前書きなど
山名、地名考 ─まえがきにかえて─
本書は、『静かなる尾根歩き』、『バリエーションルートを楽しむ』、『バリエーションハイキング』に続き、この系譜の第四作目にあたります。基本的には、前三作と同様、東京近郊における中級以上のハイキングを想定してしますが、45の山域、348のコースのうち、初級向きもわずかに入れました。前三作との重複コースはありません。
新ハイキング社の鮫島員義社長、竹田賢一編集長から、第四作の出版に当たって相談したいとの連絡を受け、新ハイキング社で打ち合わせを行ったのは平成26年8月のことでした。前三冊に共通する〈バリエーションハイキング〉という基本コンセプトは維持し、ガイド文、略図は従来どおり客観的かつ詳細なものとし、略図はさらに大きく見やすく改良すること、これらにつきましては全く異論なく、それでいきましょうということになりました。
それに加え、鮫島社長からは、地域の歴史、文化にも光を当ててはどうですか、竹田編集長からは、全体が活字で埋め尽くされている印象を和らげるため、フォトエッセイ風のものを入れてはどうですか、といった新たな提案をいただきました。私の力量でそこまでのことができるかとためらいましたが、自らに新たな課題を課し、それを克服することができれば、マンネリ化を回避するだけでなく、私にとっても新たな一歩を踏み出すことになり、ちょっとした発展にも繋がるだろうと、気持ちを前向きに切り替えて賛同しました。
このため、本書では、地域の歴史、文化のほか、これに関連して、地名、山名の由来についても、前三作以上に詳述し、充実させました。まとまった一定の山域という面的な広がりがある方が、地域の歴史や文化を位置づけやすいこともあって、山域を基本単位として、その基盤の中に幾つものコースを組み入れるという構成を取りました。そうなれば本文の文字数も増え、内容的にもガイドと解説が混在して複雑になりますが、それを避けるため、補記、注記を設けて本文と切り分けました。特に前作『バリエーションハイキング』では、本文中に著者の感想、意見のようなものを鏤めましたが、本書では、文字数を減らすため意識的にそれらをそぎ落とし、一方で『山光水彩』というコーナーを新設しましたので、写真を解説する短文に抒情を込めることにしました。
本書のタイトルにつきましては、基本コンセプトは前三作を踏襲していますが、以上のように新たな試みを取り入れたこともあり、「新」を頭に付けました。
本を出版するということは活字がひとり歩きし、その内容が広がり定着するということであり、その怖さを著者は十分に認識しなければなりません。特に今回は、地域の歴史、文化との関連から地名、山名の由来を詳述していますが、突き詰めれば、「書かれていることが本当に正しいのか」ということの問いかけでもあります。「正確であるべき」ということを絶えず意識し続ける、その緊張感を崩さないのは言うまでもありませんが、何が絶対的に正しい地名であり、山名であるかと問われると、簡単に答えを出せものではなく、それだけで窮してしまいます。
この壁を乗り越えるためには、自分を納得させるだけの信念を見つけ、それを持ち続けるしかないと思います。いろいろ迷いましたが、結局、これなら何とか行けそうだと思った私にとっての信念とは、私たちの先人が地名、山名に託したメッセージを見失ってはならないということであり、先人が山名を決めるにあたって、その山の個性をうまく表現し、後世の誰にでも素直に納得してもらえるように苦心したのではないか、先人の残した山名の意味を正しく理解することは、その山の歴史や地形上の特徴を正しく知ることに繋がるのではないか、ということでした。すなわち先人の立場に立ち、先人の心を素直に理解しようと努める謙虚さを持ち続けることができるかということだと思います。
登山家であり、商工次官、逓信政務次官を歴任した田島勝太郎は、『奥多摩』(昭和10年)の中で地名研究に際して陥りやすい過ちを指摘し、警鐘を鳴らしています。
地名や山名の由来を知るための方法として、ひとつは「現地の住民への聞き取り」があり、もう一つは「地元の役所への問い合わせ」がある。前者は、その土地に生まれ住んでいる人にいろいろ質問をすることであるが、質問する都会人と質問を受ける地元の方との間では、それぞれの置かれている環境、関心事、意識などの違いから、質問者の意味を誤解して回答することが多々あるにもかかわらず、地元の人だからすべてが正しいと信じてしまうという欠陥があることを忘れてはならない。
後者の方法は山岳家が好む方法であり、往復はがきや返信料付きで役所に問い合わせをすることである。たまたま役所に精通した人がいればそれで結構だが、細かい所まで精通している人はいないのが普通である。知らないなら知らないと返事してもらえばそれでよいが、「あまり知らん」では相済まないと思って、中途半端な回答をすることもあるだろう。
今では地元の役所に問い合わせれば、よく調べた上で回答していただけると思いますが、田島氏が苦言を呈したかったのは、登山家と称する人であっても、これらの方法に頼り切って、自分の頭で再考察して納得することもなく、それが正しいと信じて世に発表するのはいかがなものか、という警鐘だと思います。
最近では、登山家と称する方々が安易に名称を付け、インターネットなどを媒体にして、それが定着していくという風潮も見られます。一例を挙げますと、立ち木にネクタイがぶら下がっていたというだけで「ネクタイ尾根」といった名前を付ける、それは〈遊び心〉のつもりかも知れませんが、〈郷土の大切な何か〉が軽々しく扱われたように思えてなりません。
岩科小一郎は『山麓滞在』(昭和17年)の中で、地名が最初の命名者の意志に反して変化し、大切な郷土の地名を失ってしまう原因として、〈故意の改造〉、〈読み誤り〉、〈当て字、替え字〉、〈地元の人たちが一知半解の都人士の呼称に迎合すること〉を挙げていますが、柳田國男も『地名の研究』で同様の指摘をしています。このように時代とともに山名や地名が変化していくのはひとつの流れのようなものかも知れませんが、人々の記憶は時間とともに曖昧になって失われていき、一方で記録や文字は永続して定着します。旧名への復元までも望みたいところですが、いったん定着したものを戻すことは、逆に混乱を招いてしまうのも事実です。
本書では、新ハイキング社の統一的な地名表記の方針が国土地理院の地形図によっていることを基本にしていることもあり、現在における公的かつ共通的な呼称としてそれに従うことを原則としながらも、可能なかぎり過去に遡って公的な文献での記録をもって再確認し、それを特に地形との関連で再検証するということを意識しながら執筆しました。
本文の脱稿後、この「まえがき」を書きながら、もう一つ大事なことがあることに気づきました。なぜ、我が国の地名や山名が際限なく現れ、しかも複雑に変遷と進化を遂げてきたか、それは先に述べた原因のほか、我が国土の構成要素が実に多様で豊富であることの裏返しでもあるということではないでしょうか。地名や山名を顧みることは、その土地の歴史、文化、自然を顧みることであり、突き詰めれば、我が国土の〈自然の風景〉と〈人間の風景〉を愛することでもあると思うのです。
「日本の風景は風景以上であり、自然の風景と人間の風景とは、根本を一つにしている。日本の風景が風景以上というのも、外観の美以上にもっと深奧な本質の意味を持っているからである」
これは日本山岳会初代会長小島烏水の嘉言です。日本の風景に内包されている〈深奧な本質の意味〉とは何かを、私自らの山歩きを通じて、考え、求め、問い続けたいと思います。
松浦隆康
平成28年1月