目次
1942-1946 文化と悲劇 アンドレ・ジッドとその『日記』についてのノート 罪の天使たち 小説の問題に関する『コンフリュアンス』誌の特集について <古典>の快楽 ギリシャにて 『異邦人』の文体に関する考察 ベルドンヌの三人の学生による室内楽コンサート ドミニック・マルティの展覧会のためのパンフレット
1947-1952 グロメール、リュルサ、コールダー 文法の責任 革命は法則にしたがうのか? バクーニンと革命的汎スラブ主義 不条理文学に続くもの ミシュレ、<歴史>そして<死> マルクス主義の「スキャンダル」? 言葉のないユマニスム 現象学と弁証法的唯物論 エジプト学者たちの論争 隠喩について(マルクス主義は「教会」か?) ジャン・ケロールとその小説 左翼作家、あるいは左翼文学?
1953 そう、左翼文学はたしかに存在する フォリー・ベルジェール TNPの『ホンブルクの公子』 主人と奴隷 言葉もまた住処である 道楽者のなりゆき 古代悲劇の力 顔とかお 『ハムレット』は『ハムレット』以上です カトリックのアルルの女 非人間的文学
1954 ドン・ジュアンの沈黙 シネマスコープで 論説-『テアトル・ポピュレール』誌の編集方針 ドン・ジュアン 演劇と共同性 『リチャード二世』の最後 冬のアヴィニオン モスクワのペリション氏 『異邦人』、太陽の小説 ヴェルサイユとその会計 リュイ・ブラス 良き小劇場 観客のいない悲劇女優 大人になった『ゴドー』 プレ-ロマン 重要な演劇 ジャン・ケロール『夜の空間』 エグモント 逆説のない訳者 民衆演劇を定義すれば いかにして、なしで済ますか ル・グラン・ロベール 論説-『テアトル・ポピュレール』誌の方向性 『桜の園』について 今日の民衆演劇 今月の小さな神話