目次
はじめに
序 章 種々の偏見の研究
第一部 極端な一般化を批判する
第一章 偏見をめぐる諸理論——予備的な分類
第二章 「偏見を持つパーソナリティ」はどうなったか
第三章 社会学がアメリカのディレンマを概観する
第四章 ひとつではない偏見
第五章 さまざまな同性愛嫌悪
第二部 再出発——複数形の偏見
第六章 理論構築に向けて——「社会的性格」
第七章 性格類型とそれぞれの欲望のイデオロギー
第八章 起源と発達ライン——子どもと偏見
第九章 思春期と憎しみの目的
第一〇章 共有される偏見・社会的スタイル
第一一章 理念型を構築する
第一二章 身体的自己愛・精神的自己愛
第三部 今日のイデオロギー——被害者たちは語る
第一三章 さまざまな口封じ
第一四章 ヒステリー型抑圧への抵抗
第一五章 性差別の矛盾を感じ、同性愛嫌悪の標的となる
終 章
訳者あとがき
原注
参考文献
索引
前書きなど
訳者あとがき
本書は、Elisabeth Young-Bruehl, The Anatomy of Prejudices (Harvard University Press, Cambridge, Massachusetts, 1996)の翻訳である。
著者のエリザベス・ヤング=ブルーエルは学際的な研究で知られるアメリカの学者、著述家であり、また実際に患者を治療するサイコセラピストでもある。一九四五年生まれのヤング=ブルーエルはサラ・ローレンス・カレッジに在学中の六〇年代に一時大学を中退し反戦運動に参加したが、後に勉学の道に戻り「新社会研究学院(New School for Social Research)」に入学、七四年に哲学のPh.Dを取得した。ウェスリアン大学の哲学教授、ハヴァーフォード・カレッジの心理学教授を経て、現在はサイコセラピストとしてニューヨーク市で精神療法にあたるとともに、コロンビア大学精神分析訓練研究センター(Columbia University Psychoanalytic Training and Research Center)の教授陣に名を連ねている。
ヤング=ブルーエルの著作の中で最も知られているのは、博士課程在学中に指導を受けた政治哲学者ハンナ・アーレントの軌跡をたどった伝記であろう。八二年に出版されたこのHannah Arendt, For Love of the Worldはアーレントの代表的な評伝として高く評価され、各国語に翻訳されている。日本では荒川幾男・原一子・本間直子・宮内寿子の諸氏による邦訳『ハンナ・アーレント伝』が一九九九年に晶文社から刊行されており、本書の訳出にあたって参考にさせていただいた。
恩師アーレントの伝記を執筆するうちに精神分析、心理学の領域への関心を次第に深めていったヤング=ブルーエルは、本格的に精神分析学の研究に入る。八八年にアンナ・フロイトの伝記を、翌八九年にはMind and the Body Politicを発表するなど著作活動を続けながらサイコセラピストの資格を取得、九九年から実際に精神療法を行っている。
こうした学際的な探求から生まれた著作がThe Anatomy of Prejudicesである。米国出版社協会の一九九六年度の心理学部門学術専門書賞を受賞したこの書は、偏見そのものを「解剖」するというよりも、二〇世紀後半の五〇年間を通してアメリカの社会諸科学がいかにこの錯綜した問題を探究してきたかを振り返り、従来の取り組み方を厳しく批判しながら、著者自身の新たな理論を展開する精力的な試みである。著者が偏見の例証として取り上げるさまざまな現象は、この時代のアメリカ社会史の一断面図として見ても興味深いものがある。
本書で著者は「単数形の偏見」を一貫して否定する。偏見には、往々にして「よそ者に対する否定的な態度」としてくくられるエスノセントリズムがあり、またこれとはまったく性質を異にする偏見として「欲望のイデオロギー」があるというのが著者の基本的な主張である。さらに著者は、フロイトの晩年の論文「リビドー的類型について」に提示されている性格類型を用いて、「欲望のイデオロギー」を強迫型、ヒステリー型、自己愛型に分類し、類型ごとの典型的な偏見として反ユダヤ主義、人種主義、性差別(および同性愛嫌悪)を取りあげる。精神分析学の諸概念を用いながら、また社会学のみならず歴史や文学の資料を引用しながらそれぞれの偏見を詳細に分析し、描き出していく著者の筆づかいは力にあふれ、また圧倒的に粘り強い。
「本書が探究するのは大きなクモの巣状の現象だから、それに見合った程度の複雑さがほしい」と著者自身も「はじめに」で述べているように、本書の構成は非常に複雑であり、展開される理論はきわめて多層的だ。たたみかけるような著者の語り口からは、あふれんばかりの知識とあくまでも物事の深層を見極めようとする気迫とを感じ取ることができる。訳出にあたっては微力ながら全力をつくしたが、できるだけ分かりやすい日本語をとこころがけたこともあって、原著の独特の持ち味を十分に訳出できなかった。訳者は社会科学についても精神分析学についても専門的な知識がないために、訳文には思わぬ誤りや不適切・不正確な表現があるかと思う。読者諸氏のご教示を心からお願い申しあげる。
二〇〇七年七月
栗原 泉