目次
はじめに
初出一覧
第一部 室町時代と壬辰倭乱期の日朝交流
一章 朝鮮王朝初期の日本事情探索と対日認識――「通信使」の登場まで
二章 朝鮮前期の日朝外交と京都五山――天龍寺と李藝などの事跡を中心に
三章 鼻(耳)塚再論――朝鮮通信使と日本人のまなざし
第二部 江戸時代の日朝交流
一章 江戸時代知識人の壬辰倭乱批判――貝原益軒と乳井貢の場合
二章 朝鮮国礼曹参判書契の所在と伝世――久世家旧蔵新出史料を中心に
三章 篆刻家・沢田東江と「多胡碑」の伝播
四章 日韓文化交流史と朝鮮通信使
五章 記録文学としての朝鮮通信使「使行録」の東アジア的普遍性
第三部 朝鮮通信使の残した文化財と足跡
一 伏見稲荷とオランダ人・朝鮮人、そして朝鮮通信使人形
二 今市(日光市)の客館跡碑
三 京都黒谷栄摂院の通信使扁額
四 近江・崇徳寺 趙泰億の扁額
五 正徳元年の人足賃金割賦史料
六 新井白石と大明皇帝勅書
七 享保度通信使への京都所司代より礼曹宛返翰書契写
八 京都本能寺の通信使にかかわる二つの記録
九 京都三条通中嶋町会所文書「天和・正徳・享保 朝鮮人来聘公用事」
十 膳所藩の儒者・松井原泉と朝鮮通信使
十一 近江・旧朽木村所在の通信使行列図
十二 丹後・峰山全性寺の通信使扁額
特論 尹東柱のいた頃の同志社
一 戦時下思想統制の強化と同志社での左右の対立抗争
二 一九四〇年代の同志社の変貌と尹東柱の編入学
三 一九四〇年代京都と同志社大学の朝鮮人学生
あとがき
前書きなど
はじめに(仲尾宏)
私は二〇〇六年に明石書店から『朝鮮通信をよみなおす――「鎖国史観」をこえて』を上梓した。その意図は副題にもあるように、前近代の東アジアの国際関係、ないしは日本の対外関係のありようがあまりにも史実とかけ離れていたこと、その原因はこの時代を研究してきた少なからぬ日本人研究者の目が曇っていたことに気づいたからである。そのことに対する私の感慨は今も変わっていない。
もう一つは「朝鮮通信使」といえば、江戸時代の日朝関係のこととして、理解されていたことである。古代後期から中世前期にかけての日朝関係はその時代の研究者をのぞいて殆ど関心が払われず、一般には両者は断絶状態という認識がいまだに多数の人びとの脳裡にある。けれども私は江戸時代のみならず、室町時代(朝鮮王朝前期)や壬辰倭乱期を含めて日朝関係は論じられるべきだと思い、今までも研究の対象の範囲をそのように設定してきた。
さかのぼって二〇〇〇年に同じく明石書店から、『朝鮮通信使と壬辰倭乱』を上梓した際に副題として「日朝関係史論」とし、浅薄のそしりを免れないことを覚悟しつつそのような長い時期にわたる諸論稿を公にしたのもそのような意図からである。そして本書の副題もその続編という意味をこめて名付けた。
本書では以上のような考えから今までに書きためてきた論考や近年韓国などの学会・シンポジウムなどで報告してきた論考のいくつかを本書の第一部と第二部でまとめることとした。
また、日本国内の各地の朝鮮通信使にかかわる今まで知られていなかった史料・文化財を多くの人びとのご協力により、実見することができた。それらをより多くの人びとに知っていただきたいという思いから第三部にそれらの探訪記や資料紹介をした。
全体としては多様な構成、多様な論述となっているので、学術書でもなく、啓蒙書でもない、というきらいはあることを承知しているが、より多くの人びとに日朝交流の多様さ、多彩さ、わけても朝鮮通信使の事跡を一層知っていただきたい、という思いから本書を公刊することとした。
読者は本書の構成、順序にとらわれることなく、どこからでも自由に目を通していただければ幸い、と願っている。