目次
戦後の子どもたち アメリカ統治下の子ども行政
復帰後の児童福祉
基地被害と子ども
沖縄の学力問題
子どもと家庭 沖縄は子育てしやすいのか
現在のゆいまーる子育て
沖縄の子どもたちの放課後
家計と教育支援
子どもと社会 誰がこの子らを救うのか?
県内の非行の現状と課題
母子生活支援施設からみた母子家庭の子どもたち
養護施設の現状と課題
子どもと遊び 子どもにとって遊びとは
子どもの遊びと暮らしの変化
子どもたちの遊びと暮らしを考える
子どもと放課後
子どもと健康・医療 子どもの健康
子どもの食生活
子どもたちの体力と運動能力
子どもの在宅医療の現状
親が語る発達障害児の現在
子どもと教育 「心の教室」相談員から見た子どもたち
子どもの変われる力をサポート
平和教育の現状
ダブルの教育をめざすアメラジアンスクール
子どもの読書環境
子どもと基地 読谷の子どもと基地
名護市辺野古の子どもと生活環境
沖縄の「異文化」居住地区
前書きなど
まえがき
実体検証から施策構築へ
沖縄子ども白書編集委員会編集代表 加藤彰彦
美しい海と、豊かな自然に恵まれた沖縄の子どもたちは、どんなにステキな子ども時代を送っているのだろうと、さまざまなイメージをふくらませている人は多いに違いない。
しかし、現実に沖縄の子ども達に関わり続けてきた方々からすれば、戦前から戦後にかけて、またあの激しい沖縄戦の現実の中で、子ども達のおかれた厳しい生活実態を訴えずにはいられないのではあるまいか。
南方の豊かな自然風土と、そこで暮らす人々の文化を大切にした生活が保護されていれば、沖縄は暮らしやすい豊かな文化風土を築けたはずである。
しかし、現実の沖縄には日本全体の七〇%を超える基地が現在も活動しており、様々な事故や騒音、被害は続いている。
さらに辺野古の海を埋めたてて巨大な基地をつくる計画が進行中である。
また、生活水準は本土の七〇%以下という低さであり、完全失業率も日本の平均の二倍以上という状況が一貫して続いている。
仕事がない上に低賃金で、生活の見通しがつかない中で、離婚せざるを得ない女性も多い。子どもを抱え、仕事もなく夜間の仕事につかざるを得ない状況の中で、保育園への入所もままならない。ひとり親家族の現実は、夜間保育を必要するのだが、県内にはわずか二か所しかない。
放課後の子ども達の居場所である学童保育所も、公立が多い本土とは異なり、八〇%以上が民間である。
しかも本土の二倍以上の費用が必要になる。
発達障がいの子ども達も多いが、情短施設はなく、通園施設もない。
日本列島と同じ位の広さの中に無数の離島が点在する沖縄列島に、児童相談所は二か所(分室が一か所)、しかも一時保護所はたった一か所しかない。
戦後の沖縄は、あらゆる面で充分な対応がされてこなかったが、特に将来を担うべき子ども達の現状は想像以上に厳しい。
先日行われた地元新聞社による県内の小中学校教師への調査によれば「給食以外の食事を十分に取れない子どもがいる」(四四.四%)「病気やけがでも病院にいけない子がいる」(三一・一%)「夜子どもだけで過ごしている子がいる」(五六%)など凄まじい実態が明らかにされている。(「沖縄タイムス」二〇一〇,二,一九)
こうした沖縄の子ども達の実態を明らかにしたうえで、適切な施策をしてほしいという願いは、県内の多くの人々が望んでいることだが、正確なしかも総合的な実態調査は行われていない。今回私たちが、多くの子ども支援団体の方々、研究者、学生、市民、行政の方々とまとめたこの「沖縄子ども白書」は、まだまだ充分のものとはいえない。
けれども、現時点では精一杯の労作であると思っている。この「子ども白書」を出発点に、行政、民間、市民が一つになって、沖縄の子ども達の育成環境を改善していくために活用されれば、これにまさる喜びはない。
以下、この「沖縄子ども白書」作成までの経過について説明しておきたい。
私が、沖縄大学に赴任したのは二〇〇二年四月。
その直後から、学生諸君が「子ども研究会」をつくり、学習会が始まった。
二〇〇六年五月、沖縄大学で第一三回日本社会臨床学会が開催され、シンポジウムの一つとして「今、沖縄の子どもたちは…」が行われた。シンポジストは、石川キヨコさん(みどり保育園園長)、宮城秀輝さん(県子ども会育成連絡協議会)、砂川恵正さん(県中央児童相談所所長)、坂本清治さん(久高島留学センター所長)、浅野誠さん(浅野にんげん塾主宰)。このシンポジウムで、子どもに関わる人々が連携して、子どもの未来を模索する「沖縄子ども研究会」の設立が提案され、その後一年間、私の研究室を事務局(事務局長、海野高志さん)として、毎月定例研究会が開催されることになり、学童保育、子ども会、子ども劇場、保育園(幼稚園)、障がい児支援などのテーマで報告会と討論会が行われた。
そして、二〇〇七年五月、「沖縄子ども研究会」が発足し、記念講演として、渡眞利源吉さん(沖縄児童文化福祉協会会長)。喜納英明さん(名桜大学准教授)のお二人のお話を伺った。この年、沖縄大学に「こども文化学科」が設立された。
また、この頃から、「日本子どもを守る会」に加盟し、全国との交流も開始する。
さらに、九州の方々との合同研究会「九州、沖縄子ども支援ネットワーク交流会」も始まり、毎年研究会を続けることになった。
日本子どもを守る会の機関誌『子どものしあわせ』(二〇〇七、九)に「沖縄の子どもたちは…」の特集が組まれ、次の方々が執筆をする。「沖縄子ども研究会に込めたもの」(加藤彰彦)、「新たな子育て、子育ちゆいまーる」(海野高志)、「琉球政府下の子ども家庭支援と沖縄子ども研究会への期待」(渡眞利源吉)、「集落を単位とした教育隣組と沖縄子どもを守る会の活動」(喜納英明)、「子どもによる子どものためのまちづくりの試み」(坂井暖子)、「地域における保育園、幼稚園の歴史と課題」(吉葉研司)、「おきなわCAPセンターの活動から」(糸数貴子)、「沖縄の地域の子育て」(赤嶺一子)、「舞台との出会いで感動を創る」(宜野座智子)、「折り紙の不思議と魅力を伝えたい」(島袋保子)「わらべ唄は方言の宝庫」(比嘉悦子)。
二〇〇八年一〇月、沖縄子ども白書編集委員会の第一回会議が開かれ多くの関係者が集まる。
以後、月に一回の会議が行われる。
その中で、白書の基本方針が次のように決まった。
一、沖縄で生活している子ども達の人格を保障していくことを原則とする。
そのため、「子どもの権利条約」と「児童憲章」を基本理念とする。
二、沖縄の現状を踏まえ、沖縄独自の暮らしと文化を大切にする視点で作業を進める。日本本土と異なる文化と、その独自性を尊重していく。
三、子どもが暮らしている現実、その現場に密着し、現場で起こっている事実を積み重ねることで子ども達の現状を明らかにするよう努力する。
その年の一二月、「おきなわ子ども、子育て支援サークル、団体活動紹介」の冊子を作成し、三六団体(四〇項)を掲載する。
二〇〇九年二月には、「子ども白書」の全体の構想をまとめ、担当者、担当団体を決め、グループ別に執筆を依頼する。
五月には出版をお願いしたボーダーインクの編集者も参加しての合同会議を行う。
また、資料集めや年表作成のため、学生委員会を発足させ、毎週金曜日に会議を開く。
『子どもしあわせ』(二〇一〇年一月)には「特集、沖縄から発足します」が発行される。
執筆者は以下の通り。「沖縄の今、一九九五年のあの日から…」(仲渡尚史)、「沖縄の子ども達の放課後」(知花聡)、「夜間中学校珊瑚舎スコーレ」(佐藤空)、「アメラジアンスコーレ」(早田充)、「今、求められる平和教育とは」(平良夏芽)。
こうした経緯を経て、ようやく『沖縄子ども白書—地域と子どもの「いま」を考える』がまとまり出版の運びとなった。
これまで何度も書き直しをお願いしたり、変更したりとご迷惑をかけたが、とにかく出版できることになり感無量である。
このような「子ども白書」は、地味なもので、中々出版ベースにはのらないので、私たちも、どこにお願いするか迷っていたのだが、県内の出版に熱心なボーダーインクにお願いしたところ、快く引き受けていただき、ご協力をいただいた。
できれば県内外の多くの方に読まれ沖縄を「子育て特区」として支援する動きが起こればうれしい。
そして、沖縄発の「子ども文化」論と「子ども政策論」がうまれる日を夢みている。
最後に執筆をいただいた皆さんには感謝の気持ちで一杯である。また、年表や大量のデータなど、学生諸君の労作は反映できなかったが、今後の課題としたい。こうした地道な実証作業の上に、子ども支援施策が構築される日をめざして、これからも力を尽くしたい。
なお。この『沖縄こども白書』の出版に当たっては、文科省学生支援GPの支援を受け、沖縄大学学生支援GPこども教育スクエア担当の仲渡尚史が実務、交渉任務担当たり、この膨大な白書作成に貢献された。心より感謝し、有効に活用したい。