前書きなど
はしがき──松久保 肇(原子力資料情報室)
2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災と、それにともない発生した福島第一原子力発電所1〜4号機における過酷事故から5年が経過した。この地震、津波と原発事故が重複した未曾有の「原発震災」*は、日本社会が抱えてきた多くの問題点を露呈させた。
福島第一原発事故の原因をめぐっては、いくつかの事故調査報告書が公表されている。また、5年が経過する中で、事故に至る経緯を示す多くの情報が明らかになってきた。しかし、事故現場が高濃度に汚染されているという原発事故特有の問題から、完全に究明されたとはいえない。事故の収束作業についても、懸念されていた4号機に保管された使用済み燃料が回収されたものの他の号機からの取り出しは遅れ、繰り返される汚染水漏洩やまだ場所すら特定されていない燃料デブリの回収計画など、難題山積という状況だ。また、福島第一原発事故がもたらした放射性物質の拡散、被曝や避難、除染といった数多くの問題も現在進行形で続いており、避難者の帰還といった新たな課題が前面化するなかで、私たちは、原子力災害がもつ影響の甚大さを改めて認識させられている。
さらに、福島第一原発事故は日本と世界の原子力政策に大きな影響を与えた。例えば日本では原子力の規制のための新たな機関である原子力規制委員会が発足した。ドイツ・スイス・イタリアは脱原発政策に舵を切り、原発を維持する国々においても規制の強化が図られることとなった。
福島第一原発事故がもつ多岐に渡る問題は、私たちの認識の幅を超え、事故の全体像の把握を難しくさせている。そこで、本書は事故が、なぜ起こったのか、今、何が起きているのか、そして、一体何を教訓とするのかという3つの観点から、福島第一原発事故の全体像を検証しようと試みた。
本書は大きく、原発サイト内と外の問題を取り扱っている。
サイト内について、第1章「まず事故がなぜ、どのように起こったのか」で、上澤千尋がこれまでに明らかになった情報から、福島第一原発1〜4号機の事故経過と原因、5・6号炉の状況、そして、東日本大震災で被災したほかの原子力施設の状況を分析する。第2章「事故処理の課題」では、福島第一原発事故処理計画とその実施体制を松久保が、この間大きく問題となってきた汚染水問題と、使用済み燃料プールに貯蔵された核燃料の回収計画を澤井正子が解説する。第3章「事故に至る歴史」では、西尾漠が福島第一原発の建設された歴史的経緯を、海渡雄一が福島第一原発の津波対策がどのように先送りされたのかを解説し、事故が起こる前から事故が準備されていたことを明らかにする。
サイト外については、第4章「避難と帰還政策」で、飯舘村民が避難によって生じた損害の賠償を求めて集団で申し立てたADR(裁判外紛争解決手続き)の意義を保田行雄が、避難者の意思を無視して進められる帰還促進政策の問題点を満田夏花が解説。また、避難の現実を切り取るために、6名の避難者の報告と、平山瑠子が教育現場での取り組みを報告する。さらに、除本理史が避難問題を中心に福島復興政策の5年間を振り返り、後藤忍がリスク・コミュニケーションについて概観したうえで、事故をうけたリスク・コミュニケーションの在り方を検討する。第5章「放射能汚染状況」では、澤井が事故によって放出された放射性物質の拡散と陸地の汚染状況、今中哲二が飯舘村住民の初期被曝状況の調査結果、湯浅一郎が海と河川・湖沼の汚染状況、谷村暢子が食品の汚染状況、伴英幸が生物への影響を報告する。第6章「除染・廃棄物」では、事故がもたらした除染という新たな課題とその対策の問題点、そして福島県内外の事故由来の放射性廃棄物対策について藤原寿和が解説する。第7章「被曝労働」では、飯田勝泰が福島第一原発で深刻化する被曝労働を、なすびが除染労働という全く新たな労働問題を解説、その問題点を明らかにし、両者が所属する「被ばく労働を考えるネットワーク」などの取り組みを報告する。第8章「住民被曝、その影響」では、松久保が福島県の子どもにおこなわれている甲状腺検査とそこで数多く見つかっている甲状腺がんについて解説、山田真がこれまで自身が福島県などでおこなってきた健康相談会について報告する。第9章「福島事故がもたらしたもの」では、事故をうけた日本の原子力政策の動きを西尾が、事故であきらかになった避難計画の問題と、事故後に策定されている避難計画の問題点を末田一秀が解説し、松久保が事故によって発生した様々なコストについて報告する。最後に第10章「福島事故と海外の脱原発運動」で事故がもたらした韓国の脱原発運動への影響を高野聡が、米国サンオノフレ原発廃炉運動への影響をトーガン・ジョンソンが報告する。
福島第一原発事故のもたらしたもので、本書が取り上げられなかった問題も多い。さらに進行過程にある事故の一局面を切り取ったに過ぎない。一方で事故への人々の関心は時の経過とともに、徐々に低下してきた。
政府は「安全な原発は再稼働する」ことを方針としており、2016年4月現在、九州電力川内原発1・2号機、関西電力高浜原発3・4号機が再稼働している(後者については、仮処分決定により運転停止中)。その根拠は福島第一原発事故の教訓を踏まえた新しい規制基準に適合したことだ。しかし、本書の各論文で言及されているように、福島第一原発事故の原因は究明されておらず、事故によって生じる影響は計り知れない。
福島第一原発事故による避難者数は今なお約10万人を数えるが、政府は帰還政策を推し進めている。避難者には原発事故にくわえて、帰還による被曝という苦しみまで、のしかかっている。
私たちは今、新たな安全神話の誕生を目の当たりにしている。そして、これは日本だけの問題ではない。福島第一原発事故の「教訓」は、世界の原発に取り込まれ、福島の教訓を踏まえたより安全な原発であると称されることになるからだ。
無関心こそが、次の原発事故の土壌となる。本書が、福島第一原発事故への人々の関心を喚起し、原子力政策のあり方を考えるための一助になれれば、幸いである。
*原発震災:地震学者の石橋克彦による造語。地震による原発の放射能災害と通常の震災が複合・増幅しあう破局的災害のこと。