目次
はじめに
新種の人種差別
オバマ支持者は社会正義を求める運動を
I オバマ、白人の拒否、人種差別の現状
序 オバマの勝利は何を意味するのか
1 人種差別は変わっていない
2 語られない白人の特権
1 所得と雇用の差別
2 住宅差別による甚大な被害
3 不平等を生む装置としての教育
4 警察の不当な取締り
5 健康・医療における人種差別
6 ハリケーン・カトリーナ後の人種差別と黒人狩り
7 大統領選挙における人種差別
3 黒人大統領を選んだ白人の心理――レイシズム2.0の勝利
1 「人種を超えた」の落とし穴
2 白人の建国理念を賛美するオバマ
3 白人はオバマ以外の有色人種をどう見ているか
4 レイシズム2.0と能力主義の危険な神話
5 固定観念に対する恐怖
II 真実を語る大胆な行為――白人の責任を追及する
序 オバマ勝利の危険なシナリオ
1 白人が取るべき個人的責任とは
2 白人は人種差別の被害を十分に理解すべき
3 白人は黒人との対話から正しい歴史を理解できる
4 白人による人種差別反対運動
5 白人はあらゆる人種差別に反対の声をあげるべき
訳者解説 人種差別の観点から見たオバマ大統領
反オバマのティー・パーティー運動
医療保険制度改革への反対
大統領は嘘つきという発言、善意の人種的発言
辞任したロット、許されたバイデンとクリントン
オバマ大統領の人種発言
黒人を特別扱いしないオバマ
「言い訳は無用」を黒人に強調
世論調査から見たアメリカ人の人種観
人種に関する世論調査の結果
注
索引
前書きなど
はじめに(ティム・ワイズ)
二〇〇八年一一月四日、アメリカ東部標準時間の午後一〇時過ぎ、テレビ・ネットワークはビッグ・ニュースを報じ始めた。バラク・オバマ上院議員がアメリカ合衆国第四四代大統領に選出され、有色人種が史上初めてアメリカ最高の公職に就任することになったというのである。その直後から、この出来事がアメリカ史上でどのような歴史的な意味をもつのか、あちこちで議論が始まった。当然である。奴隷制、公民権剥奪、白人による支配という基礎の上に建国された国にとって、有色人種の候補(しかも、アメリカに長年存在してきた人種分類によれば、この人物はまぎれもなく黒人である)が、国の最高権力者に選出されたことは、きわめて重要である。
多くの新しい有権者、とくに有色人種の新しい有権者がオバマに投票した。記録的な投票率であった。以前には、このようなことが起こるなど想像していなかったアフリカ系アメリカ人(黒人)は、これまで奪われてきた自分たちの誇りについて語り合った。ここ四〇年の進歩はめざましい。それ以前には、有権者登録をするだけで死の危険に遭遇したり、実際に殺された人もいたのだから、歴史の変化をかみしめたに違いない。したがって、アメリカにとって、人種やレイシズム(人種差別主義)にとって、オバマの勝利にどのような意味があるのかを論じることは、しごく当然である。
それが意味すること、そして意味しないことは、オバマの勝利に酔う投票者の気持ちで決まるわけではない。オバマの政治的台頭が何を意味するのかは、この国がいまどのような状況にあるのかによって決められる。つまり、オバマ以外の約九〇〇〇万人の有色人種である黒人、ラティーノ(ヒスパニック)、アジア・太平洋諸島系、先住民、中東系の人々が、アメリカをどう率直に評価するかである。その評価が定まれば、アメリカの人種・民族的現実が、一部の人が思っているよりも、はるかに複雑であることがはっきりしてくるだろう。オバマのように有色人種が個人的な成功(一世代前には考えられなかった)を収めることは意味のあることだが、現実のアメリカ社会の制度や仕組みが示しているように、文化に深く根ざした疾患といえるレイシズムがアメリカにはある。オバマが勝利したからといって、レイシズムがなくなるわけではないし、弱まることさえもないのだ。
◆新種の人種差別
そこで本書では、オバマの大統領当選が何を意味するのか、あるいは意味しないのか(こちらのほうが重要だ)について、人種、二一世紀初めに白人であることの権力、アメリカそのものの三点を視野に入れて論じてみたい。第I部「オバマ、白人の拒否、人種差別の現状」では、多くの人が信じているのとは反対に、オバマの個人的な成功にもかかわらず、制度的なレイシズムと機会の不平等がいまだに有色人種の生活に影響を与えていることを明らかにする。さらに、オバマの成功が、個人的あるいは制度的な白人のレイシズムがなくなることの前兆になることもなく、逆に、まったく新しいレイシズムの台頭を意味しているといってもよいことを論じる。うまい表現がまだないのだが、レイシズム2.0あるいは啓蒙された例外主義ともいうべき、新種の人種差別が生まれている。これは、有色人種の個人的成功が許され、成功すれば祝福されるが、成功者が他の標準的な黒人と褐色の人々とは違って、魅力的で病的でないと判断されたときに限られる。もしも、オバマのような有色人種に白人が好意をもち、尊敬し、投票までするのは、オバマが黒人であることを「超越している」からというのであれば、黒人候補の成功がレイシズムの終わりを示すという主張は、まったく意味をなさない。白人が黒人の成功に条件をつけるのは、人種がいかに重要であるか、そして白人による黒人支配がいかに不正に満ちていたかを認めているからである。今回の選挙では、白人投票者の四三%がオバマに投票したことは、一九六四年大統領選挙のリンドン・ジョンソン候補以降、どの白人の民主党大統領候補の得票率よりも高いので、確かに印象的ではあるが、多くの人が考えているほど高いものではない。
(…中略…)
◆オバマ支持者は社会正義を求める運動を
本書の第II部「真実を語る大胆な行為――白人の責任を追求する」では、オバマの大統領選挙出馬と大統領当選によって、白人社会が抱えることになった独特の課題について検討する。根っからの人種差別主義者は、巻き返しを求めて、オバマの台頭によってアメリカは最悪の文化的堕落に追い込まれたと主張する。その一方で主流派の解説者は、オバマの勝利を称賛し、アメリカではレイシズムが強い社会的な力を失い、人々はもはやそれに取り組む必要がなくなったという証拠に利用しようとする。だがこれらのほかに、われわれの進むべき方向を示す、思慮分別のある選択肢がある。それは、この機会をとらえて、オバマ陣営が選挙中に発揮したエネルギーを活用し、またオバマ自身とオバマの「変革」スローガンを心から支持した人たちを動員して、生産的なレイシズム反対運動と社会正義を求める運動に参加してもらうことである。つまり、新しい時代の幕開けを利用して、白人の反人種差別主義的なアイデンティティを強化し、大胆な希望だけではなく真実をも求め、われわれが可能と信じている以上に多くのことを、われわれ自身にも求めることである。オバマは黒人に対して、黒人社会の問題について黒人自身がもっと責任をもつべきだ、という挑戦的な主張を行った。このメッセージは、もちろんオバマ自身が心から信じていることではあるが、その一方で、オバマの立候補に対して、白人に好感を抱かせる意図があったことも確かである。オバマのこの主張に対して、白人の側も、いっこうになくならないレイシズム、人種的権利の侵害、白人のみが努力なしに獲得する特権などについて、個人的な責任をもつべきなのだ。換言するなら、有色人種が自らの生活に責任をもつことは、レイシズムがあるなしには関係なく、確かに望ましいことではある。しかし、白人にとっても、レイシズムおよび特権という社会の汚点について責任を取ることは重要である。黒人と褐色の人々が社会でどのような行動をとっているかについては、白人がどのように考えようが、それとは無関係である。個人的責任とはいわば、相互的なものなのだ。
(…後略…)