目次
はじめに
I 歴史と文化の街パリ
第1章 変貌しつづける都市――パリへの誘い
第2章 フランス革命はパリの誇り――蒸気機関車が走りはじめる
第3章 オースマンの都市改革――第二帝政とパリ
第4章 ボン・マルシェ――消費社会の象徴
第5章 19世紀から20世紀へ――変貌するパリ
第6章 ロスト・ジェネレーション――パリのアメリカ人
第7章 五月革命――今のぼくらの生活はここから始まる
II パリの暮らし
第8章 マルシェ――フランス人の胃袋を満たす市場
第9章 レストラン・ガイドブック――普段着の食事ならミシュランより『プティ・ルベー』
第10章 各国料理――お勧めはクスクス
第11章 ワイン――楽しく深く味わうための基礎知識
第12章 バス――パリで最高の交通手段
第13章 アパート――多難な外国人の部屋探し
第14章 三大のみの市――ヴァンヴ、モントルイユ、クリニャンクール
第15章 カフェ――フランス都市風景のシンボル
第16章 移民街――排斥政策が進む中で
第17章 学校――エリート養成か平等主義か
第18章 アンロッ――ク今のパリを知るための雑誌
III 芸術と文化の首都
第19章 美術館――ポンピドゥー・センター、新ルーヴルそしてケ・ブランリ
第20章 グランプロジェ――大統領とパリ
第21章 外からの音楽、内からの音楽――ワールド・ミュージックvs.新民俗音楽
第22章 ジャズと現代音楽――フランス最先端のミュージシャンたち
第23章 シャンソン、ロック、ラップ――あるアンケートが伝える「歌」の状況
第24章 フレンチ・ポップ――日本とフランスの不思議な関係
第25章 テレビとラジオ――高い文化教養度、途方に暮れる情報量
第26章 バンド・デシネ――マンガの森に踏み迷う
第27章 映画――パリを征すれば世界を征す
第28章 シネマテーク=フランセーズ――世界映画の殿堂
第29章 演劇――「演出家の時代」とその後継者
第30章 秋のフェスティヴァル――世界中の前衛が集うところ
第31章 パリ・サンジェルマン――パリのフットボールクラブ
第32章 ラグビー――新たなスタイルへ
第33章 スポーツをする――バカンスとして楽しむならば……
IV 日本とフランス
第34章 日本人のフランス観――変質する「文化と芸術の都」というイメージ
第35章 フランス人の日本観――壊れたジャポニスムの夢
第36章 東京日仏学院――日本でいちばんフランス的な場所
第37章 お勧めの映画――もっとも現代的な20本
第38章 お勧めのアルバム――フランスを知るための10枚
第39章 文庫で読むフランス――お勧めの30冊
第40章 日本語で読むフランスの詩――いろいろな訳がある
第41章 日本で見るフランス美術――やはり人気は印象派
第42章 東京で食べるフランス料理――美味は皿の上に載っているだけではない
第43章 ミシュラン東京――日本のミシュラン
第44章 フランス留学――必須条件は明瞭な目的と十分な語学力
V 座談会 僕たちのフランス体験(梅本洋一・大里俊晴・木下長宏)
・フランスとの接触
・留学生時代
・パリの物価
・パリに住む
・パリで学ぶ
・自炊と外食
・パリの中心、治安について
・パリの中を移動する
・ものを買う
・中古品とブリコラージュ
・パリはファッションの街なのか
・フランスで暮らすための条件
おわりに
パリ・フランスを知るためのウェブサイト情報
人名索引
前書きなど
おわりに
本書の最後は、少し凡庸かも知れませんが、アーネスト・ヘミングウェイの『移動祝祭日』の巻頭言になった次の文章から始めたいと思います。
「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこで過ごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ」。
ぼくら本書を編集執筆した三人にとって、ヘミングウェイの言葉はいつもまでも真実です。もちろん、ヘミングウェイが過ごした1920年代のパリと今のパリは同じではありません。本書の至る所に刻印されているように、パリの音響も映像もフランスに内在するものがそのまま表象されているのではなく、フランス語を母国語にしない人々の音響や映像が混在し、それがパリの現在にとって欠かすことのできない要素になっています。ぼくら三人も、外国人としてパリである程度の期間生活したわけです。しかし、ヘミングウェイが過ごしてから何十年か経ってから、この街に暮らしたぼくらですが、ヘミングウェイが懐述した「移動祝祭日」というパリの印象をぼくらも見事に共有しています。
本書の中に、本書のもとになった『現代フランスを知るための36章』に掲載した編者三人の鼎談を、少々の改訂をしてそのまま入れたのも、ぼくらにとって「その後の人生をどこで過ごそうとも、パリはついてくる」からにほかなりません。今回、改訂のために、その鼎談をもう一度読み返してみたのですが、それほど多くの改訂を必要としませんでした。その表層こそ大きく変わっているけれども、パリのエッセンスは驚くほど変わっていません。
一九九二年に亡くなった映画批評家のセルジュ・ダネーは、この街で生まれた映画運動であるヌーヴェルヴァーグについて、こんなことを書いていたのを思い出します。ヌーヴェルヴァーグの若い映画人たちは、この街は映画に撮られる価値があるのだ、と自分たちの映画を撮ることで主張したのだ、ということです。確かにヌーヴェルヴァーグ以前のフランス映画は、パリをロケで撮影するのではなく、撮影所にパリのセットを作って撮影することが多かったようです。もちろん優れた美術監督のアレクサンドル・トローネルなど、パリのセットを作った人々の功績は評価すべきでしょうが、セットのパリは、パリについて人々が持っていたイメージを再現したものであって、本物のパリではありません。そして、戦前戦後のフランス映画を見たアメリカ人も日本人も、トローネルのセットのパリを本物のパリと勘違いしたというわけです。ヌーヴェルヴァーグの重要性は、生々しい同時代のパリを記録したことだ、なぜなら、パリは映画にする価値がある都市だからだ、というのが、ダネーの説明です。同感です。
今世紀に入って、パリをいちばん見事に撮影した映画は、不思議なことにアメリカ映画です。アメリカの中堅映画監督リチャード・リンクレーターの『ビフォア・サンセット』という映画です。主人公はアメリカ人の小説家に扮したイーサン・ホークです。彼の小説の仏訳版が出版され、彼はパリで講演をします。場所は、シェイクスピア&カンパニー書店。そこで九年前にウィーンで別れたフランス人のガールフレンドに偶然再会します。ガールフレンド役をジュリー・デルピーが演じています。講演が終わり、ホークのアメリカ行きの飛行機が出発する夕刻までの二時間、パリの街を散歩するというのがこの映画のすべてです。そのパリがヌーヴェルヴァーグの映画のように瑞々しいのです。ベンヤミンが十九世紀の首都と呼んだ古い大都市の古色蒼然とした雰囲気とは正反対の、まるで今生まれたばかりの都市といった光に溢れた若々しさが、その映画にありました。つまり、パリは、いろいろな変化を被っても、やはりいつも美しい若々しい都市であって、いつまでも「移動祝祭日」を生きているのかもしれません。
本書は、二〇〇〇年に出版された同じ三名の編者による『現代フランスを知るための36章』を、パリを中心に編集し直し、新たな編集方針に従って、多くの章を書き下ろしたものです。同じ名前の章でも、内容は今のパリに沿って書き直されていますし、大きな分類も章の順番も変更されています。ですから、これは『現代フランスを知るための36章』とは、まったく異なる書物といえるでしょう。編集執筆作業の間に、ぼくら三名にも変化がありました。いちばん大きな変化についてだけ書いておきます。編集作業中に、もう一度パリに赴いて新たな変化について取材した大里俊晴が、二〇〇九年十一月に病気で亡くなりました。彼が次々に書いてくる、主にパリの音響についての章は、ぼくらにとっていつも大きな刺激になっていました。本書の編集執筆の作業がほとんど終わり、こうして「おわりに」を書いていると、ようやく大里俊晴に対するぼくらの重い宿題が終わった気がします。
二〇一二年二月 編者代表 梅本洋一