紹介
日本人と結増するというと、父が強硬に反対した。「韓国人のお前が日本人と結婚するのは、余計な税金を一生払い続けねばならないことを意味する。娘が多額の税金のために苦しむのは、見るに耐えない」▲父は「朝鮮詩集」「朝鮮童謡選」などで知られた詩人・金素雲さんだ。十二歳のとき日本に渡り、人生の大部分を日本で過ごした。その父でさえ「日本人と韓国人との隔たりを少しでも縮めようと生涯をかけたが、考えてみると、ざるで水をくむようなこと」などという▲両親に限らず、まわりはほとんど反対だった。それでも金纓さんは結婚に踏みきる。相手はソウルの延世大学で知りあった日本人留学生、沢正彦さんだ。東大法学部を出て東京神学大学大学院に学び、韓国人牧師の説教を聞いて韓国に留学した変わり種である▲金さんが日本の土を結んだのは一九七〇年の冬だった。ハングル世代で「こんにちは」もいえない。教会で行われた結婚式もチンプンカンプン。猛勉強がはじまった。買い物に行けば、いちいち名前を聞く。「これは何ですか」「それはサンマ」「サーンマ」「そう」▲翌年、知恵ちゃんが生まれた。その年の外国人弁論大会で、金さんはいまに知恵にこう語るつもりだと述べた。「皆が”あいのこ”といっても、それは”愛の子”なんだよ。お父さんもお母さんも日本と韓国が仲良くなるよう努力しようと思っているの。だからあいのこに誇りをもって生きるのよ」▲父も許してくれた。「父が生涯をささげた”玄界激のかけ橋”のまだ足りない部分に、小さいエネルギーを注いでいきたいと願っております」と金さん(「チマ・チョゴリの日本人」)。日韓国交正常化が実現して今月で二十年になる。 (毎日新聞「余録」1985.6.8)
目次
タンポポの章
はじめに/カルチャー・ショック/正義は勝つ/日本人との出会い/反日教育/隣 り人/反日本人論
さくらの章
初めての日本/結 婚/川 崎/日本語で話したい/国際結婿/知恵の知恵/日本 の中の韓国文化
コスモスの章
故郷・韓国へ/「われらは正義派だ」/「余計な税金」/美しきアメリカ/祖国を
追われる
むくげの章
主婦学生/父・金素雲/チマ・チョゴリの日本人/和服か、チマ・チョゴリか/教 育ママ/玄海灘の架け橋
前書きなど
『チマ・チョゴリの日本人』は、日本人牧師と結婚して十五年になる韓国女性・金纓さん(37)の半生記。表題には、法の上では帰化して日本人になっても、実際の生き方ではあくまで韓国人であり続けたい、という金さんの願いが込められている。「私たち、解放後の韓国に成長した世代は、国への誇りを持っています。その誇りと結びついた韓国の戦後世代の明るさを、この本から感じ取っていただけれは幸いです」金さんたちの世代は戦後の反日教育の中で成長し、実態を和らぬまま日本に敵意を感じていた。それで、日本の朝鮮植民地化の罪責感から、日韓の真の和解の道を求めてソウルの大学の神学郡に留学していた現在の夫から、突然に求婚された時も、喜びよりも悔しさが先立った−と自分たちの結婚の経緯から書き起こし、「ユンニチハ」も知らずに来た日本での日本語習得の苦労、韓国に比べあまりに貧しい日本のキリスト教会の現実を知った時のショック、宣教師として再び韓国に赴任した夫が、共産主義者と目されたクリスチャンをかばったのがもとで一家ともども韓国を追われることになった悲しみ、などが率直につづられている。二人の中学生の母親としての教育論、女性の自立論、と読むこともできるが、どのような場合にも自分の心にまっ正直に語ろうとする姿勢が印象的だ。「苦労は多かったにしろ、日本での生活は私の人生を豊かにしてくれました。二つの民族が批判しあうにしても、そこに愛とユーモアのゆとりがあれは、必ず心は通じ合うと信じています」金さんの亡父は、韓国きっての知日派文学者・金素雲氏。金氏は日韓両国それぞれの正しい姿をその双方へ伝える仕事に生涯をかけた。「父が日本で感じていたことが最近よく分かるようになりました。“親日派”と誤解されて韓国人に殺された父方の祖父とあわせ、日韓のわだかまりの中に生きた三代の家系の歴史を、いつか書いてみたいと思っています」夫の教会で副牧師をつとめるかたわら、国立国語研究所で日本語を学ぶ努力家である。
( 朝日新聞「著者と一時間」1985.6.17)