目次
序 論
第1章 言語学的分析の再検討
第2章 丁寧さ(ポライトネス)理論の再検討
第3章 丁寧さと失礼さ
第4章 言語分析におけるジェンダー
第5章 ジェンダーと丁寧さ
結 論
訳者あとがき——「丁寧さ」の奥にあるものは?
参考文献
前書きなど
序論(抜粋)
本書の目的は、コミュニティにもとづいて、談話レベルにおけるジェンダーと言語の丁寧さ(ポライトネス)、もしくは両者の関係のモデルを考えていくことにある。これは、もっぱら個人に注目して行なわれてきた丁寧さをめぐるほとんどの分析とは、一線を画すものである。ジェンダーや言語の丁寧さとはなにか、そして、いかに機能しているのかということを検討しながら、これらの事柄が安定的で、固定しているとすることに疑問を投げかけていくのも本書の目的である。つまり、私は、これらの事柄を、人が会話の際に行なっている評価のプロセス、または、行為とみなす。とはいっても、このプロセスモデルでは、ジェンダーや丁寧さがその場限りのものであるとか、あまり重要な影響を与えていないということではなく、むしろ、丁寧さやジェンダーといったものが、固定していて、予測できるものとする発想から一歩出てみたいからなのである。ジェンダーや丁寧さのもっている性質を徹底的に問い直しながら、同時に、言語上のふるまいに対する評価のプロセスにみられる、ジェンダーと丁寧さのステレオタイプの役割についても考察していきたい。根底にある私の中心的な問いは、ジェンダーが人種、階級、年齢、性指向、さらには文脈上の要素などの要因と相まって、言語上の丁寧さや失礼さの産出と解釈にいかに影響を与えているのかを説明できる、複合的で論理的な相互作用(インタラクション)モデルをどのようにして作り上げることができるのかということである。そのためには、現在ある多くの言語モデルを批判的に検討することが必要である。言語学において展開されてきた言語の産出や解釈をめぐるモデルや、フェミニスト理論において体系化されたジェンダーモデルに不満を感じたため、丁寧さの分析への新しい方法を見い出そうと考えるようになった。
言語上の丁寧さは、これまでジェンダーと言語研究の中心部分に位置づけられている。レイコフ(Lakoff, 1975)にはじまるような、女性は男性よりも丁寧であるといった発想は、付加疑問文から命令文に至るまでの言語的な特徴の分析の背後に横たわっている。本書の目的は、ジェンダーをめぐるこのようなステレオタイプにはまった前提をあぶりだし、問い直し、ジェンダーと丁寧さの両方の複雑な関係を反映しうるような、新しく、より文脈に配慮した分析を提案することである。女性が男性より積極的な丁寧さがあるとしたホームズ(Holmes, 1995)のような研究者は、非常に機能的な分析方法を採用してきた。つまり、ある言語的な項目や方策が、丁寧なものであると簡単に分類できると論じてしまっている。彼女らのような言語学者は量的調査を行ない、女性が男性よりも丁寧かどうかを判断することになる。しかし、丁寧さをそれほど容易にまとめられるとする、まさにその態度を、私は問い直したいのである。言語上の項目や句が丁寧かどうかを判断できるのは、まさに、それぞれの実践コミュニティで会話を行なっている当事者なのである。
本書の構成
第1章では、もっともはっきりしている、話し手や、聞き手、コミュニケーションなどのモデルに関する言語学的な解釈に関する一般的な問題を扱う。第2章では、ブラウンとレヴィンソンによる丁寧さ(ポライトネス)理論の問題をみていく。彼らの理論をめぐる多様な批判をまとめ、新しい分析方法を求めていく。第3章では、失礼さとの関連から、丁寧さの論じられ方についてみていく。失礼さは、それ自体では、ほとんど分析されてこなかったものである。そこでは、会話参加者の間で、失礼にふるまったと考えてしまう状況に焦点を合わせる。第4章では、第5章で言語とジェンダー研究にみちみちているステレオタイプを吟味するために、ジェンダーに対する、よりプロセスにそった遂行的な理論化を検討する。ステレオタイプの概念は、適切さの評価を行なうために会話参加者にとって決定的なものである一方、それらは個人ごとに異なって想定されたステレオタイプでもあることを論じる。このようにステレオタイプは、言語の解釈や産出に影響を与えている。しかし、研究者はおうおうにして、自身が想定するジェンダー・ステレオタイプが、一般的に受け入れられ、他の人と共有していると思い込んでしまっていることを論じる。ジェンダーを分析するときに、たとえば、全ての女性は全ての男性より丁寧であると想定するようなステレオタイプをよりどころとしてしまう。しかし、会話参加者は、ある文脈において、会話のやりとりの際、このようなステレオタイプをよりどころとするかもしれないが、だからといって、彼らの言語上のふるまい全般に対する分析として正確であるということではない。このように、会話参加者によってよりどころとされたり、挑戦されたり、ばかにされたりする仮定上のステレオタイプと、私たちが分析に用いるモデルや私たちが求める調査上の論点を示すような、ジェンダーをめぐる私たち自身の理論上の見方とは、明確に区別する必要がある。結論では、ジェンダーと言語の分析や、丁寧さの調査の今後に向けて述べたい。
結論として、本書での主な主張は、言語上の丁寧さを扱う研究者は、新たな視点から考えることで、会話の際に互いに丁寧か失礼かを判断し合うときに、なにが行なわれているのかということについて、誤った想定、発想をしないようにすべきだということである。模索すべきは、丁寧さを分析する新しい方法であり、そのことで丁寧か失礼であるかのプロセスにいかに様々な力が作用しているかみることができ、また、このような評価の成果と効果をみていくことができるのである。しかし、たとえば、間接性を丁寧なふるまいの例として分析するのは避けるべきで、むしろ、分析対象とする会話参加者全員が、発話を間接的だと考えているかどうか、また、間接性が丁寧さを示すものと考えているかどうかという根本的な問題を問うべきである。丁寧さと失礼さは評価の問題なので、判断それ自体のプロセスに注目しない限り、理論づけられた研究ではなく、丁寧さについての我々個人の評価を提示しているにすぎないものとなるだろう。