内田裕介さんの書評 2021/09/27 4いいね!
世の中には「死なない生物がいる」との惹句に誘われて手に取った。
そいつらはなぜ死なないのか。
そして、われわれはなぜ死ぬのか。
が、残念ながら駄本、であった。
生物はなぜ死ぬのか。
著者によれば、それは生物には死が必要だから。
なぜ死が必要なのか。いろいろと説明をしている。
しかし、その根っこにある論拠は進化論。
「現に死ぬ生物が子孫を増やしている(=自然選択された)のだから、死は必要なのだ」
つまりは、結論ありき、である。
死は「老化」の結果である。
「老化」とはDNAの損傷の蓄積のことである。
60歳で子をなした老俳優の子供は、60年間にわたって分裂を繰り返した老俳優の老精子からできたにも関わらず「新品」として生まれ、約80年を生きる。
当たり前だが、考えてみるとものすごく不思議だ。
本書でも「若返り」として指摘しているのに、仕組みについては言及がない。
それから、意識としての個と、細胞としての個の問題もある。
わたしの身体は、わたしの父母のハーフコピーだ。
だから、わたしの身体は半分は父そのものであり、半分は母そのものである。
父はもうとうに死んだが、身体は「生きている」といえなくもない。
いや、むしろそれこそが、種の保存、進化ということである。
しかし、わたしの意識は、わたしの父母のものではない。
わたしのなかに、父の意識はない。意識は保存されないし、進化もしない。
何万年もコピーを繰り返して細胞だけが生き続けたとして、それがなんだというのだろう?
身体は意識の座であり、身体の死が意識の死であるからこそ、死は問題となる。
死が怖いから、身体が死んでも意識は生き続ける、という物語を信じる人は多い。
身体の消失=意識の消失=自分の消失は怖い。
だからこその「なぜ死ぬのか」という問いである。
なのに、死んでコピーを残す戦略が有利だから、というのは、あんまりな答えだ。
だから、進化論は嫌いだ。
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