目次
序章 介入と支援のはざま——本書の課題と構成(松本伊智朗)
1 介入と支援のはざま
2 本書の意図——介入と支援をめぐるわが国の動向
3 本書の構成と論点
4 本書の骨格と付随する論点
第1章 子どもをケアし親を支援する社会の構築に向けて(小林美智子)
1 はじめに
2 わが国はどの道を選ぶのか?——リチャード・D・クルーグマンの助言
3 わが国の経緯
4 四つの虐待防止対策
5 虐待された子どもの心のケア
6 今後のわが国の課題
7 おわりに
第2章 子ども保護の今後の発展(アイリーン・ムンロー/屋代通子訳)
1 はじめに
2 社会における子どもの位置づけの変化
3 国家と家族との関係性の変質
4 家族支援と家族介入——虐待対応が子どもや親に関わるさまざまな専門機関の活動に与える影響
5 おわりに
第3章 イギリスにおける政策方向と「ゆれ」(松本伊智朗)
1 本章の課題
2 最初に感じた疑問
3 一九八九年児童法と「ワーキング・トゥギャザー」
4 ビクトリア・クリンビー事件とイギリスの「ゆれ」
5 おわりに
第4章 子ども虐待防止活動の総括と展望——シンポジウムにおける討論
(報告者・小林美智子/アイリーン・ムンロー 指定討論者・田中康雄/峯本耕治 司会・松本伊智朗)
1 小林報告をめぐって
2 ムンロー報告をめぐって
3 連携とパートナーシップ
4 リスクマネージメントの理解
5 死亡事例の検証
第5章 当事者としての子どもの権利(屋代通子)
1 はじめに
2 虐待と子どもの権利
3 虐待対応過程への当事者参加
4 当事者参加の課題と克服
5 自己決定を取り戻す
6 おわりに
第6章 子どもの育ちと援助者の立つ位置(田中康雄)
1 子ども虐待の現状
2 子どもの育ちと虐待が生みだす影響
3 援助者の心のケア
4 おわりのない作業として
第7章 介入・支援と連携——子どもの成長と発達を保障するために(峯本耕治)
1 虐待問題の現状と特徴
2 児童福祉法改正、児童虐待防止法改正が求める関係機関連携について
3 重大事件の防止と機関連携
4 在宅支援の充実と機関連携、児童相談所の果たす役割の重要性
5 市町村児童虐待防止ネットワークの充実のために
6 就学年齢に達した子どもに対する虐待への対応——学校を中心とする機関連携の取組み
7 おわりに
あとがき(小林美智子)
執筆者紹介
前書きなど
序章(松本伊智朗:一部抜粋)
3 本書の構成と論点
以下、本書の執筆者と各章について、簡単に紹介しておきたい。序章「介入と支援のはざま——本書の課題と構成」と第3章「イギリスにおける政策方向と『ゆれ』」の執筆を担当する松本伊智朗は、児童福祉研究・貧困研究を専門とする大学教員である。民間団体である「北海道子どもの虐待防止協会」の活動に関わっている縁で、二〇〇五年度の「日本子ども虐待防止学会第一一回学術集会・北海道大会」の実行副委員長・事務局長を務め、同時に本シンポジウムの企画・司会にあたった。
1 社会のなかの子ども虐待問題
第1章「子どもをケアし親を支援する社会の構築に向けて」と「あとがき」を執筆する小林美智子は、本シンポジウムの日本側の報告者を務めた。第1章はこれが下敷きになっている。小林については、今さら紹介するまでもない。大阪での民間活動の主導を手始めに、わが国の子ども虐待防止活動の歩みを創ってきた中心的な一人である。現在でも医師として実践活動の一線に身をおくと同時に、日本子ども虐待防止学会の会長を務めている。第1章では、わが国のこれまでの歩みを総括し、今後の展望を示している。長く子どもと親に向き合ってきた経験と、わが国の歩みを主導してきた活動に裏づけされた総括は、具体的でかつ含蓄と示唆に富み、この場での安易な要約を許さない。「ケアする社会の構築」という一見何気ない結論に、説得力と重みを持たせている。
第2章「子ども保護の今後の発展」を執筆するアイリーン・ムンローは、ソーシャルワークの実践家、研究者として長くイギリスの子ども虐待問題を考察してきた。ロンドン大学政治経済学院(LSE)で教鞭をとるかたわら、新聞等への寄稿も多い。司会の松本がイギリスに留学していたときの、指導教員の一人である。本シンポジウムではイギリス側の主報告者を務めた。本章はその報告に基づいている。研究者の立場から、イギリスのこれまでの経験と教訓を、実践のあり方と社会の問題の双方から離れることなく描いている。子ども虐待防止活動が進展するなかで社会に起こる変化を、1.子どもの権利の定着、2.国家と家族の関係の変化と介入の容認、3.専門職の役割の変化の三点に整理し、定義とリスクの問題を論じている。具体的な制度論や方法論のかたわら、こうした本質に関わる議論の蓄積があるところが、イギリスの強みであるように思える。
松本が執筆する第3章「イギリスにおける政策方向と『ゆれ』」は、第2章に対する補論である。イギリスにおいて、子ども虐待防止制度がどのように変遷してきたか、その過程で「介入と支援」のベクトルはどうゆれたか、近年はどのようになっているかが、簡単に示される。結論的にいえば、介入から支援に向かっていたベクトルが、近年ゆり戻しの状態にあることが、議論される。もちろんこの評価には、反論がありうる。
シンポジウムでは、小林・ムンロー二人の主報告者のほかに、田中康雄、峯本耕治の二人の指定討論者をおいた。第4章「子ども虐待防止活動の総括と展望——シンポジウムにおける討論」は、小論の採録である。田中は教育臨床学を専門とする大学教員であるが、児童精神科医として子ども虐待の問題に長く関わると同時に、軽度発達障害に関する諸問題についても積極的に発言と活動を続け、この方面の著書も多い。また北海道内での民間団体の立ち上げと活動に関わり、草の根の実情にも
詳しい。本学術集会では、プログラム委員長を務めた。もう一人の指定討論者である峯本は、教育と子どもの福祉の領域で活動する弁護士である。法律家の立場から子ども虐待の問題に関わると同時に、近年では学校現場での連携とソーシャルワークを目指したNPO活動を行っている。イギリスにも二年留学し、現地の法制度と実情を紹介する著書は広く読まれている。この二人が加わって展開される討論は、小林の「ケアする社会」とムンローの「三つの変化」の提起をめぐって行われ、専門性の問題に射程を延ばしている。
2 子ども・専門職・連携
第5章以下は、それぞれの筆者がシンポジウムを受けて書き下ろしたものである。前述の「介入と支援のはざま」の隘路を念頭において、子ども虐待防止活動に関する議論を進めていく際の論点を提出することが、目的である。子ども、専門職、連携といった切り口から出発して、それぞれの経験に基づいた議論が展開されている。
第5章「当事者としての子どもの権利」を執筆する屋代通子は、翻訳家として活動する一方、CAP活動やケアを要する子どもの支援NPOの活動などに携わっている。翻訳家としては、司会の松本とともにイギリスの子ども虐待防止活動の政府ガイドラインの訳出と出版にあたり、イギリスの事情に詳しい。シンポジウムでは、ムンロー報告の訳出とコーディネートに当たった。小林の「子どもの人生の回復」とムンローの「子どもの権利」の指摘を引き取って、子どもが主体となることとは具体的にどういうことなのか、という点を論じている。被虐待体験とは主体性が奪われる体験でもあるから、この点を議論することの意味は大きい。
第6章「子どもの育ちと援助者の立つ位置」は、前出の指定討論者の田中康雄の執筆である。田中は児童精神科医としての臨床経験から、専門職の立ち位置を「共に生きるわれわれ」と捉え、それを親と子のそれぞれの「育ち」を論じるところから説き起こしていく。田中は当日のシンポジウムの発言で、小林の報告を受けて「介入か支援かとずっと考えてきたけれども、これは『育てる』ということだと思い直した」と述べている。また同じ発言でムンローの報告を受けて、専門家として「情」と「知」だけではなく「覚悟」を持つ必要に触れている。人としての「育ち」を阻害されている親や子に接することは、つらい。それに対応する専門性を議論する際、論議を呼ぶ提起だと思う。
第7章「介入・支援と連携——子どもの成長と発達を保障するために」は、もう一人の指定討論者である峯本耕治の執筆である。峯本は学校という、どちらかといえば他機関と連携をとることを不得手としてきた機関、しかしながら子どもが日々通い多くの時間をすごすという意味で、子どもの福祉と保護のためには不可欠である機関を舞台に、実際の連携の仕組みを作り上げる活動をしている。その峯本の活動の具体的な報告が、本章である。峯本は当日の討論で、「アセスメントするというのはリスク評価だけでなくて、子どもと家族のニーズ、しんどさをしっかり理解すること」であり、「実際のケースを一つひとつ一緒に議論していると、それぞれの立場を理解しながらも割と共通点がある」と、連携の基盤を述べる。そして「それぞれの立場の限界を理解しながらも一緒にやるということは、少しずつ確実にみんなが楽になって、ちょっとエンパワーされ」「ダメだったらまたもう一回考え直してまた一緒にやっていこうか、という雰囲気ができる」と述べる。子ども虐待防止制度の到達点の一つは、どのように有効な連携の仕組みを作るかにある。近年のわが国の政策動向が端的に整理されたうえで、こうした機関連携の具体像が、示唆的に述べられる。