目次
はじめに
第1章 人間は動物である
第2章 人間における社会構造の起源
1 霊長目の分類と進化
2 旧世界高等霊長目の組織化
3 原初ヒト上科の社会を再構築すること
■テナガザル
■オランウータン
■ゴリラ
■チンパンジー
4 むすび
第3章 人間文化の起源
1 哺乳類の脳進化
■脳の精巧化
■新皮質の作用
2 霊長目の脳進化
3 発話と言語の出現
■サヴァンナにおける騒音の制御
■コミュニケーションと社会性
4 むすび
第4章 最初の人間社会——狩猟・採集民
1 人間諸社会の組織上の特徴
(1)人口誌の次元
(2)空間の次元
(3)制度の次元
(4)階層の次元
(5)カテゴリーの次元
(6)団体の次元
2 狩猟・採集民の社会組織
3 むすび
第5章 親族関係の檻——初期農耕社会
1 初期農耕社会の組織
2 むすび
第6章 権力の檻——農耕社会
1 「第二の檻」を構築すること
2 農耕社会の組織
3 むすび
第7章 社会という檻からの脱出——産業社会
1 産業社会とポスト産業社会の組織
2 ポストモダニティに関する覚え書き
3 むすび
第8章 人間は社会的である、と考えすぎることの誤謬
1 人間はいかなる意味で社会的か
2 人間はどうして檻に閉じ込められたか
3 いくつかの含意と最終の解説
原注
訳者あとがき
参照文献
前書きなど
訳者あとがき
(…前略…)
ジョナサン・ターナーの説法は実に周到である。『社会という檻——人間性と社会進化』において、基本的な問題点を洗い出し、そしてそれぞれの問題について解答を導くために取り組むべき課題を明示的にあるいは黙示的に提示している。本書を刊行した以降におけるターナー(とマリヤンスキー)の知的営みは、それぞれの問題を解いていくための着実な歩みである。その第一歩が、一九九五年に刊行された、『マクロダイナミクス——人口集群の組織化に関する理論』であり、次いで二〇〇〇年に出版された『感情の起源——自律と連帯の緊張関係』(〈ジョナサン・ターナー 感情の社会学〉シリーズの第 I 巻として二〇〇七年邦訳刊行)である。次に、『出会いの発達過程——対面相互作用のダイナミクス』(二〇〇二)、『人間の社会制度——社会進化の理論』(二〇〇三)、『人間感情の理論と調査研究』(編著、二〇〇四)、『近親相姦——インセスト・タブーの起源』(共著、二〇〇五)、そして『感情の社会学』(共著、二〇〇五)へと展開していく。この一連の書物のなかで、ヒトの脳の発達、人間感情の起源と理論、近親相姦、対面的相互作用、社会組織化と社会制度、人口集群の組織化など、本書『社会という檻』で提起した問題にそれぞれアプローチし、一定の知見と見解を順次提出していることは、まさに驚異的なハードワークである。さらにつづいて、ターナーは、『人間の感情——社会学理論』(二〇〇七)、そして『自然選択からみた社会の起源』(二〇〇九)を刊行し、まちがいなく「社会学(理論)」の再構築を行うためのあらたな出発点に立ったといえるのではあるまいか。人間(ヒト)は樹木、そして森林を逐われて大地に移動し、食べ物を確保するため、自らを捕食の危険から守り、そして子孫を残すために、類人猿の行動性向にある意味反して、核家族を創設し、社会を組織し、自らを檻のなかに閉じ込めたというのだ。弱い社会的紐帯しかもたない、自律と自由な移動を好む類人猿が、社会的連帯と社会的凝集を生みだすために最大限に利用したのが、発達する大きな脳、これにともなう感情と感情言語の精巧化であった。
『感情の起源』および本書『社会という檻』の二冊で、くわしく述べられているように、人間を含む類人猿に具わっている感情資源の基礎は、「恐れ」「怒り」「悲しみ」そして「幸せ」の四つの「原基感情」である。この感情を利用して核家族や社会を組織することは、一言でいえば、矛盾である。なぜなら四つの原基感情のうち三つまでが否定的感情だからである。しかしヒト科のホミニンが生存を確保するために利用できる手だては、感情の精巧化、すなわち肯定的な感情、自分とともに他人をもうれしくさせ、また幸せにさせる感情(快楽)の割合を増やし、ヒトどうしの出会いとコミュニケーションを増進し持続するほかなかったのだというのが、ターナーの壮大な物語のはじまりである。核家族とバンドからなる人間にとっての最初の檻は、発話言語や高度な社会制度や文化の未発達な段階においてようやくたどり着いた適応戦略の成果であった。核家族とバンドからなるヒト社会の時代がおそらく数百万年継続したのであろう。
しかし人口集群の規模と密度が増大すると、とてもバンド社会で適応できなくなり、社会という檻は、親族関係(単系出自集団)を軸にした初期農耕社会、そしてさらに社会権力と階層制を軸にした農耕社会へと急速に展開し、人間は「共同体」という苛酷な檻に閉じ込められ、対人的、全身的な服従と監視を強いられる羽目になった。この一万年間、進化した類人猿は自己の抑圧と不自由の歴史を体験してきた。ジョナサン・ターナーは、近代資本主義社会あるいは産業社会について、マルクスやエンゲルスとは違う見方を採用する。その見方は、スペンサー、とくにジンメルの見方に近似している。
本書『社会という檻——人間性と社会進化』のファースト・オーサーは、アレクサンドラ・マリヤンスキーであり、ジョナサン・ターナーはセカンド・オーサーの位置にあるが、しかし本書において提示される基本構想は、二人が共有するアイディアに基づくのであり、決してジョナサン・ターナーがいわゆるセカンドの立場にあるのでないことは、その後の一連の著作が証明しているところである。
(…後略…)