刻な影響が出る。
・国政は事実上の与党独裁。野党がどんなに努力しても意見を反映させられない。汚職が著しく蔓延。
・通貨下落による割安感から外国人観光客が急増、観光業は潤う。同時に、外国企業や個人投資家による不動産漁りも活発化。
・凶悪犯罪の増加。特に、高齢者を狙った犯罪が横行。
・権力者たちの犯罪の見逃し。罪を犯してもうやむやにされ、公正に裁かれない場合がほとんど。
・制作費削減のためか、休日のテレビ番組はどこの局も古いハリウッド映画やドラマの再放送ばかり。
・芸のないタレントたちが延々と馬鹿騒ぎする低俗なトークショーや、彼らを豪遊させる旅番組が増加。
・元モデル、元スポーツ選手、二世タレントというだけで、即ドラマの主役や番組の司会、声優といった仕事が与えられ、視聴者(プラス本職)から疑問の声が上がる。
・綿密な取材に裏打ちされた報道・ドキュメンタリー番組が少なくなり、局によってはニュースまでもがバラエティ番組と化す。政治家たちが票集めのために、こぞってテレビ出演。
まるで、昨今のわが国の現状と近未来の暗示と思しき記述だが、これらはすべて一九九〇年以降、実際にアルゼンチンで起こった出来事である。
とりわけ二〇〇一年から〇二年にかけて顕在化したアルゼンチンの経済危機については、日本でも報道されたので、記憶に新しい読者もおられることだろう。当時ローマ法王だったヨハネ・パウロ二世までが、「深刻な経済危機、社会危機は、同国の政治腐敗やエゴイズムが原因だ」と異例の発言を残している。
一八一〇年スペインからの独立を宣言したアルゼンチンは、周辺国との紛争や国内の権力闘争が続いて長らく政情が落ちつかなかったが、十九世紀終わりには豊富な天然資源と肥沃な大地を生かした農牧業で経済発展し、二度の大戦で損害を被ることもなく、海外から多くの労働移民を受け入れて栄えた。しかし、近代化・都市化の一方で大土地所有制は植民地時代以上に進み、贅の限りを尽くす一部の特権階級と大多数の労働者階級に社会が二極化。支配者層が享楽的な生活に?れ、公共の富よりも個人の利益を優先した結果、教育や福祉はおろそかにされる。権力を欲する政治家や軍人が次々に台頭、たび重なる政権交代とクーデターの末、七六年にはさらに過酷な権威主義体制が生まれ、大弾圧によって三万人の行方不明者を出す悲劇が引き起こされる。経済政策の失敗によってハイパーインフレを招き、英国とのフォークランド紛争の大敗北によって国際社会から孤立し、軍事政権が崩壊。八三年に民政に移行するが、財界と癒着した政治家・官僚の汚職、警察・司法も結託した要人の無処罰特権が横行。新自由主義政策による規制緩和で公営企業の民営化と対ドル固定相場を実現、海外からの投資を呼び込みインフレ脱却を図るが、失業者数は増大。無理が祟って二〇〇一年暮れには債務不履行に陥る。大統領が二転三転し、外資離れで通貨ペソが急落、銀行預金の封鎖・凍結、公務員の給料支払い一時停止、外貨両替の制限といった政治・経済的混乱に加え、凶悪犯罪が増加、先行きの不安から多くの人材が国外に流出――。
以上が経済危機勃発に至る大雑把な経緯だが、このライブ対話ツアーが挙行されたのは、ちょうどその直前のことであった。
冒頭で出版元のデル・ヌエボ・エストレモ出版の編集者が紹介しているように、著者マルコス・アギニスとホルへ・ブカイは実に好対照な、傑出した人物である。
痩身に知的なまなざしのマルコス・アギニスは穏やかな物腰に似せず、軍事政権下でも屈することなく物議を醸す小説を執筆し続けてきた作家で、差別や暴力をテーマにした数々の作品は高く評価されている。第6章の会場となった故郷、アルゼンチン第二の都市コルドバは、南米最古の大学の一つコルドバ大学を有する由緒ある学園都市で、名大統領アルトゥーロ・ウンベルト・イリアを輩出。六九年には軍人フアン・カルロス・オンガニーアの圧政に対し、全国に先駆けて学生・知識人・労働者による反政府運動コルドバソが展開された土地柄でもあり、そのような気風が彼のひととなりに多大な影響を与えたことは確かだろう。
アギニス自身が対話中で述べているとおり、彼は多才な経歴の持ち主で、国内外の政治家や各宗教の聖職者との付き合いも広く、独自の持ち味を生かした論文やエッセイも注目の的となっている。スペインの知識人たちもしばしば彼の名に言及するほどだ。数あるエッセイの中でも八八年出版の『虚構の国』は、ユーモアを交えつつも歯に衣着せぬ物言いで、歴史・文学・芸術・政治・経済・社会とあらゆる角度からアルゼンチンという国と国民を論じて大反響を巻き起こした。高校や大学の社会科の資料、はたまた当地に赴任した外資系の企業家や外交官の指南書として大いに活用されたという。ただし、アルゼンチン人にとってはあまりに辛辣で耳が痛く、友人の中には「荷物をまとめて今すぐ国外逃亡したほうがいいのでは」と半分冗談で忠告する者もいたらしい。九三年には本文中でも話題に出た『罪神礼讃』、九六年と九八年にはカトリック司教フスト・ラグーナ猊下との対談集を出版。ライブ対話ツアーに臨んだ際には、ちょうど『虚構の国』の続編とも言うべき『アルゼンチン人であることの残酷な喜び』の執筆中で、前作以上に冴え渡った鋭い記述で慧眼の健在ぶりを見せつけた(ちなみに現在までに十五万部を売り上げたとのこと)。
一方、そんなアギニスを師と仰ぐ、丸々太って人なつっこい笑顔が魅力のホルへ・ブカイは、第5章ウルグアイのプンタ・デル・エステの会場で自嘲ぎみに批判していたが、生粋のブエノスアイレスっ子(ポルテーニョ)だ。ブカイの生い立ちについて本書ではほとんど触れられていないが、デビュー作『クラウディアへの手紙』(一九八九)によると、貧しい家庭に育ち、学費を稼ぐために病院での当直バイトのほか、生地屋の店員からタクシー運転手、路上の靴下売り、保険外交員、ビラ配りまで、ありとあらゆる職業を経験したという。その屈託のない明るさからは想像のつかないような、かなりの苦労人である。
二作目の『デミアンに捧げるストーリー』(一九九四)が二〇〇二年にスペインで改題されて出版、爆発的なヒットとなったために、〝ちょっといい話〟を売り物にするセラピストのイメージが強いが、彼は医学部で精神病理学を修めた、世界的に定評ある歴としたゲシュタルト・セラピストだ。一九九七年米国オハイオ州クリーブランドで開催されたゲシュタルト療法の会議にアルゼンチン代表団の一員として参加。その際におこなった発表が高く評価され、以後、欧米諸国にもその名が広まることになった。
ブエノスアイレス大学医学部で学位を取得する直前、のちに〝職業上の母〟と慕うことになる精神病理学博士ジュリー・サスラブスキーとの出会いが、同時にゲシュタルト療法との出会いとなった。当時実習生として医療現場に出、セラピー目的で芝居や寸劇を催し、司会やコメディアンを演じていたホルへが、みずからの実践について恩師である彼女に話すと、「あなたがやっているのはゲシュタルト療法そのものよ」と教えられたのだ。その後、ジュリーに勧められフリッツ・パールズ、ジョン・スティーブンスといったゲシュタルト療法の先駆者たちの著作のほか、エーリッヒ・フロム、ヤコブ・L・モレノ、エリック・バーン、カール・ロジャース等の心理学関係書、クリシュナムルティやラジニーシなどの哲学書に傾倒していく。さらに影響を受けた本として、ヤコブ・L・モレノの『サイコドラマ』、トーマス・A・ハリスの『I'M OK―YOU'RE OK』(あまりに米国的なベストセラーだが、彼の分析は大いに参考になったという)、エリック・バーンの『人生ゲーム入門』、オーウェルの『動物農場』、ヘッセの『デミアン』、サン=テグジュペリの『星の王子さま』、ヘミングウェイの『老人と海』、カスタネダの『ドン・フアンの教え』を挙げている点は興味深い。
前記二作がアルゼンチン国内でベストセラーとなり、三作目の『考えるための物語集』も好評のブカイが各地でおこなう講演会には、多くの聴衆が殺到した。四作目の『セルフエスティームからエゴイズムへ』(一九九九)は、彼が聴衆とやり取りしながら人間の物の捉え方や思考プロセスをボードに図式化し、逸話を挟み込んで解説する講演会の様子が再現され、会場に足を運べない人々にとってはありがたい一冊だった。そして、この試みがライブ本を企画する布石となったのは確実である。
二〇〇〇年から三年間かけて刊行されたシリーズ『人生のルートマップ』は、それまでの活動の集大成ともいうべき大作となった。巷にあふれる自己啓発本には心地よい言葉が満載されているが、それらを読んだからといって実際の行動は変わらない。何とか読者がみずから気づき、自己変革していかれるような書物が作れないかとの思いからプロジェクトは始まった。自分の人生に責任を負い、他者依存からの脱却を目指す第一巻『自立の道』。他者との出会い、愛情の発見を意図した第二巻『出会いの道』。愛する者の喪失から生じる悲しみや苦悩をテーマにした第三巻『涙の道』。〝幸せ〟は永遠の喜びの状態を生きることではなく、自分の選んだ道を進んでいると確信する時の心の穏やかさであると説いた第四巻『幸せの道』。本書のライブ対話ツアーは、これら幸福な人生の追求に欠かせない道筋を記した珠玉の全四巻が順次刊行されていた最中におこなわれたことになる。
ブカイとアギニスはどちらも作家だが、片やゲシュタルト・セラピスト、片や神経外科医で国際精神分析学会所属の精神分析家という、長年人の心と体の問題に関わってきたスペシャリストである。両氏からタイミングよく発せられる専門的な知識や情報、幅広いうんちく、数々の物語や逸話、思慮深い助言には目を見張るものが多い。参考になると判断すれば、たとえそれが自身の失敗談や苦々しい思い出であろうと、惜しみなく例示するところも特筆すべき点だ。一般的に、人は有名になればなるほど体面を取り繕うものだが、裏表なく正直に人々と接しようとする誠実な姿勢が、おそらくは彼らが多くのファンから支持されている所以なのだろう。
罪に対する見解の相違のように、時として立場の違う両者の意見が真っ向から対立する場面もあるが、相手の言葉にまったく耳を貸さないのではなく、互いの主張を認め合い、議論自体を心から楽しんでいる様子が伝わってくる。わが国でも近年、ディスカッション、ディベートが教育現場で大流行りだけれど、それらはけっして勝敗を競う口喧嘩や言い争いではないということを示す好例である。
また、この手の行事は表向き会場とのフリー・ディスカッションと銘打たれていても、実際には壇上にいる者の演説会になりがちである。ところが、このライブ対話ツアーで著者たちは、話術に長けているのに自分たちの独壇場にしようとはしない。聴衆の緊張をほぐして上手に話を引き出し、発言に耳を傾けて的確なコメントを加え、対話を進めてゆく。よく「話し上手は聞き上手」と言われるが、その手腕は実にみごととしか言いようがない。
そして、この対談を成功へと導いたのはステージで進行役を司っていた自分たちではなく聴衆たちだ。本書の真の主役は二人の有名作家ではなく、作品に蓄えられた知恵を日々の生活に生かしてゆく名もなき読者たちだと主張する。インドの古い説話から引用して名づけられたタイトル『御者』には、そのような著者たちの思いが強く込められている。
二〇〇八年秋の米国発金融危機を発端とした世界同時不況をきっかけに、さまざまな社会問題が露呈し、国内外でようやく本腰を入れて向き合おうとする風潮が芽生えたような感があるが、本書は、世界に先駆けてどん底に突き落とされたアルゼンチン人たちが、過去を反省し、現実をしっかりと見据えて、どのように自分自身や周囲の人々との関係、家庭や社会を立て直していくかを話し合った実録だ。
夫婦のあり方、不貞と離婚、孤独、人生の危機、依存症、家庭内・外の暴力、過剰なダイエットやアンチエイジング・ブーム、麻薬、政治腐敗とメディアの役割……対話中に取り上げられるテーマはいずれも現代社会に生きる個人や集団が抱える万国共通の問題であり、けっして遠く離れた対岸の火事ではない。
先にも述べたとおり、このライブ対話ツアーがおこなわれたのは、アルゼンチンが経済危機に見舞われる直前のことである。危機的状況に際し、なおも浮かれて無関心に暮らしている人々がいる反面、幻滅して祖国を去った人々も多い(一説によるとその数、百万人以上)。しかし、著者たちをはじめとする、会場に集まった大勢の聴衆や本書中で紹介されている人々のように、国に残り、少しでも社会を良くしていこうと、それぞれの分野で日々奮闘している人々もいる。国や自治体が何とかしてくれるまで待っていても仕方ないと悟り、小規模ながらも自分たちのできる範囲で活動し続ける姿も随所に見られる。
最終章でブカイが「個から始まらない仕事は存在しないし、個を尊重することなしに社会全体の問題を考えることもありえない」と述べているが、最初から大上段に構え、「社会を変えよう!地球を救おう!」などと声高にスローガンを叫んだところで何にもならない。まずは自分自身が変わり、次いで身近な人々の変革の手助けをしていく。言うは易くおこなうは難いことではあるが、小さな身の回りの問題から一個一個解決していかなければ、社会は変わりようがない。長期的な視野に立った地道な努力が必要なのだ。
年齢も性別も、出身地も職業も、立場も違うアルゼンチンの一般市民が何を思い、どんな問題意識を持って意見を述べているのかをうかがうのは、その国について深く知るうえで大きな助けとなるだろう。アルゼンチン人といえばマラドーナ、ピアソラ、エビータとステレオタイプ的なイメージが主流を占めるが、本書に登場する人々の中にこそ、本当のアルゼンチン人の魅力があるのではないかとつくづく思う。
翻って現在、日本の社会は危機的状況にあると述べても過言ではないだろう。戦後、高度経済成長を経て経済大国にのし上がったものの、利益優先、学歴偏重、大量消費に溺れ、家庭や社会生活を営む上で大事な部分をないがしろにしてきたため、モラルが崩壊し、経済不振と相まって深刻な問題が噴出している。親子、夫婦、知人間の傷害・殺人、職場や学校における陰湿なイジメ、遊ぶ金欲しさの強盗や詐欺事件、憂さ晴らし目的の放火や責任逃れのための当て逃げ。職を失い、住む場所を奪われ、生きる希望をなくし、みずから死を選ぶ人々の絶えないわが国の現状は、ある意味アルゼンチンよりもさらに深刻かもしれない。
訳者がアルゼンチンに在住していた二〇〇四年、息子を誘拐、殺害された一人の父親が、社会正義の欠如と類似の事件が再発生したことに業を煮やし、事態を打開すべく立ち上がるという出来事があった。彼が連帯を呼びかけた集会には、あらゆる宗教・宗派の聖職者が率先して参加、一般市民が十万人規模で首都中心部に集まり、テレビ、ラジオ各局が揃って実況中継し、新聞各紙も大きく取り上げた(第6章であれほど参加者たちからこき下ろされたアルゼンチンのマス・メディアであるが、見上げたものである)。アルゼンチンの全人口は三千六百十万人(二〇〇一年)なので、約0.3パーセントが集結した計算になる。これを大まかに日本の人口比に換算すると約三十五万人。大体東京都品川区の人口に相当すると言えば、わかりやすいだろうか。アルゼンチンの底力を見せつけられた一幕であった。
彼らから学ぶべきことは山ほどある。
ここで『御者』ライブツアー後の著者たちの動向について簡単に触れておきたい。
マルコス・アギニスは以前にも増して国内外の教育機関での講演活動や講義を精力的におこない、読者と直接対面する機会を設けるようになった。加えて、アルゼンチンの有力紙『ラ・ナシオン』へのコラム連載をはじめ、ラテンアメリカやヨーロッパの新聞に寄稿、積極的に意見表明をしている。小説執筆の傍ら、二〇〇三年には暴力の元凶である憎悪を古今東西の逸話や事件から多面的に分析し、抑制を意図したエッセイ『憎悪の網』を発表。二〇〇七年には『アルゼンチン人であることの残酷な喜び2』も出版され、大いに話題になった。つい先日、最新作『ああ、わが祖国!』(二〇〇九)を発表したばかりである。
ホルへ・ブカイは『人生のルートマップ』でやり残したことを『シムリティ』(二〇〇三)に結実させた。無知から知へと至る道のりをベースに、神話・思想・哲学・宗教・科学など多種多様な観点から西洋と東洋の融合を試みた秀作だ。彼の主たる著作はすべて二十週間以上、ベストセラー・リストに名を連ね、ブエノスアイレス中心街の書店の話によると、特に心理学専攻の学生たちに人気で、大学近くの支店ではすぐに売切れてしまうとのことだ。もちろん学生たちばかりではなく、人間関係や生き方について関心を寄せる幅広い年齢層の読者を獲得している。また、近年はセミナーや講演の活動範囲を海外、とりわけスペインにまで広げ、絶大な支持と人気を得、二〇〇六年には初の小説もそこで発表している。
最後に、訳書の刊行にあたって新曜社の塩浦暲氏から賜ったご尽力に感謝するとともに、出版に至るさまざまな過程でお力添えいただいたすべての方々に、厚く御礼申し上げたい。
なお、原文の若干の誤記、誤植は訳者の判断で訂正したこと、アルゼンチンに関する記述については、読者に理解しやすいよう若干の補足説明を加えたことをお断わりしておく。
二〇〇九年五月
八重樫克彦
八重樫由貴子