目次
まえがき(石井米雄)
一 なんのための「国際化」
(1) 駅弁から世界がみえる
(2) 相互依存と国際化
(3) 国際化とはなにか
二 文化接触の諸相
(1) 歴史的な側面
(2) 動物・植物も国際化
(3) 衝突をくり返す異文化接触
三 「生息圏」「精神圏」「記号圏」
(1) 多重的な生息圏
(2) 意識活動がつくりだす精神圏
(3) 言語がつくりだす記号圏
四 コミュニケーション学の背景
(1) きっかけは第二次世界大戦
(2) ことなる記号圏のアメリカとイギリス
(3) コミュニケーション学のひろがり
五 縮小する地球・拡散する情報
(1) 伝播する文化
(2) 技術の進歩が地球をちいさくする
(3) 情報の自由化がもたらすもの
六 制御と共生
(1) 情報の制限
(2) 国際化と排外主義
(3) 共生の道をさぐる
七 「ごちゃごちゃ主義」のすすめ
(1) 相対主義と原理主義
(2) アメリカ原理主義の危険性
(3) 日本的スタイルで貢献する
あとがき
参考文献目録
前書きなど
そんなきびしい現実の世界のなかで、これからの日本はどう生きて行けばいいのでしょうか。アメリカの一国主義と、イスラム過激主義という二つの原理主義が、ただひとつの正しさを主張してしのぎをけずっている現在の世界の情勢を目の当たりにして、それならば日本の生きる道はどこにあるのかとわれわれは考え込んでしまいます。そんなわれわれにとって、加藤さんは、日本人のもつ思想的伝統が強靭な力を発揮できるのではないかという、意外ともいえる提案をしてくれています。 われわれはともすればすべて物事をすっきりと割り切って理解しがちです。あいまいなものは捨て去って、心地よい明快さをもとめようとします。しかしそのこと自体が、じつはもうひとつの排他的な原理主義になってしまっているのではないのか。排他主義が、すべての悲劇のもとであったことが、いくつかの歴史的事例の証明しているとおりです。日本人は昔から、「神仏」といいます。神とほとけはまったく別のものであるはずなのに、日本人は「神仏」といってこれをごちゃごちゃにしてとらえてきました。「神もほとけもないものか」などとよく言うでしょう。しかし著者は、その「ごちゃごちゃ」の再評価を提案しようとしているのです。すべてを明確にわりきって区別する排他主義の対極にあるのが、この「ごちゃごちゃ」を許容する精神です。神もありほとけもあり、天国もあり浄土もある世界をそのままにみとめる「日本教」を生み出したのが日本人だとしたら、もういちどその「ごちゃごちゃ」の意味をかんがえてみることが大事なのではないのだろうか、という加藤さんの問いかけに耳をかたむけてみませんか。 この本の最後のところで、昔の中国の思想家「荘子」のなかに見える話がとりあげられています。そのすがたがだれにもわからない「渾沌」という偉大なのっぺらぽうの存在がありました。その「渾沌」の訪問をうけたある王様が、のっぺらぽうではこまると思い、これに目鼻をつけて形をつけようとしたところ、「渾沌」は死んでしまったというお話です。「のっぺらぽう」と「ごちゃごちゃ」。一見無責任な議論のように聞こえるかもしれません。しかしあの明晰な議論をもってなる著者の提起した、「ごちゃごちゃ主義」こそ、本当はグローバル化の世界に対応できる日本の智慧なのかもしれません。しかしこれこそがすべてを知り尽くし、考えつくした著者ならではの提言とわたくしは一読して感銘をうけました。この本は、いろいろな読み方ができる本です。読者がこの本から、それぞれに、二一世紀を生きる知恵を、それぞれに汲み取っていただけることを期待したいと思います。