目次
1 最初のアメリカ人からインカまで
第1章 アンデスの自然と古代文明…文明を生み出した多様な自然環境
第2章 最初のアメリカ人…アジアからアメリカへ
第3章 採集狩猟時代…変化する自然環境への適応
第4章 農耕と牧畜、漁労の登場…文明形成の基盤
第5章 神殿の誕生…形成期初期の社会発展
第6章 形成期の神殿と社会…神殿更新と社会発展
第7章 多様な地方文化の時代…モチェとナスカ
第8章 神殿と都市…ティワナクとワリ
第9章 近づく帝国の足音…地方王国の拡大
第10章 インカ帝国の成立…インカの神話的世界
第11章 帝都クスコの整備とインカの世界観…双分制と三分制
第12章 インカの地方支配と経済システム…インフラ整備と租税
2 征服、独立、国民国家への道
第13章 スペイン人の到来…征服者フランシスコ・ピサロ
第14章 カハマルカの戦い…インカ帝国の制圧
第15章 スペイン植民地支配の確立…征服者どうしの争い
第16章 ビルカバンバの新インカ帝国…マンコ・インカからトゥパック・アマル一世まで
第17章 ポトシ銀山と先住民社会の変容…副王トレドの大仕事
第18章 植民地時代のリマ市…都市文化の爛熟と啓蒙時代
第19章 トゥパック・アマルの反乱…植民地の危機とブルボン改革
第20章 プマカワとサンマルティン…独立戦争1スペイン領植民地最後の牙城
第21章 ボリーバル…独立戦争2フニンとアヤクーチョの戦い
第22章 「アヤクーチョの英雄たち」の時代…ペルー・ボリビア連合とグアノ・ブーム
第23章 もうひとつの「太平洋戦争」…グラウとボログネジ
第24章 立ちなおるペルー…カセレスからレギーアまで
第25章 アプラとマリアテギ…一九二〇年代のペルー急進主義
第26章 アプラの武力闘争時代…一九三〇年代の激動
第27章 エクアドル・ペルー紛争…第二次世界大戦から一九六三年まで
3 現代ペルーの政治と経済
第28章 「失われた機会」…非合意社会とフリーライダー
第29章 引き延ばされた改革…寡頭支配と一次産品輸出経済体制
第30章 ペルー革命…軍による改革で変わる社会
第31章 「失われた一〇年」…民主主義の幕開けと古い政党政治
第32章 センデロ・ルミノソの台頭…萎縮する市民社会
第33章 日系人大統領の登場…フジモリの新自由主義革命
第34章 資源開発型経済の光と影…「黄金の台座に座った乞食」を脱することができるか
第35章 フジモリ政権と一変した日本との関係…「日本カード」は活かされたか
第36章 革命政権の末路…フジモリの日本亡命
第37章 トレド政権と「可能なペルー」…信頼感の低下に悩む初の先住民系大統領
4 自然環境とその利用
第38章 多様な環境…高地は住みにくいか
第39章 ジャガイモとトウモロコシ…ペルーの主作物
第40章 アンデスのラクダとユニークな牧畜…搾乳をしない、定住的牧畜が成り立った理由は?
5 多様な人種と文化
第41章 多様な人種構成と自然環境…コスタ・シエラ・セルバ
第42章 インディオとは誰か?…文化としての人種
第43章 「魂の征服」…カトリックの布教とワカ信仰
第44章 フォーク・カトリシズム…聖人崇拝とバラヨック
第45章 アンデスの先住民族宗教…山の神信仰とパチャママ
第46章 奇跡と巡礼…コイリュ・リティ
第47章 征服の痕跡…アンデスの妖怪ヘンティルとピシュタコ
第48章 多彩なアンデス音楽…シエラの音楽
第49章 クレオール音楽の黎明期…コスタの音楽1
第50章 クレオール音楽のブーム以降…コスタの音楽2
第51章 移住者たちの音楽…チチャとアンデス・ロック
第52章 国産ロック…人種、階級の壁とグローバル化
第53章 新しい演劇、ユヤチカニ…アンデス世界と西欧的世界の狭間で
第54章 マルティン・チャンビ…ラテンアメリカを代表するインディオの写真家
第55章 小説の誕生からペルー伝説集へ…ペルーの文学1
第56章 モデルニスモから現代小説へ…ペルーの文学2
第57章 日本語で読めるペルー文学…ペルーの文学3
6 日系人社会の歩み
第58章 日本人移民が生まれた背景…奴隷制・クーリー・契約農園労働者
第59章 第二次世界大戦以前の日系人…移民から民族集団へ
第60章 第二次世界大戦と日系人…排日運動・強制連行・戦後の再出発
第61章 現代における日系人のプロフィール…世代構成・職業構成・イメージ
第62章 日本社会と日系ペルー人の新しい関係…移民とデカセギ
各章の理解を深めるための参考文献
索引
(編者以外の執筆者)
関雄二/高橋均/遅野井茂雄/山本紀夫/稲村哲也/杉山晃/山脇千賀子
前書きなど
ペルーは南アメリカに位置する。アンデス山脈が縦断していることから、太平洋岸、アンデスの山岳部、アマゾンと多様な環境に恵まれ、資源も豊富な国である。そこでは、インカ帝国をはじめとする様々な文明が栄えてきた。コロンブスによる新大陸「発見」後にスペインによる植民地支配を受けたことで、先住民族、黒人、白人の血と文化が混淆した。独立後は中国や日本からも移民たちが渡ったことから、人種的にも文化的にも非常に多様である。このような重層性、迷路に入り込むような複雑な奥深さが、ペルーの魅力ともなっている。 ペルーという国の名をきいてどんなイメージが浮かぶだろうか。遥かなる古代文明、マチュピチュ遺跡やナスカの地上絵。フォルクローレの名曲「コンドルは飛んでいく」のメロディー。素朴で自然と共生するインディオの人々。あるいは第三世界、発展途上国、貧富の差。MRTA(トゥパック・アマル革命運動)による日本大使公邸占拠事件があったことから、ゲリラやテロなどの暴力のイメージ、等々が交錯するかもしれない。 ぺルーと日本との時差は一四時間。日本が夜の頃ペルーではようやく同じ日の夜明けを迎える。日本が真夏の季節、ペルーは真冬となる。飛行機の直行便でも二〇時間近くかかる。まさに地球の裏側にある。しかし、日本とペルーとのつながりは意外に深い。たとえば新大陸の先住民族にはかつてベーリング海峡を渡った先史モンゴロイドの血が流れている。このためアンデスのインディオの子供たちには、日本の子供と同じように小さいときにお尻に蒼い痣、蒙古斑がある。インディオの人々のなかにも日本人と見間違うような容貌をした人々がいることがある。 私たちの日常の食卓に並ぶ食品もこの地の恩恵を受けている。ジャガイモはアンデスで栽培化されているし、トマトやトウガラシなども大航海時代以降、地球をぐるっと回って日本に伝わっている。海流に恵まれていることから、日本のマグロ漁船も行っている。近年はジャイアント・コーンやヤーコン、キヌア、マカなどのアンデスの食べ物に出会うこともある。 さらにペルーはラテンアメリカのなかではブラジルに次いで日系人が多い国である。現在は両国間の問題になっているとはいえ、日系人大統領フジモリが誕生している。一九九〇年以降増加している日本に「デカセギ」にきているラテンアメリカからの日系人のなかでも、ブラジルに次いで数が多い。「デカセギ」といっても家族で移住している場合が多いので、日本で生まれ育った子供たちも増えており、確実に私たちの隣人となりつつある。ちなみにこの「デカセギ」という単語は外国語の文献にも登場するようになっている。(後略)はじめに 細谷広美