目次
まえがき
1 歴史
第1章 米国最大のマイノリティ――ヒスパニック=ラティーノ系とは誰か
第2章 スペイン人の移住――米国・メキシコ辺境地帯の歴史
第3章 アラモ砦とテキサス戦争――米国膨張主義とメキシコ1
第4章 マニフェスト・デスティニーと米墨戦争――米国膨張主義とメキシコ2
第5章 南北戦争前夜のテキサス――アングロ系とメキシコ系との相克
第6章 南北戦争以後のテキサス――アングロ系と経済の発展
第7章 「ゴールドラッシュ」の光と陰――カリフォルニア・ドリーミング
第8章 無法者(デスペラード)――メキシコ人労働力の流入
第9章 エル・チャミサル問題――米国・メキシコ国境紛争
第10章 公民権運動とセサール・E・チャベス――農業労働運動とチカノ運動の狭間で
第11章 ブラセロ計画から移民法改正まで――メキシコ人労働移動の歴史
第12章 コモンウェルス維持か州昇格か?――プエルトリコ系の軌跡
第13章 革命と亡命の歴史――キューバ系の軌跡
第14章 トルヒージョとバラゲール――ドミニカ系の軌跡
第15章 紛争と和平――中米諸国の歴史と人びとの歩み
2 現代社会・文化の諸相
第16章 米国のスペイン語――多様性と語彙
第17章 RAEと21のアカデミアス――スペイン語統一性維持と薄れゆく「スペイン性」
第18章 スペイン語メディアの現在――ヒスパニックパワーという「物語」
第19章 スペイン語メディアの挑戦――購買力向上と広告
第20章 バイリンガル教育――歴史的背景と現状
第21章 麻薬テロリズム――左翼テロ組織「FARC」の実態
第22章 北米自由貿易協定NAFTA――締結による経済効果
第23章 ヒスパニックの経済効果――米国のメキシコ系移民労働者
第24章 政界進出――政治家と政治団体
第25章 移 民――ニューカマーのヒスパニック系
第26章 マイノリティの試練?――アファーマティブ・アクション廃止
第27章 政治参加――大統領選挙を中心に
第28章 ロサンゼルス暴動――ヒスパニック系と韓国系の対立
第29章 異文化摩擦――ヒスパニック系内部の対立
第30章 ボーダーに響く声の文化――男性文学
第31章 人種や国境・性差に橋を架ける――女性文学
第32章 キューバとニューヨーク――音楽1
第33章 「ラテン」と「ポップ」の境界――音楽2
第34章 野球選手――もう一つの「社会的向上」
第35章 アメリカ化された南西部スタイル――ラテンアメリカの料理
第36章 対抗文化――チカノ・アート1
第37章 ポストモダン――チカノ・アート2
第38章 祭り(フィエスタ)とアイデンティティ――メキシコ系住民による3つの祝祭をめぐって
3 映画でみる人と社会
第39章 映画は社会を映す――ヒスパニック系の多様性
第40章 「情熱」と「母性」と――名優たち
第41章 『ウエストサイド物語』――越境的性格を持つ主人公
第42章 社会風刺――80年代ラテンアメリカの政治変動と映画
第43章 『エル・ノルテ』――メキシコ人不法入国者の物語
第44章 『ラ★バンバ』――越境の代償としての死
第45章 『グロリア』――異文化を越境する愛
第46章 『エル・マリアッチ』――90年代主人公の逆越境性
第47章 『Born in East L.A.』――異文化摩擦のコミカル描写1
第48章 『愛さずにはいられない』――異文化摩擦のコミカル描写2
第49章 テキサスの「独立」と「自由」のために――アラモ砦映画とプロパガンダ
第50章 「マチスモ」――「制度化」された男性像と新しい男性像
4 越境する人びと
第51章 インターネット――オンライン・サービスとヒスパニック系
第52章 リチャード・ロドリゲスの場合――アファーマティブ・アクションを拒否する
第53章 エスカランテとオルモス――未だ「越境」成らぬ同胞のために
第54章 ベンソン博士――メキシコ研究に生涯をかけた白人女性
第55章 宇宙への越境――「ヒスパニック系」を超えて
あとがき
アメリカのヒスパニック=ラティーノ社会を知るためのブックガイド
アメリカのヒスパニック=ラティーノ社会を知るためのシネマガイド
索引
前書きなど
まえがき
二〇〇一年九月一一日に米国でおこった同時多発テロ事件は最悪で、同国史上最も重要な事件の一つとして後世にも語り継がれていくことと思われる。これまで米国領土内で外国人の攻撃によって米国人が犠牲になった事件は三つあるとされ、三大悲劇あるいは三大屈辱の歴史として扱われてきた。アラモ砦でのメキシコ軍による攻撃(一八三六年)、メイン号爆破事件(一八九八年)、そして真珠湾攻撃(一九四一年)である。三つの事件のうち、最初の二つまでが米国とラテンアメリカの摩擦からおこっている。これは、本書で扱うテーマでもある。そして九・一一事件がその四番目の事件に加えられることになるのかもしれない。
ところで、これらの戦争によって、米国人に犠牲者が出たために、米国史のまさに「悲劇」であり「屈辱」の事件なのであるが、反面、それらは米国人が報復戦争を展開する正当な理由と化した。つまり、アラモ砦事件はサンハンシントの戦い(一八三六年)、さらには一八四六年に勃発する米墨戦争(メキシコ戦争)の遠因になった。メイン号爆破事件はすぐに米西戦争(一八九八年)を引きおこした。真珠湾攻撃はいうに及ばず、日米開戦の原因となった。九・一一事件もイラク戦争を生んだ。そしてそれぞれ国内外で世論の批判もあったが、最終的に米国は戦争に勝利し、概ね当初の「目的」を達成すると同時に、その威信を世界に示したのであった。「民主主義」や「自由」という自らの政治理念の伝道者としての名声と、そのための戦争や政治的干渉の正当性を他国に知らしめたのである。
このように自己の論理と強力な軍事力を盾に、反米的な国ぐにに介入する、いわゆる米国の内政干渉の歴史は、すでに一九世紀前半のテキサス併合や米墨戦争の頃から「膨張主義」や「マニフェスト・デスティニー」を通じて展開されてきた。自国の内紛という試練を味わった南北戦争や、ベトナム戦争での苦い経験もあったが、それでも米国は基本的に大きく挫折することもなく、まさにワールドパワーとしての立場を今日まで誇示し続けている。
他方、米国は歴史的に多くの移民を受け入れてきた多民族国家であり、そのため、国内には極めて大きな社会的問題を抱えている。一九八〇年代後半以降、次第にそれまでの多文化主義に対する批判が新保守主義者(ネオコン)を中心に高まり、今日ではそれにテロリズムに対する危機管理の強化という面が加わり、不法労働者を社会的悪とするナショナリスティックな風潮の方が優勢である。その一方で、その反動としてのマイノリティの動向も無視できない。なかでも、ヒスパニック系の人口増加は急速に高まってきており、すでにアフリカ系(黒人)を超えて、最大のマイノリティになっている。事実、ブッシュ大統領を選出したこれまで二回の大統領選挙では、ヒスパニック系のマイノリティ票が勝敗の重要な鍵を握っていたといわれているが、これはスペイン語による選挙キャンペーンが展開されたことからも十分に理解できよう。
さて、本書は米国の「ヒスパニック=ラティーノ社会」に関して著したものであるが、歴史、政治、経済、文化、文学、美術、メディア、映画、音楽、スポーツ、料理など、様々な領域からアプローチされたヒスパニック系社会や人びとに関する邦語の概説・入門書という意味で、おそらく初めての書物になると思われる。先に述べたように、今日、白人以外のマイノリティ社会に関する知識がないと真の米国社会を理解することはできなくなってきている。わが国では、南北戦争や公民権運動の研究の蓄積があり、これによって、同じマイノリティでも米国のアフリカ系についての研究はある程度まで進展していると思われる。また同胞である日系人や、アジア系移民に関する研究も皆無ではない。しかし、今日最大のマイノリティであるヒスパニック=ラティーノ系に関する邦語による書物や論文は、本書の執筆者を含め、まだ少数の研究者によって発表されているにすぎず、その書物も単著は少なく、しかもヒスパニック研究以外の内容を含んだものが大半である。このような状況を生んだ理由に、わが国のヒスパニック研究の遅れを指摘しなければならないが、この背景には、米国研究の日本人専門家には、英語以外にヒスパニック系の言語であるスペイン語を解する者が少ないこと、他方、従来スペイン語の知識がある研究者の関心はもっぱらメキシコ以南のラテンアメリカ地域に向けられ、米国との国境地帯や、米国内の文化的社会的ボーダレス地域に対する関心に向けられることが少なかったからではないかと考える。この意味で、わが国におけるヒスパニック研究は始まったばかりで、まだ研究年数の比較的浅い学問的領域であるといえよう。しかし、わが国でも現在の米国社会の大きな社会的変化に注目し、これに関心のある日本の一般読者や大学生・大学院生も増えてきており、手軽に読めるヒスパニック系社会に関する概説・入門書の出版を待望されている読者も少なくないと推察されるのである。
執筆者の大半が中堅・若手の研究者であることもあり、この度の出版はいささか荷の重い仕事ではあったが、幸いにして編者の出版計画に対して、米国およびラテンアメリカ双方の研究者から執筆を快諾いただき(言語に関しては米国人研究者の協力を得ることができた)、全体として、マイノリティ研究にありがちな先入観に最初からとらわれすぎた、偏った「ヒスパニック論」にならないように、編者として執筆者の選定に気を配ったつもりである。また、可能な限り、それぞれの領域の専門家に持論を自由に展開してもらっているが、共著にありがちな各論の寄せ集めにならぬように、あくまでも読者の立場に立ち、本書を最初から最後まで通読して、ヒスパニック社会の全体像が把握できるように、全体の構成や「流れ」を考えて執筆・編集することを心がけた。その調整のため、結果的に編者の牛島が本書の半分以上を執筆することとなった。識者からの容赦ない貴重なご意見をいただければ幸いである。
なお、一般的には、「ヒスパニック」と「ラティーノ」の二つの呼称がほぼ同義語としてバランスよく用いられ、英語の文献ではHispanic/ Latinoと並列されている場合も多くみられる。このことをふまえ、本書の書名は少し長くなるが両方の呼称を用いて『アメリカのヒスパニック=ラティーノ社会を知るための55章』とした。だが、本文中ではこれを念頭において、原則、「ヒスパニック系」という表記で統一している。例外的に他の呼称を用いる場合があるが、その定義については第一章を読んでいただきたいと思う。
読者諸氏においては、必ずしも最初から順に読む必要はなく、各自の興味に応じて、第二部「現代社会・文化の諸相」や第三部「映画でみる人と社会」から読み進めていくのもよいかと思われる。ただし、いずれの場合も第一章は基本になるので、まずはそこをふまえていただきたいと思う。
最後に、当初は概ね他のエリア・スタディーズにみられるように、各章の分量をできる限り均等に配置し全六〇章で計画していたが、執筆を進めていく過程で大幅に予定を変更し、あまり分量の均一にとらわれすぎず、自由に執筆することにした。そのため、できあがった各章の長さにはばらつきがみられ、かつ紙面の制約で全体を五五章におさめなければならなかった。しかし反面、写真や図表を紙数の許す限りふんだんに取り入れたので、視覚的にも十分に興味を持っていただけるのではないかと思う。本書を通じて、ヒスパニック社会に対する理解を深めていただければ幸いである。
二〇〇五年八月 編者