目次
序章 中東・イスラーム世界は、なぜここまで堕落したのか[内藤正典]
Ⅰ 総論
第1章 「アラブの春」の背景とムスリム世界の今後の展望[中田考]
序
イスラーム学の視点から
イスラームの歴史観
イスラームの組織原理に対する誤解
現代ムスリム社会
イスラームの近現代
権力による抑圧と言説の歪曲
現代ムスリム世界のイスラーム運動の背景
イスラーム世界の統一の崩壊、スンナ派とシーア派の現代
アラブ社会主義の自壊、反人定法論の理論化とスンナ派復興運動の尖鋭化
シーア派「法学者による後見」論からイラン・イスラーム革命へ
スンナ派世界におけるサウディアラビアのヘゲモニー
1990年代のスンナ派イスラーム主義の反政府武装闘争と9・11
「9・11」以降の展開
「アラブの春」の背景とその後の展開
おわりに
Ⅱ 各論
第2章 イスラーム社会における民主化の希望と失望――トルコはなぜ孤立したのか[内藤正典]
内政の危機――エルドアン政権は何に怯えているのか?
イスラーム主義政党とイスラーム主義市民運動の奇妙な確執
外交での予期せぬ孤立
「正論」による孤立――エジプト・クーデタとシリア内戦
おわりに
第3章 新中間層のイスラーム志向――成長するトルコ経済を支える敬虔なムスリム[森山拓也]
新興経済大国トルコの成長とイスラーム復興
敬虔なムスリムたちの市民運動
新中間層のイスラーム志向と「イスラーム経済」の発展
おわりに――ムスリム社会の発展と安定化への挑戦
第4章 ムスリム社会における信教の自由――トルコ共和国・公正発展党政権下のアレヴィ問題を事例に[井口有奈]
はじめに
国家主義体制下におけるマイノリティ政策
公正・発展党への期待と失望
アレヴィ問題はどこへ向かうのか
おわりに
第5章 マイノリティとしてのイスラーム――タイにおける宗教、民族と政治[西直美]
はじめに
タイにおけるイスラーム
同化から和解へ
タクシンと深南部問題
タイにおける双子の紛争と民主主義
イスラームの政治化とムスリム社会の変容
おわりに―グローバル化とマイノリティとしてのイスラーム
第6章 ムスリムタウンを歩く――9・11とボストンテロを経験したアメリカ東海岸の日常[志賀恭子]
はじめに
マイノリティとしてのムスリム
モスク建設
国籍を問わずムスリムが共同で建設したモスク
ムスリムの暮らし
異文化で暮らすムスリム移民
イスラームから離れた異文化での生活
イスラーム再覚醒
おわりに
第7章 排除と包摂のムスリム社会――イギリス社会はイスラームとどう向き合うのか[米川尚樹]
はじめに
イギリスにおけるムスリム
イギリス社会におけるイスラーム・フォビア
おわりに
第8章 イスラーム武装勢力と西アフリカ――マリ紛争とフランス介入[竹谷まりえ]
はじめに
西アフリカ・マリ
マリとイスラーム
青の民「トゥアレグ」
北部マリ紛争とトゥアレグ――過去の独立運動
2012年~2013年の叛乱
2012年北部紛争のイスラーム系武装組織と北部の関係
フランス軍介入に関するそれぞれの反応――賛成と非難と隠れた思惑
現地から――現地の報道と避難者の想い
おわりに
第9章 「タリバン」の政治思想と組織――「アフガニスタン・イスラーム首長国とその成功を収めた行政」「タリバンの思想の基礎」翻訳・解説[中田考]
序
1 解説
2-1 翻訳
「アフガニスタン・イスラーム首長国とその成功を収めた行政」
2-2 翻訳
『タリバン〔アフガニスタン・イスラーム首長国〕の思想の基礎』(1)
『タリバン〔イスラーム首長国〕の思想の基礎』(2)
タリバン〔イスラーム首長国〕の思想の基礎(3)
タリバン〔イスラーム首長国〕の思想の基礎(4)
タリバンの思想の基礎(5)
註
あとがき[内藤正典]
前書きなど
あとがき[内藤正典]
本書の構想は2013年からスタートしたのだが、この年は中東地域とイスラーム世界にとって、あまりにも激動の年であった。「アラブの春」とよばれた一連の民主化の動きが停滞し始め、エジプトでは軍事クーデタによって完全に民主化は止まり、軍政に逆戻りした。シリア内戦も、最初は「アラブの春」の波及とみられたが、2013年には史上最悪の内戦と化した。序章にも書いたが、編者と執筆者の共通の問題関心は、いったいなぜここまでイスラーム世界の状況が悪化したかという点にあった。ここ数年の状況の悪化が何を意味するのかについては、内藤と中田の共通の関心であったが、共に問題が非イスラーム世界からの誤認や攻撃だけでなく、ムスリム国家に内在することに焦点を当てている。
この事態に国際社会は有効な手立てを講じることがまったくできていない。クーデタが民主主義に反することは自明であるが、エジプトのクーデタに対して、多くの国は「クーデタ」と呼ぶことにさえ躊躇した。クーデタによって政権を奪取されたのがイスラーム主義者のムスリム同胞団に連なる政党だったことが原因である。イスラーム主義による政権というのは、民主主義に反するという思い込みから、彼らを放逐した軍部は正しいことをしたという意識が広く共有された。もちろん、そのようなことはあり得ないのだが、国際社会には、イスラーム主義に対して欧米諸国が流布したイスラーム・フォビアの諸言説が浸透しているから判断を歪めてしまったのである。
同時に、ここ2年あまりのあいだにムスリムの国々で起きたことは、基本的には、近代国民国家の制度や観念というものが、本質的にイスラームとは整合しないことを示している。領域国民国家や主権国家という考え方は、神の法(聖法)を至高の法とするイスラームとは折り合いがつかない。ムスリムのあいだにも、この根源的な矛盾を解消しようとするカリフ制再興の動きがみられる。世界が国民国家によって分断される諸国家体制に支配されているあいだは、このような運動は退行的で時代錯誤と思われるだろうが、EUがそうであったように、国民国家が主権の主張を少しずつ下げるところで地域統合を実現する動きは、むしろ先進的である。ムスリムの国家で、国家の壁を取り払おうとする動きがでてくると、途端に恐怖を抱くのは、現在の指導者たちが権力と富を独占するというろくでもない統治を実践しているからに他ならない。
(…後略…)