目次
はじめに
第1章 いま、なぜ男女共同参画が必要か
1.暮らしのなかの日本事情
1)少子化問題のとらえかた
2)高齢化問題のとらえかた
3)立ちなおれるか男たち
2.ジェンダー平等を目指す世界の流れと日本
1)ジェンダー平等を目指す世界の流れ
2)ジェンダー平等へ日本の取り組
第2章 地域特性と環境・労働・福祉
はじめに
1.滋賀県の環境問題と市民活動
2.社会活動、社会参加としてのボランティア活動
1)環境問題の多様性
2)ボランティア活動の多様化
3)ボランティア活動を活性化するために
3.福井県の地域特性と労働・福祉にみるジェンダー問題
4.家事分担の実態
5.夫婦間の家事分担の規定要因
第3章 男女共同参画学習と活動への招待
1.学習計画担当者・推進者の課題
1)男女共同参画型学習及び活動の留意点
2)成人教育の留意点
2.ライフステージ別男女共同参画学習と活動
1)乳幼児期・学齢期の学びと実践
2)青年期の学びと実践
3)成人期の学びと実践
4)高齢期の学びと実践
3.男女共同参画実践のプロセス
1)学校における男女平等教育の徹底
2)市民活動の場をつくる
3)ジェンダー平等を支えるアカデミアの役割
おわりに
参考文献
男女共同参画社会基本法
男女共同参画基本計画(第2次)のポイント
前書きなど
はじめに
本書は、今こそ男女共同参画が必要な時代になったことを指摘し、著者らがさまざまな社会活動において男女共同参画を実践し続けて来た立場から、男女共同参画によってできたこととできることを実例をあげて示し、男女共同参画のひろがりを願うものである。
本書の共著者の一人である冨士谷は、長年、社会評論を主な領域とする著述にかかわってきたが、かたわら、生涯学習支援や国際文化交流促進の活動を続け、大学では社会教育学・社会学・日本文化論等を担当してきた。わが国における女性学関連の学会や研究会の設立メンバーであるが、昨今は男女両性が人間的な生活を送る社会の構築を目指すジェンダー研究に軸足を置く。また京都を拠点に創作やイベント企画などの文化活動を続けている。このような立場から、現代社会の最大の課題は男女両性のありかたをよりよいものにすることであると考えている。
わが国では1999年に「男女共同参画社会基本法」が制定され、同法に沿った具体的な取り組みを示す「男女共同参画基本計画」が打ち出された。2005年12月には「第2次男女共同参画基本計画」が閣議決定されたが、同計画では重点事項10ポイントを掲げ、それぞれについて2020(平成32)年までを見通した施策の基本的な方向と、2010(平成22)年度末までに実施する具体的施策の内容を示している。今後、行政と国民がどのようにこれに対応していくか、われわれとしても深い関心を抱いている。
ところで、「男女共同参画社会基本法」の意味するものを考えてみたい。実は、この基本法の呼称は日本語と英語では意味が異なる。同法は英語では“The Basic Law for Gender-equal Society”となっている。英語から日本語になおしてみると、“ジェンダー平等社会実現のための基本法”という意味になる。法律の呼称らしく表現するなら「ジェンダー平等社会基本法」ということになろうか。
英語での標記の通りならば、外国の人たちにもわかりやすい。社会的・文化的にどちらかの性に帰属する人を貶めず、平等に扱おうという考えを、あらゆる領域で大切にしようという“ジェンダーの主流化”(genderation)は、世界的な流れである。日本という国も、そういうことを大切に考えているのかと、海外でも理解されるだろう。しかし、同法の日本語の呼称は「男女共同参画社会基本法」である。日本語や日本文化を研究し、ジェンダー学にもおおいに関心があるという人が海外に少なくないので、説明に工夫がいる。
だが、考えてみれば「男女共同参画社会基本法」という法律の呼称には、なかなか有益なところがある。男女の平等な社会を実現するには、「男女共同参画」ということを重視することから始めようという「戦略」を明示し、国を挙げてこの戦略を推進しようということになったのであるから。そのように考えると、なかなか味わい深い同法の呼称である。
私は、「男女共同参画」ということは、ものごとを決める場所に男女が共に参加し、その決裁に対等な立場で意見を言うことができるということであると理解する。これまで国や自治体や職場や地域や家庭において、女性はものごとを決裁する場に臨んで意見を述べる機会を与えられてこなかった。そのために女性にかかわる重大なことがらでも、男性の多い意思決定の場の取り決めに従わねばならず、女性にとって不都合なことが生じて、女性たちは大いに苦しんできた。それを、男女が対等な立場で意思決定の場に臨むようになれば、事情は変わるだろう。当面、深刻な少子高齢社会の問題に立ち向かう戦略になるはずだ。
実は、私が国の「男女共同参画社会基本法」という法律の呼称にはじめて出会った頃、何と良い名前の法律なのだろうと嬉しくなってしまったのである。あちこちで、私と仲間たちが進めていることと同じではないかと。
私が職業生活のかたわら社会活動を始めたのは1960年代前半のことだが、当初は女性のための女性による活動が中心であった。しかし、いつの間にか男女が一緒になってものごとを決める活動が中心になってしまった。いま、私が軸足を置いている団体では、ずっと役員が男女半々である。これがなかなか居心地がいい。私が、およそ努力らしいこともせずそうなっているのはなぜか。フツーの人間がさせていただいてきたことなので、ひょっとしたら「男女共同参画」ということを、誰もが目指さなければということになっている現在、少しはお役に立つことがあるかもしれないと考えて、このような本を世に送ることになった次第である。
著者らは、「男女共同参画社会」を形成するためには、およそ五つの段階があると考える。第一に女性に社会参加を促す意識高揚とエンパワーメントの機会を用意すること、第二に意識を高め力をつけた女性が活躍する場を確保すること、第三に男性の意識改革を図り、生活自立力を高める機会を用意すること、第四に男性の女性に対する暴力や性的嫌がらせを阻止すること、そして第五に男女が対等な立場に立って意見をのべあい、ものごとを決定し、共に行動する慣習を定着させることであると考える。著者らがもっとも重視するのは、第五の段階である。日本語に馴れた海外の研究者が「男女共同参画」という用語に接する時も、字句どおりに解釈すれば、この段階こそ「男女共同参画」を指すものと思うだろう。ところが残念ながら、この段階における男女共同参画について論考される機会が、まだ乏しい。国や自治体の「男女共同参画」という用語を掲げた講座や集会などで、出会うのが相変わらず女性が多いか、たまにごく少数の男性が参加しているのに留まっているのである。ほんとうは、もっと、男女がまじりあって話し合い、ものごとを決めていくような事業や活動があってもよいのではないだろうか。
本書では第1章で、今なぜ「男女共同参画」が必要かを述べ、第2章では環境問題や少子化問題の抑止に努力が払われている滋賀県と福井県の事例を述べ、第3章ではライフステージごとに「男女共同参画」の実践事例と実践に向けての提案を記した。第1章、第3章を冨士谷が、第2章を塚本利幸が担当した。
本書の共著者である冨士谷と塚本の出会いは、1999年に福井県立大学に新設された社会福祉学科への同時就任によるものである。少子高齢社会の問題と男女平等問題を考えるうえで、福井県ほど興味深いところはないだろう。二人は、研究者として教育者として、実に恵まれた環境に飛び込んだものである。そこで、共同で開いたゼミや共同研究や海外出張などを重ね、本書を共に執筆することとなった。もう10年近い共同参画を続けているが、当面は少子高齢社会問題の克服について地域文化を背景に考察する研究を進めている。年齢に開きがある二人だが、京都の同じ大学の出身である。学問の自由を尊ぶ学風に親しんでおり、男女のへだてなく教育を受ける機会を持った。
ところで、「男女共同参画」の推進に限らず、世界や国が認め合い約束しあった取り決めも、いざ実践しようとすると、地域によっては思わぬ軋轢を生じることがある。地域文化への考察は重要なことと思われる。ただし自分の国の文化の本来の姿を的確に認識していないと、ほんとうの伝統が解らず、誤った考えに陥りやすい。とんでもない時代錯誤の発言をし、周囲を困らせてしまう。その意味では、私と仲間たちが21世紀冒頭に開催した、「世界女性文化会議・京都2001」は、準備・開催・記録のすべてのプロセスを男女共同参画方式で営んでおり、主催者も学ぶことの多い会議であった。本書でも、この会議の内容を手短にお伝えしているが、この会議の報告書を機会があれば是非、ご覧いただきたいと思う。
2007年9月 冨士谷 あつ子