目次
中国古代史
第1章 祖国の歴史の第一篇——先秦
第2章 封建的大統一の時代——秦漢
第3章 封建国家の分裂と民族の融合─—三国、両晋、南北朝
第4章 封建社会の繁栄——隋唐
第5章 封建社会の継続的発展と民族政権の並立——五代、遼、宋、夏、金
第6章 統一的多民族国家のさらなる発展と封建社会の盛衰——元、明、清(アヘン戦争以前)
中国近代現代史 上冊
第1章 清朝末期に中国は初めて半植民地半封建社会に陥った
第2章 中国資本主義の発生、発展と半植民地半封建社会の形成
第3章 ブルジョア階級民主革命と清朝の滅亡
第4章 北洋軍閥の統治
第5章 新文化運動と中国共産党の誕生
第6章 国民革命の勃興と敗北
中国近代現代史 下冊
第1章 国共の10年の対峙
第2章 中華民族の抗日戦争
第3章 人民解放戦争
第4章 中国近代の文化
第5章 中華人民共和国の成立と社会主義への移行の実現
第6章 社会主義建設の探索のなかでの曲折を経た発展
第7章 「文化大革命」の10年
第8章 社会主義近代化建設の新局面の形成
第9章 統一戦線の発展と各民族人民の団結
第10章 中華人民共和国の外交
第11章 社会主義時期文化の発展と社会生活の新しい変化
前書きなど
東京大学名誉教授 小島晋治 この高等学校用中国歴史教科書を読んで、第一に思うのは、日本のそれと比べて、圧倒的に厖大な分量である。『古代史』については必修用でなくて、選択履修者向けの教科書とあるが、「選択」の意味は、歴史を特に好んで学ぼうとする生徒に向けたもの、という意味だと思われる。 かつての中国の歴史教科書は、小学生から高校生向けまでおしなべて、歴史の進歩を推進した原動力として、農民反乱、農民戦争を大きく取り上げ、階級闘争、特に農民の「反封建」闘争の意義が強調して述べられていた。だが毛沢東の時代が終わり、改革開放の下で、外国の資本や技術の導入が進められ、科学技術や、外国の進んだものを学ぶことの重要性が強調される中で、自国史の見方にも変化が現れてきた。農業や手工業の技術や、商業と貨幣経済の発展、古くからの中国の科学技術の優れた遺産、これに貢献した学者や技術者を賞讃し、そこから学ぶべきことが強調されるようになった。この教科書でも、原始時代から現代に至るまでの生産技術や科学の発展が、文学・芸術・思想の進歩と同様に、いやそれ以上に各時代にわたって強調されている。さらにかつての教科書と非常に違う側面として、人びとの衣・食・住の日常生活、芸能や遊び、風俗の変化などが、非常に具体的に記述されている。これは歴史、その進歩を生活に則して考えさせる上で、また、歴史に興味をもたせる上で、有効であろう。 次に感じるのは、自国の歴史に誇りをもたせようとする強い想念がある。本書の記述には、しばしば、「……の発見(や発明)は、ヨーロッパより(……年も)先んじている」という表現が現れる。15、16世紀までの中国文明が世界の先頭を切っていたことは確かな事実であろう。しかし、文明の先進・後進を強調することではなく、この教科書でもすでにある程度書かれているが、それぞれの民族や国家、地域の文明の個性、特色を重視し、それらの交流によって人類史が豊かになったことを示すことが、これからの人類世界にとって、より重要になるのではないか、という想いも禁じ得ない。この自国史への誇りの強調は、アヘン戦争以後の欧米列強の、そして日清戦争以後は、特に日本の圧迫、侵略による被害への強い意識の裏返しであり、また、在日の中国人研究者朱建栄が述べている(『論座』2004年3月号「西安反日デモが象徴する日中の過渡期」参照)ように、「中国国内の経済発展と一定の自由化に伴うナショナリズムの台頭」——朱氏は米中改善につれてその矛先が日本に向けられていることを憂慮している——の所産ではなかろうか。 近年強まっている日本のナショナリズムの表現である「新しい歴史教科書をつくる会」の『新しい歴史教科書』について、小熊英二は、それは「強烈な欧米コンプレックスの産物」であり、「とにかく、欧米との対比の中でいかに日本を正当化するかということに記述の重点が置かれている」、「こんな教科書で教育されたら、子どもはいつも自分と他人をくらべて優越感と劣等感にふりまわされるような、卑屈な人間になるのではないか」と批判している(小熊英二・上野陽子『〈癒し〉のナショナリズム』(慶応義塾大学出版会、2003年))。 中国のこの教科書は、日本の『新しい歴史教科書』のように、(仏教美術は)「ミケランジェロに匹敵する」とか、「ギリシャの初期美術に相当する」というような対比は決しておこなっておらず、ただある重要な、共通する科学技術上の発見、発明はヨーロッパより「……年も早かった」という事実を書いているだけで、また、「日本は他のアジア諸国をヨーロッパの支配から解放することを宣言した」とか、他のアジア諸国を「欧米と日本の関係の中で日本をひきたてる役」にしていることと全く違って、侵略と支配への抵抗の主体として自らを描いている。そうではあるが、やはり欧米コンプレックスが抜き難くあることは否定できないように思われる。中国がより安定して発展し、さらに自信を強めていくにつれ、こういうコンプレックスとナショナリズムが後景に退いていき、さらに優れた教科書が書かれるようになることを期待したい。2004年3月