目次
はじめに
第1章 女性学のルーツへ、そして女性問題の現在に
第2章 私の「女性学/ジェンダー研究」教育実践から
——「周辺性」の二つの意味
第3章 ジェンダー研究からセクシュアリティ研究への広がりの中で
第4章 田中美津とフェミニズム
——からだとエロスとエクリチュール・フェミニン
第5章 「痛み」を棚上げしない思想として
——ケアと暴力へのフェミニズムのまなざし
第6章 ジェンダーを再生産する学校
——学校文化の中の女子生徒
第7章 ジェンダーフリーな教育がめざしたもの
——バックラッシュの中から見えてきたこと
第8章 不安なく異なっていられる社会を
——「基本法」の日本的修正を超えて
第9章 ジェンダー・バックラッシュの構図と内面
第10章 「法」の後の、「労働」・「再生産」のゆくえ
——不安なく異なっていられる社会からは程遠く
付録1 術語集
——女性学・ジェンダー・フェミニズム・家父長制・クィア
付録2 出版動向にみる女性学/ジェンダー研究
文献
おわりに
前書きなど
はじめに(一部抜粋)
(…前略…)
本書は10章構成をとっている。
第1章、第2章、第3章、および付録では、私の女性学/ジェンダー教育実践を通して、女性学研究/ジェンダー研究、フェミニズムの現在に向けて若干の問題提起を試みたいと考えた。女性学に遅れてきた人間であること、女性学のメインストリームにではなく「周辺性」から発言する私の位置に自覚的であろうとすることにこだわった。しかし私の実践からの発言に傾きすぎることを危惧し、女性学、フェミニズムに関わる定義的説明を付録として「術語集」に配し、また「女性学/ジェンダー研究」に関わる出版動向を、二〇年間定点観測した分析記事を加えた。
第4章、第5章では、第二波フェミニズムのラディカル・フェミニズム、さらに女性学を登場させる起爆力となったウーマン・リブを日本の八〇年代のフェミニズムを通った地点から、田中美津論として、取り上げた。さらにフェミニズムの現在を、老い・ケアの位相から問い返すことによって、パターナリズムからの自立を求めて、リベラリズムに解放軸を立ててきたフェミニズムが、死角化してきた問題はなかったかを問うた。
第6章、第7章では、フェミニズム・女性学の最大の思想的理論的実験場ともいうべき教育の場での、ジェンダーフリー教育について、バックラッシュを通った後の地点から、問い返すことを課題とした。フェミニズムのジェンダフリーの命題に、またその教育実践に、バックラッシュ側からの批判を呼び起こす余地はなかったか、という自己参照的なまなざしをもって考察した。
第8章、第9章、および第10章では、名称問題を含む日本的修正を余儀なくされた「男女共同参画社会基本法」制定の法の理念的側面を見失わないために、法の前後での女性の状況について何を見ていかなければならないかを考えた。
バックラッシュはこの時代を生きる我々自身を映し出す鏡であるとして、我々自身の内面の不安とも無縁ではないとするところから、捉え返している。それが女性内部にも女・女間格差化を作り出している「格差化社会」の現実と、労働・再生産の行方を捉え返すまなざしを深くするであろうと考えるからである。
つまり本書における私の発言のスタンスは、女性学とフェミニズムとの両翼にわたる問題意識に立ちつつも、その重心は女性学の側に置いている。フェミニズムにおける私のポストモダン・フェミニズムあるいはポスト構造主義ジェンダー論に位置する、主流のフェミニズムよりもさらに左側からの問題意識を踏まえつつも、本書でのメッセージを発する対象への目線は、若い学生や主婦的状況にあるマジョリティ女性たちに向けられている。「まったり主婦したい」といった女子学生のつぶやきには、それがどんなに甘い幻想か、いまどき結婚にだけ女の人生の保険をかけて生きることがどんなにリスキーか、逐一論駁してみせる。それが女性学/ジェンダー研究分析の見せ所というべきではあろう。しかし彼女たちを「おバカな」「甘い」とみるか。それとも、彼女たちを、私たち先行世代のフェミニズムの「自立」や「自己実現」あるいは「社会参画」のメッセージが死角化したものの「映し絵」として見、そこにフェミニズムも共有していた近代の「自我病」を読み取るか。分析視座も違ってくるはずである。本書の基本的なスタンスは後者である。フェミニズムは正しいことを言い続 け道を切り開いてきたのに、いまどきの若い女性たちはなんとも不甲斐ないことと嘆き、彼女たちを批判することでよしとするのではなく、むしろ「彼女たち」を鏡として、フェミニズムの自立や自己実現のメッセージの伝わりづらさ、その伝え方の問題、さらにはフェミニズムの盲点を映し出すものとして、フェミニズムへの自己言及的な問いを向けてみたいからだ。
つまり現代を生きるマジョリテイの女性たちの問題意識に寄り添う形で、そこから日本のフェミニズム・ジェンダー研究・女性学に自己再帰的なまなざしを向け、現在を生きる女性たち/男性たちに、メッセージを送り返そうとするものである。しかし同時に、女性学からジェンダー研究へ、さらにセクシュアリティ研究からクィア研究まで、大きく拡張的にウィングを張りつつあるフェミニズムの知的奥行きも伝えたい。その思いゆえに、論述は、すでに既知の女性学に関する啓蒙的情報から、フェミニズムのフロンティアの問題意識まで及ぶ。その振幅が本書を少し難解なものにもしているかもしれない。
ともあれ、私自身が本書を書き終えて、第二波フェミニズム、ウィメンズ・スタディーズ(女性学)が、「主婦」という存在の「女性問題」を発見したところに端緒をもつこと、主婦という規範のあまりに深く自身に内面化された縛りと「女」であることのズレの感情、その生きがたさへの気づきからスタートした「自分探しの旅」であったことを、再確認したのである。この女性たちの初発の感情に女性学の原点があることは見失われてはならないのではないか。本書がそこから語りだすことにお付き合いいただきたい。