目次
はじめに
序章 小型の多民族社会——マイトシップから文化多元主義へ
I 政治
第1章 立憲君主制から共和制へ——なぜ複雑な順位指定連記投票制をとるのか
第2章 共和制運動——発生の背景と最初の共和派
第3章 ヘンリー・ロースン——共和派のシンボル
第4章 共和制移行への動き——政治生命をかける保革両陣営
第5章 国民投票——涙をのんだ共和制運動
第6章 革新政権が「保守革命」断行?!——共和制挫折以後の停滞とその歴史的背景
第7章 「安定の大いなる神」ナンバー2——オーストラリア荒廃の秘密とは?
第8章 ANZAC——第一次世界大戦の敗北が聖戦に
第9章 復員兵士連盟——なぜガリポリだけが脚光を浴びるのか
II 経済
第10章 地下資源のナショナリズム——宝の上で羊を飼っていたオーストラリア
第11章 ジョーゼフ・グトニク——「地下資源のナショナリズム」を変質させたユダヤ系鉱山王
第12章 ルパート・マードック——オーストラリアを越えたオーストラリア人
第13章 メディア戦争——フェアファックス家vsマードック
第14章 ソフト獲得——マードック最新の母国侵攻
第15章 ラグビー・リーグ再編——パッカー一族との死闘
III ブッシュ・カルチャー
第16章 アウトバック——「極限の外」としての奥地
第17章 文化の根幹——職人の気骨と無愛想な親切
第18章 ブッシュマン——憧れと郷愁
第19章 ブッシュ・ミュージック——オーストラリア版カントリー・ウェスタン
IV ビーチ・カルチャー
第20章 ビーチコーマー——南海の最果てに流れ着いたヨーロッパ人
第21章 海難救助隊——大自然と闘うサーフ・ファイター
第22章 サーフィン——もとは中流子弟の遊び
第23章 ゴーイング・トロッポ——クォリティ・オヴ・ライフを求めた人口大移動
第24章 ゴールド・コースト——天国の破壊と人びとの最後の抵抗
V スポーツ・カルチャー
第25章 クリケット——圧倒的人気を誇る国民的競技
第26章 クリケットとフットボール——スポーツから見たオーストラリア人の二面性
第27章 遺灰事件とボディライン事件——勝敗に表れる国民性
第28章 勝てない英国——ラグビー、サッカー、テニスも
第29章 フットボール——オーストラリアン・ルールズはなぜ興奮させるのか
第30章 T・W・ウィルズ——今日のオジー・ルールズを確立
第31章 メルボルン・フットボール・クラブ——スキピーズvsワッグズの時代へ
第32章 AFLの覇権争い——メルボルン勢の衰退と他州勢の台頭
第33章 2000年のシドニー・オリンピック——「疑似独立」再び、そしてマイノリティのガス抜き装置
VI 民族のサラダボウル
第34章 アボリジニ——アウトバックと都市との違い
第35章 ハワード政権下でのアボリジニ——先住民、社会主流化抜きでの文化的自立?
第36章 アングロ=ケルティクス——英国系、アイルランド系の対立と共存
第37章 政界民族地図——ゆるやかな対立構造
第38章 ロバート・メンジーズ——スコットランド系の典型的な大物政治家
第39章 さまざまな民族集団——社会主流化度の差と母国での対立の輸入
第40章 移民同士の対立——クロアチアvsセルヴィア、ギリシャvsマケドニア
第41章 ギリシャ系——イタリア系との競合
第42章 ペトルー・ゲオルギュー——ギリシャ系最大の政治力を持つ希望の星
第43章 イタリア系——ギリシャ系よりも差別されてきた人びと
第44章 ピーター・コステロ——連邦政治の演出者にもイタリア系が登場
第45章 足踏みさせられるコステロ——信長型、一転、家康型に
第46章 ユダヤ系——少数ながら高い社会主流化率
第47章 ドイツ・ユダヤとロシア・ユダヤ——「ドイツ・ユダヤ」はシドニー、「ロシア・ユダヤ」はメルボルンへ
第48章 社会学的ホロコースト——信仰への固執が裏目に
第49章 インドシナ系——ギリシャ系をも凌ぐヴェトナム系の主流化度
第50章 ヴェトナム系の出世頭の有為転変——キャブラマタの主、事件の渦中に
第51章 組織犯罪——全国平均の3倍の失業率が魔窟を生む
第52章 白豪主義症候群——アングロ=ケルティクスの鬱積
VII アジアとの共存
第53章 イスラム圏アジアとの共存——アジアとは関わりたくない、でもなしには生きていけない
第54章 儒教圏アジアとの共存——独裁者の隠れ蓑でない「アジア的価値」の創出を願う
第55章 日米との共存——日本企業撤退と高い米国依存
VIII 最新の動向
第56章 11年ぶりの政権交代——自由=国民両党連合政権から労働党政権へ
第57章 気になる民族集団、ヴェトナム系とユダヤ系——多民族融合の熟成と矛盾
第58章 東アジア共同体への道筋——「北の梯子」(日・韓)と「南の梯子」(豪・NZ)
前書きなど
はじめに
私が1979年から80年にかけて1年間、シドニー大学の客員研究員としてオーストラリアで暮らすと言うと、同僚の1人が「ああ、そりゃもったいない」と言った。彼は、〈オーストラリアなんて3カ月もいれば十分〉と言いたかったらしい。
一方、中世英語の研究者には、オーストラリア、カナダ、アメリカなどの人間が多いという。ある日本人の中世英語研究者によれば、彼がオックスフォード大学で中世英語の勉強をしていたとき、「あんたの国には立派な中世があるのに、なぜ外国の中世なんか研究するんだ?」と絡んだのが、オーストラリア人の研究者だったという。
オーストラリアをはじめ、アメリカ、カナダ、ニュージーランドなどのいわゆる英語圏の新世界諸国には、中世がなかったので、中世英語の研究者の大半がこれらの国々から出てくるらしいのだ。しかし中世がなかったからこそ、「新世界国家」という、世界史上でも極めてユニークな立場を手に入れたのではないか。「歴史とは私がさめたいと願っている悪夢です」とは、ジェームズ・ジョイスの主人公スティーヴン・ディーダラスの言葉だが、その重要な「悪夢」の一角が欠けているからこそ、これらの国々は世界史の動向を急展開させえたのだ。新世界国家が断行した〈脱ヨーロッパ運動〉は、中世という「悪夢」を背後に振り捨てる行動だったのである。
私は、たとえばホイジンガの『中世の秋』を学生時代に読まされて、面白いとは思ったが、感覚的には中世を持つ国は、日本も含めて全て好きにはなれない。したがってヨーロッパへは、日本ペンクラブから派遣されたとき以外、1度も行っていない。2000年5月もモスクワへ行かされたが、ヨーロッパの国々が味が濃いのは分かる。しかし、それがどうしたというのだ。
中世がなかった国の希薄さやはかなさが、私には性に合う。アメリカには中世はなかったものの、別種の濃厚さが出てきたので、新世界国家ならではの濃厚さがまだ出てきていないオーストラリアのほうが、一層、性に合うのだ。
私は妻と3人の息子らと、シドニー北岸のキラーニー・ハイツの借家で1年暮らした後、KDDの原田忠昭出張所員に空港まで送ってもらうときは、この国と別れるのが切なくて内心泣いていた。
(…中略…)
今回、新たに「VIII 最新の動向」の3章を加えて[第3版]へとアップデイトした。「ユーラシア大回廊」の東端に新たな共通通貨圏が視野に入り始めた矢先、今こそオーストラリアに対してこの国の国民詩人ヘンリー・ロースンの詩句(第3章)を高々と掲げたい。
「南の息子らよ、目覚めよ!」
2009年11月初旬 越智道雄