目次
刊行にあたって
まえがき
●公開シンポジウム
「二一世紀後半の言語」——情報化・国際化の中で言語はどうなるのか
第一部 二〇世紀末の世界の言語の現状
第二部 二一世紀後半における世界の言語の予測と大学のはたす役割
付属資料
「世界の言語」——その現状と未来
付属資料
用語解説
あとがき
言語索引
用語索引
前書きなど
まえがき
本書は、一九九八年一一月二日に山口大学において開催された公開シンポジウム『二一世紀後半の言語』に関する報告書である。前山口大学長廣中平祐氏の発案で、山口大学人文学部で『「二一世紀後半を読む」プロジェクト』がおこなわれたが、これはその中の一つの研究成果である。
シンポジウム当時もまた今日も、言語学の緊急の課題として、危機に瀕した言語の記録・保存ということがある。現在、地球上では六〇〇〇を超える言語がはなされているといわれているが、二一世紀のおわりには、その九割が地球上から消滅すると予測する学者さえいる。二〇世紀はまさに、人類がかつて経験したことのないペースで急速に人口が増加し、少数の大言語が巨大化し、大多数の少数言語を周辺に追いやり、ついには消滅させようとしている。この状態があと一世紀つづいたならば、人類のかけがえのない遺産である言語の大半が、本当にこの地球上から永遠に消滅してしまうかもしれない。このことは、言語の研究にたずさわっている者にとって、容易に見すごすことはできない。取り返しのつかない事態が生じる前に、一〇〇年後を予測するという大胆なこころみをすることで、広く社会にむけてその問題提起をしてみたいというのが、本シンポジウムの目的である。
シンポジウムは通常、専門家相手に企画されることが多い。しかし、ことは言語学者だけの問題ではなく、研究者だけで理解をふかめるのは、かならずしも得策ではない。若い大学生や一般社会の人々にこそ、正しく現状を理解してもらうことが大切である。そのためには、専門用語をならべて敷居を高くするのではなく、平易な話しことばで語りかける必要がある。シンポジウムでは、そのことをパネリストの方々におねがいし、誰にでも理解できるようにわかりやすく話してもらうことにした。また、今回出版するに際しても、シンポジウムの模様をできるだけ再現できるように、原則として、当日の発言のまま文字化するよう心がけた。それでも中にはどうしてもむずかしい専門用語がでてくるかもしれない。多くの読者の皆さんが読みすすめる上で参考になるように、巻末に、「用語解説」をつけたので、必要に応じて利用していただければ幸いである。
シンポジウムのパネリストとしては、崎山理氏、中川裕氏、鵜飼哲氏、池田巧氏をお招きし、またコメンテーターとして当時の廣中平祐山口大学長にも加わっていただき、司会進行は乾秀行がつとめた。各パネリストのプロフィールについては、巻末の執筆者紹介をご覧いただきたい。シンポジウム当日は、若い大学生を中心に、三〇〇名以上の聴衆が会場いっぱいに埋めつくす中、当初の予定時間三時間を一時間以上超過したにもかかわらず、盛況のうちにおえることができた。著名なパネリストをお迎えできたことに加えて、テーマ自体にも一般の関心がきわめて高かったことが証明され、企画を担当した者として、本当に喜ばしいかぎりであった。
シンポジウムは二部構成になっており、いくつかのトピック(以下「 」でくくる)ごとに議論を展開している。その内容を簡単に紹介する。
第一部は『二〇世紀末の世界の言語の現状』である。まず「世界の言語の分布状況」について概観したのち、各国の「少数言語の現状」について、日本、中国、フランスの順に、公用語とのかかわりが、各国の個別事情にあわせて、具体的にわかりやすく説明されている。「情報化・国際化の中での大言語」では、インターネットに代表される情報化や、ボーダレス時代を象徴する経済の国際化の中で、フランス語や日本語といった大言語ですら、超巨大言語である英語にその存在をおびやかされるかもしれないことがとりあつかわれている。ところで、英語のように、いろいろな言語・文化をもったところに進出する巨大言語は、その宿命としてみずからも純血ではいられなくなる。たとえば、英語の構造の中にある言語接触の痕跡をたどることで、大言語ほど接触言語である可能性が高いことが言及されている。ちまたに広がる英語至上主義にたいして、言語学の立場から一石を投じられたら幸いである。「少数言語が生き残る道」では、少数言語が一〇〇年後まで生き残ることが可能なのか、経済的あるいは政治的な要因についてその条件を検証している。また、たとえ現在危機に瀕している言語であっても、母語の復興とは別に、みずからの民族としてのアイデンティティをとりもどすための言語の復興運動というものは何年たってもなくならないとの見解がしめされた。「多言語共生」では、少数言語が大言語と共生しながら生きのびる可能性について、一つの事例として、中国の少数言語のように、中国政府の政治的な要因に左右される面と、香港のように経済的要因が政治的要因を凌駕する面を、対比してとりあげている。最後に、民族のアイデンティティとしての言語のはたす役割について言及され、民族が言語を切り替える可能性について、興味深い実例があげられている。
第二部は『二一世紀後半における世界の言語の予測と大学のはたす役割』である。まず「言語による先史研究」では、未来を予測するための前提として、言語がいったいどのくらいの速度で変化するものなのかについて、また、言語系統論の方法およびその限界について、言及されている。「情報化・国際化時代の少数言語」では、二一世紀に言語学者は何ができるのかについて議論されている。少数言語の保存の意義についていえば、保存は話し手自身のためであり、その選択権はすべて話し手自身にある。しかし、完全な自由選択権があるわけではなく、社会的・経済的要因により、しかたなくみずからの母語をすてざるをえないのかもしれない。平等な社会的・経済的基盤を少数言語話者に与えることの必要性が説かれている。そのような条件が整ったときにはじめて、言語学者が集めた少数言語の記録・保存が活用される可能性も出てこよう。また、情報化社会の中で、少数言語のためにインターネットを活用する方法について言及され、その際、言語学者がはたす役割について提案されている。
以上の議論をふまえて、シンポジウムの趣旨である「一〇〇年後の世界の言語」を、各パネリストの方に大胆に予測していただいている。パネリストご自身のご研究に関連して、英語のヘゲモニーの限界、インターネットの将来、民族のアイデンティティの高揚、中国の少数言語の将来、普遍言語の模索など、多岐の予測がだされた。文系の研究者が未来を語ることはめずらしい。廣中学長の思惑どおり、意欲的なこころみであるので、ぜひ読んでいただきたい。
ここでいったん、廣中学長にコメンテーターとして登場していただいている。学長の鋭い感性と熱い語り口は、わずか数分間ではあったが、その本質を見抜いておられ、聞く者に勇気と感動をあたえてくれる内容になっている。
シンポジウムのしめくくりとして、「二一世紀後半の大学の役割・大学での外国語教育」について議論されている。大学の言語系教員として、外国語教育(第二言語教育)は、避けて通れない重要なテーマの一つである。大学人として、長期的な視野にたって、社会にむけて積極的な発言をすることもまた大切であろう。社会からの強い要望にこたえる形で、いま大学の外国語教育は大きな変革をもとめられている。社会のニーズという名のもと、現在いろいろな大学で、実践的な英語教育が過度に推し進められようとしている。ここでは大学での外国語教育のあり方について、あえて言語学の立場から問題提起したつもりである。
なお「質疑応答」において、会場の三名の方から質問をいただいた。今回、その質問された方に原稿の校正を依頼できなかったため、出版に際してご迷惑のかからないように、お名前をあえて匿名にさせていただいたことをここにお断りする。
本書には、シンポジウムの記録とは別に、いくつかの論文が収録されている。一つは、当日拠ん所ない事情で、やむをえずご欠席された松本克己氏に無理をおねがいして、後日「世界の言語——その現状と未来」というタイトルでご執筆いただいたものである。氏の言語類型地理論的ご研究をふまえた、巨視的な視点からのまことに興味ぶかい論考である。その内容は、「世界の言語の地域的分布」、「世界の言語の系統的分布」、「言語の系統とその時間的奥行き」、「言語と話者人口」、「言語と国家」、「危機に瀕した言語」、「世界言語権宣言(日本語訳)」という構成になっている。氏の一〇〇年後を見とおす洞察力と説得力のある明晰な文章は、一般読者にも強く訴えかけるであろう。また、「世界言語権宣言(日本語訳)」は、このテーマを考えるうえで基礎資料となると思われる。わかりやすい邦訳なのでぜひ熟読されることをお勧めする。
また、パネリストの方にも追加執筆をおねがいした。その結果、崎山氏、池田氏から補説を寄稿いただいた。崎山氏からは、一九九九年から二〇〇三年までの三年半にわたる文部科学省の特定領域研究「環太平洋の〈危機に瀕した言語〉にかんする緊急調査研究」に中心的にかかわってこられた経緯から、その研究成果をふまえて、二一世紀後半の言語がどうなるかは、これらの危機言語をどのようにして再生させるかにかかっているという補説をいただいた。池田氏からは、シンポジウムから六年が経過し、情報化に関する内容を中心に、いくつかの新しい動向と視点を補っていただくとともに、中国におけるその後の少数言語研究の動向についても、加筆していただいている。また、鵜飼氏および中川氏にも、ご多忙中にもかかわらず、一部加筆訂正をしていただいている。
以上、本書は一つのシンポジウムの報告書にすぎないが、一般読者を強く意識した内容になっている。書店で少しでも興味をひかれて手にとられたならば、それは大切な出会いになるかもしれない。
山口大学 乾 秀行