前書きなど
はじめに——牛のマネする蛙
子どものころにみた光景が、ふと、よみがえった。
町はずれにある停車場の跨線橋を、男たちの長い列が渡っていく。板張りの跨線橋は雨に濡れそぼっていて、横に大きくあいた窓のむこうを、無数の戦闘帽のシルエットの波がつづいている。重い規則的な足取りの音が響いてきた。
母親のそばにたって、傘をさしていたような記憶がある。停車場から、列車に乗せられて移動する、親戚のだれかが出征するのを見送りにいったのだろうか。断片的な映像で、前後の脈絡はない。まだ学校にあがるまえ、なにかもの悲しい、湿った情景である。
それは、イラクに自衛隊員が派兵される法律が国会を通過したあと、不意にたちあらわれた記憶だった。わたしたちの町は、さいわいなことに、空襲をうけることがなかった。戦争の記憶とは、陸軍の師団司令部があった町並みを行進している、兵隊たちの埃っぽい姿だけである。
2003年7月、「イラク特措法」(イラク派兵法)成立。ことし11月には、およそ1000の完全武装した自衛隊員が、イラクに上陸、軍事占領している米英軍を支援する、という。政府は、58年ぶりに、兵員を戦地に赴かせることを決定したのだ。
日本国憲法が、武力の行使を否定しているのは、第二次大戦中、あまりにも多くのひとたちを殺し、あまりにも多くのひとたちが殺された悲惨にたいする、痛恨の反省によっている。その重大な約束を、たまたま多数を握っただけの政党が、国会で、「強行採決」などという暴挙によって覆すことができるのか。これは一種のクーデタといっていい。
イラクの全土は、いまだ戦場である。国の最高責任者である小泉首相は、派兵によって「殺されるかもしれないし、殺すかもしれない」としていってのけた。彼は米政府の要請を鵜呑みにするだけだ。独自の状況判断と決断などおよそできないタイプの政治家を、わたしたちは首相にしてしまった。
「殺されるかもしれないし、殺すかもしれない」
このことを、戦後の日本はもっとも懼れてきた。
では、なんのために、世論を押し切ってイラクへ兵をだすのか。
兵をだすために、である。
すきをみて既成事実をつくったあと、それを恒常的な法にする。それが日本の政権党がやってきた、伝統的な政治手法だった。
つぎの狙いは、教育基本法、そして憲法の扼殺である。
戦後以来、これまでの五八年のあいだ、あらたに靖国神社に祀られてきたのは、事故死した自衛隊員たちである。本来の目的である、戦死者が祀られることは、ひとりとしてなかった。これから、本物の戦死者が祀られる。靖国が、あらたな英霊を呼んでいる。
これまでの58年のあいだ、日本の兵士に外国人が殺されることはなかった。それは日本人の安心感であるばかりではなく、おなじアジアのひとたちから、辛うじて信頼をかちえてきた理由でもある。しかし、これから、日本兵の銃口のまえに、血を流し、斃れるひとたちがあらわれよう。
わたしたちは、このような恐怖すべき近未来に遭遇しようとしている。ところが、政治勢力を、まもなく、二大政党に集約しようとする動きがある。たしかに、野党は弱すぎた。だからといって、自由民主党と公明党の連立に対抗するため、民主党と自由党が合併して、水ぶくれになったにしても、はたして、日本の軍国化を阻止する気迫があるのか。軍事力を対外的な政治力としている、帝国主義・米政府の信任をえようとしていることにおいては、両者になんの変わりもない。
日本は牛のマネする蛙である。身分不相応にも、牛の大きさに幻惑され、息を吸いこんでは腹をふくらまし、ついには無理がたたってパンクする、あのラ・フォンテーヌの愚かな蛙に、なんと似てきたのだろう。「懲りない蛙」というべきか。
わたしは、自滅を導く大国意識には、ノンといいつづける。
2003年8月 敗戦の月に
鎌田 慧