目次
はじめに 近代産業化百年の残照─その繁栄をめぐる功罪─
第一章 近代産業社会に生きたものづくりたち
第一節 職工と呼ばれた人々
第二節 職工たちのつぶやき
第二章 八幡製鉄所とともに生きた人々
第一節 青年は鉄都をめざす
第二節 繁栄の八幡、その光と影
第三章 時代を超えた「職工」像(一)─1901〜1945─
第一節 つくられる職工像(一)─戦前期「高炉の神様」─
第二節 つくられる職工像(二)─戦中期「産業戦士」─
第四章 時代を超えた「職工」像(二)─戦後〜高度経済成長期─
第一節 高度経済成長と田中熊吉
第二節 「高炉の名医」田中熊吉
第三節 〈田中熊吉〉の終焉
第五章 時代を超えた祟り伝承─職工地帯をさまようお小夜狭吾七─
第一節 伝承のあらましとその舞台
第二節 物語る職工たち(一)─お小夜狭吾七の祟り─
第三節 物語る職工たち(二)─お小夜狭吾七の悲恋─
おわりに─職工たちの来歴が語りかけるもの─
前書きなど
−近代産業化百年の残照—
●鉄の墓標、木の墓標
ここに一枚の写真がある。裏側には1999年3月撮影と表記されている。
この写真の地、かつて「鉄都」と呼ばれた八幡の地は、日本を支えた製鉄という巨大な基幹産業の中心地だった。そしてその中核となっていたのが、地図中央に位置する八幡製鉄所である。鉄冷えという危機を迎えて以後も、製鉄所は依然としてそこに存在し続けている。とはいうものの、あたりの光景はさすがに以前とは大きく様変わりしている。写真が物語るように、その広大な区域は分割され、東側の土地の大部分が更地となっている。
中央右寄りに小さく見えるのは溶鉱炉で、それよりもやや北側の空間は、現在スペースワールドというアミューズメント・スポットへと変貌している。元官営製鉄所という閉ざされた空間の一部がそういうかたちで、ようやく一般に開かれることになったのは今から12年前のことである。オイルショック後の不況の煽りで重要部門の戸畑地区への一極集中が始まると、そのぶん八幡側では工場群の閉鎖が相次ぎ、ただ広大な敷地だけが遊休地として残された。それが現在のスペースワールドなのである。
ところで、この広大なテーマパークの傍らにひっそりとたたずむ近代産業遺産、溶鉱炉<1901>の存在を読者諸賢はご存知だろうか。先ほど「中央右寄りに小さく見える」と記した溶鉱炉がそれで、八幡製鉄所創業時に造られた溶鉱炉第一号であった。
その威容は、戦前、戦中、そして戦後を生き抜いてきた人々にとっては鉄づくりの象徴であり、遠く天を指して屹立する姿はあたかも摩天楼を思わせた。そして黒々と光る巨体に内蔵された精緻なメカニズムは、まさに製鉄業が近代という翼をもって舞い降りたことを示していた。製鉄所の五百本の煙突から噴き上げられる大量の黒煙や、溶鉱炉から炎とともに勢い良くほとばしり出る火竜のごとき鉄の流れは、かつて八幡繁栄の証であった。その意味で溶鉱炉とは、広大な近代工場と工場労働者という雛鳥を育てる巣のようなものだった。しかし時代の流れには掉させず、今はひとりぽつねんと更地の中に墓標のようにたたずんでいる。
本書ではまず第一〜四章で、製鉄所のシンボルともいえる溶鉱炉に寄せられた職工たちの思いや、そのたもとで繰り広げられた彼らの人間模様を、戦前、戦中、戦後といった各時代背景とともに描き出す。
次に、写真中央よりやや西側に目を転ずると、斜めに並ぶいくつかの工場群が認められる。その一隅に、かつて和井田と呼ばれる海岸だった場所がある。そこには昔、ある祟り伝承にまつわる一本の老松が生えていた。職工たちの信仰を集めたこの木はその後、製鉄所の施策に翻弄されて幾度かの流転を余儀なくされる。
はたして時が過ぎ、老松も、また老松にまつわる伝承を知る者も、今ではほとんど残っていない。合理主義が幅を利かせる世の中では、祟り伝承はその効力を発揮しえず、かくして松の木は高度成長とともに忘れ去られた墓標として、製鉄所で働くわずかな者たちの記憶に微かにとどめおかれる程度である。
第五章では、老松とともに心も体も翻弄される職工たちの姿を、製鉄所と地域社会とのかかわりの歴史から描出してみたいと思う。
製鉄業の衰退にともない、多くの職工たちが八幡の地を去っていった。20世紀の繁栄の証であった溶鉱炉は、現在でこそ「近代産業遺産」の名目できれいにリニューアルされたけれども、実は長いこと無用の長物とされ、赤錆まみれの変わりはてた姿を巷間にさらしていたのである。このようなアンビバレンスは、私たちにとって「近代」とは何だったのかを、深く内省させるに充分なモチーフを内包している。
スペースワールドのテーマは、日本初の大規模近代工場である八幡製鉄所が呱々の声をあげた1901年を起点とし、そこで培われた鉄をめぐる近代技術が、いまや宇宙開発というはてしない未来を切り開いているという点にある。だが洞海湾からの浜風に吹かれつつ、そこで私が思ったのは、そんな時間の流れにあえて逆行してみる道であった。それは八幡製鉄所、わけても職工たちにとって象徴的な意味をもつ溶鉱炉、あるいは老松の下で彼らが織り成した歴史的ドラマを、今こそ一般社会に向けて解き放ってみたいとの思いである。すなわち溶鉱炉<1901>が現在にいたるまで見届けてきた近代の風景の描写である。
大量生産という近代産業の課題を背負い、それぞれの時代状況に翻弄されながら、ここ八幡で生きてきた人々。彼らの労働を通した生きざまを跡づけながら、単なる時代の証言者としてでなく、現在の先行き不透明な構造不況の打開を考えるうえでのナビゲーターとして、改めて過去と向き合うことにしたい。
●もうひとつのプロジェクト
近年マスコミでは炭鉱や町工場などを舞台に、近代産業化の軌跡をその裏面からたどり直す趣旨の特集が盛んに組まれている。先日、そうした類のある人気テレビ番組を見ながら、ふと気付いたことがある。これまであまり顧みられることがなかった戦後日本の躍進を象徴する技術神話と、それを陰で支えた人々の地味なサクセス・ストーリーにスポットを当てたこの番組は、高度成長期の若く清冽なエネルギーが日本を戦後の混乱から立ち直らせた姿をまざまざと描き、高い視聴率をはじき出している。それは長びく不況にあえぐ昨今の状況を打開する道程のアナロジーとして制作され、また受け入れられているようである。ことに高度成長という激動の時代を生き抜いてはきたものの、現在はいささか疲弊気味の中高年層の間で好評を博しているようだ。
ところが、そこでクローズ・アップされるのは一握りの「男たち」の群像で、よくよく注意してみると、その多くは大卒の技術者である。彼らの背後で汗と油にまみれ、直接作業に従事した無数の現場労働者たちについてはほとんど触れられていないのである。彼らは“企業戦士”などと持ち上げられ、しかし時には“会社人間”とも揶揄されながら、戦後日本の高度大衆消費社会を支える屋台骨として額に汗した人々であるにも関わらず。番組がスポットを当てる主人公は、テーマによっては小さな町工場の親爺さんの場合もあるとはいえ、その大半は企業の技術者たちである。
番組の主人公たちがつむぐ物語は、技術の高度化や大量生産化といった時代の奔流に身を投じ、失意と落胆を繰り返しながら新技術のメカニズムを考案するまでで、その先がない。技術者たちの背後には、実は、彼らがもたらした技術革新に即応して新たな技能をその身になじませざるを得なくなった現場労働者たちの労苦や、慣れない機械を用いた大量生産の過程で払われた多くの犠牲があったはずだが、これらのことは成功神話の底に沈殿してしまったかのように、本質的に語られることがないのである。そこには作業者たち一人一人の顔、つまり彼らが日々何を考え、どんな作業をし、その途上でいかなる結末を迎えたかという人間としての姿が見えてこない。本来あるはずの一人一人の生のドラマが、奇抜な発想による新技術や新製品の開発などに形象化された“高度成長をもたらした技術大国としての日本の繁栄”という言説に、あたかも絡めとられてしまっているかのようである。
本書で私が描こうとするのは華やかな繁栄の歴史ではなく、その陰に潜む地味だが着実な、しかも葛藤に充ちた近現代における労働者の歩みの歴史なのである。あの番組の口調を借りていうならば、それはもうひとつの「男たちの物語」である。
●ウェーバー近代化論を超えて
ところで、これまでの日本近代化論はウェーバーにならい、主として近代的自我にもとづく労働観の出現と市民社会の形成を論じてきた。しかし、そもそも近代的自我なるものは一体何に由来するのであろうか。少なくとも日本の場合、その根源にあるものがプロテスタンティズムなどではなかったことは、今さら指摘するまでもないことだ。それに対して本書は、時代ごとの労働者たちの生の営みの姿を浮き彫りにしたい。そして、この作業はとりも直さず、これまでの近代化論に “前近代的な価値合理性にもとづく日本近代の構築”という新たな問題を提示していくことになるだろう。
たとえば「日本人は勤勉である」とはよく言われる言葉である。しかし、そこにうかがえる日本人の自己意識、また「時は金なり」という勤労理念や「滅私奉公」などの勤労スタイルは、一体いつ頃から見られるようになったのだろうか。それは日本人の本質に帰せられる問題というよりは、労働者に勤労意欲を植えつけようともくろむ雇用者や国家によって戦略的に用いられた言説であったかもしれない。そうした戦略の実行および受容にはむしろウェーバーのいう近代的自我形成に先立って、より当事者になじみ深い伝統的な思考法が媒介項の役割をはたしていたとは考えられないだろうか。
本書では右のような問題意識も踏まえながら、ウェーバー的な従前の日本近代化論に対する二つの疑義を前提としながら、日本の近代社会像の再構築を試みるものである。
第一に、近代形成に対する客体化されたまなざしという点である。日本の近代化論は、まず西欧の「近代」概念をほとんど無批判に援用し、また「上からの」という言葉を常套句とすることによって、時代の流れを織りなす人々の個々の生きざまを十把一絡げに捉えすぎてきたのではないだろうか。それゆえ本書は、日本近代における主体的な自己像の形成過程に瞠目するものである。つまり筆者のもくろみは、西欧との接触によって図らずも近代を迎えた人々が、いかにそれにとまどい、また葛藤を演じながら近代人と化していったかを、日本の歴史的文脈に沿って復元していくことである。要するに、ザンギリ頭になったからといって、その中身までたちどころに近代人になったなどと断言することはできない、ということである。これまでは技術の近代化という点にとかく比重がおかれがちであったが、本書が問いかけたいのはこころ精神の近代化の方である。
本書が職工と呼ばれた人々に注目するのは、近代産業化という未曾有の労働状況にさらされた人々が、これまで脈々と体得してきた技術・技能を不本意ながらも作り変えなくてはならなかったという事情による。文中でも触れるように、彼らに求められたのは、戦前・戦中は軍需工業、また戦後は高度成長という、それぞれの時代に即応したいずれも大量生産のための技術であった。そのプロセスはこれまでの伝統的な職人観や生活の中に息づく伝承に対する見解に修正を迫ることになり、そこから日本人が近代人としての身体に生まれ変わっていく過程を描写できるのではないだろうか。
舞台となるのは北九州・八幡製鉄所である。周知のようにここは本邦初の近代的大工場が設立された場所である。筆者が製鉄業に注目するのは、それが在来技術をはるかに超克した、むしろまるで異種なる近代技術の移植によるものであったからにほかならない。昔たたら場があったとされる場所を覆い尽くし、天空を指してそびえる巨大な溶鉱炉はまさに近代技術の結晶であり、またそこで働く全ての職工の誇りでもあり得た。溶鉱職は製鉄所の中でも当時の職工にとっては花形の職場であった。
とりわけ本書で取り上げる田中熊吉という人は“神様”と称せられる腕前を持ち、同時にその勤勉な人となりは製鉄所全体で語られるほどの偉大な職工だったという。彼の語られ方の変遷を通して、まずは時代の流れを反映した会社の求める理想的職工観の移り変わり、またそれに倣って無数の労働者たちがいかに職工として形づくられていったかを描き出してみたいと思う。
第二に、功罪半ばする近代化の“罪”の部分に光を当てたいと思う。本書の場合、それは繁栄の陰に潜む無数の悲惨な死者と遺族の悲嘆という現実を投射することである。つまり大量生産・大量消費といった時代動向に即応した大規模な機械化が招く多数の労働災害(ことに“挟まれ”、“巻き込まれ”による大量異常死の出現)という悲劇がどのように受け止められていったかを、個々の当事者の立場から問い直すことであり、そこに伝統的な思考がいかに連動していったかを分析の軸とする作業である。これは言い換えれば、労働災害の発生が解釈されていく際のメカニズムを、いわば「グラウンド・ゼロ」の地平から検証することである。
具体的には労災にまつわる八幡在来の祟り伝承、“お小夜狭吾七伝承”の行方を取り上げることになる。それは狭吾七が縛りつけられ最期をとげたとされる松の木の祟りであり、その行方が問題の焦点である。結論を先取りしていうならば、伝承の中心テーマが前近代的な祟り神から近代産業を擁護する安全の神、ひいては恋の神へと、時代の流れの中でスライドしていく様相が跡づけられていくことになるだろう。そして、そこから析出される企業による合理化と安全管理の進行と軌を一にしたこのいわゆる“神殺し”とも言うべきプロセスは、職工たちに今度はいかなる身体化を要請していくのであろうか。
総じて本書は、前近代的な伝承を土台としながら、時代的な脈絡に沿って構築されてきた日本の近代化の独自性を、技術・技能の身体化、理想的職工像の変遷、そして労災観念の変遷、という三つの柱から論じようとするものだ。そしてこれらはまさに合理性に裏付けられた日本的な労働観念の礎となったのである。
それでは、冒頭に取り上げた番組の口調で一言付け加えてから、この職工たちをめぐるプロジェクトを語り始めることにしよう。
「これはそんな激動の時代を生き抜いた名も無き男たちの、もうひとつの物語である」、と。