目次
はじめに
序 章
本書の目的
本書の構成
本書の制約
第一章 問題状況 -リベラリズムに対する今日の主要な批判-
第一節 リベラリズムに対する諸批判
第一項 欧米内部における批判
1 コミュニタリアニズムからの批判 2 フェミニズムからの批判
第二項 東アジアからの批判
第二節 リベラリズムの陣営からの一回答 「非哲学的」リベラリズム
第一項 「非哲学的」リベラリズムの潮流-ロールズとグレイ-
第二項 「非哲学的」リベラリズムの批判的検討
第三節 リベラリズムの新しい理論構築の際に求められる課題
第二章 可謬主義的リベラリズムの伝統と哲学的基盤
第一節 可謬主義的リベラリズムの伝統の所在
第一項 「反合理主義」およびJ・S・ミル
第二項 伝統に含まれる曖昧さ
第二節 可謬主義的リベラリズムの哲学的基盤としてのW・W・バートリーの汎批判的合理主義
第一項 帰納の問題に対するヒュームとポパーの解決の相違-非正当化主義的解釈-
第二項 非正当化主義の哲学としての汎批判的合理主義
第三項 汎批判的合理主義の特徴
第四項 汎批判的合理主義による可謬主義的リベラリズム論の伝統の洗練
第三章 可謬主義的リベラリズムにおける善き生の追求の形式理論
第一節 リベラリズムの政治理論の満たすべき前提
第一項 リベラリズムの規定
第二項 リベラリズムの政治理論における善き生の理論の位置づけ
第二節 可謬主義的リベラリズムにおける善き生の追求の形式理論
-善き生の問題に対する汎批判的合理主義の適用-
第一項 善き生の問題に関する正当化主義的思考の影響
第二項 非正当化主義から導かれる善き生の追求の形式理論
1 善き生の問題に対する汎批判的合理主義の適用
2 汎批判的合理主義の下での善き生の追求の過程の特徴
3 善き生の問題に関する政治哲学の役割の転換
第四章 善き生の追求の共通条件
第一節 二つの条件
第二節 外的条件-善き生の構想の批判的吟味の機会の保障-
第一項 消極的保障の側面
第二項 積極的保障の側面
第三節 内的条件-自省的主体性の発達の条件-
第一項 自己客体視の条件
1 アダム・スミスの道徳理論の示唆
2 G・H・ミードの社会的自我の理論-一般化さ
れた他者の内面化-
3 善き生の追求の共通条件としての一般化された他者の内面化
第二項 認知的柔軟性の条件
1 認知スタイルの概念
2 認知スタイルに関する諸研究
3 認知的柔軟性とSelf-Esteem
4 善き生の追求の共通条件としてのSelf-Esteem
第四節 この章のまとめ
第五章 可謬主義的リベラリズムの政治制度
第一節 市場機構
第一項 市場か自由な審議のフォーラムか?
1 可謬主義的リベラリズムとハーバーマスの討議倫理学との相違
2 理想的政治制度像の相違
第二項 「疎外」の概念に基づく市場批判に対する反批判
1 疎外概念に基づく市場批判
2 疎外概念に対するバートリーの批判
第三項 善き生の構想の吟味の場としての市場
1 職業と善き生の構想の吟味 2 消費と自己発見
第四項 市場機構のうまく機能する条件
第二節 人権制度
第一項 従来の代表的人権論とその批判
1 義務論的人権論 2 現代の契約論的人権論
第二項 間接的帰結主義からの人権論構築の試み
1 間接的帰結主義の概念と人間精神の可謬性
2 J・シェーマーの可謬主義に基づく間接的帰結主義からの人権論
第三項 可謬主義的リベラリズムにおける人権論の構想
第三節 家族、共同体、教育
第一項 一般化された他者の態度の内面化を促す諸政策
1 様々な規模の中間的共同体の必要性 2 教育のあり方
第二項 高いSelf-Esteemの感覚の育成のための諸政策
1 高いSelf-Esteemを形成する諸要因
2 高いSelf-Esteemの感覚の育成のための諸政策
第三項 リベラルな国家における内的条件の整備
-内的条件の整備とリベラリズムの中立性原則-
第四節 民主主義制度
第一項 民主主義制度の利点
第二項 民主主義制度のうまく機能する条件
第五節 この章のまとめ
第六章 リベラリズムをめぐる現代の論争と可謬主義的リベラリズム
第一節 可謬主義的リベラリズム論における正義の優先性
第二節 リベラリズムに対する諸批判への回答
第一項 欧米内部における批判への回答
1 コミュニタリアニズムからの批判への回答
2 フェミニズムからの批判への回答
第二項 東アジアからの批判への回答
-非欧米文化の一例としての日本文化との親和性を手がかりに−
1 日本文化の特徴−相互依存的自我観と状況を重視する道徳観−
2 可謬主義的リベラリズムと日本文化との親和性
3 東アジアからの批判に対する回答
−可謬主義的リベラリズムの幅広い文化横断的受容可能性−
終章 まとめと残された課題
あとがき
参考文献表
索引