目次
はしがき
第1部 ASEANの「成功物語」——ASEANは何を達成したか? そして、なぜ成功したか
第1章 「ASEAN Way」再考
はじめに
1.「ASEAN Way」とは何か
2.「ASEAN Way」の実態
3.「ASEAN Way」の功利的側面
4.「ASEAN Way」の再評価
むすび
第2章 中国とASEAN──対立からパートナーへ
はじめに──対立からパートナーへ
1.多国間主義と「平和的台頭」
2.なぜ中国はこのような行動をとったのか
3.相互依存下における学習と計算
むすび
第3章 ASEANの経済協力──域内・域外経済関係
はじめに
1.AFTA以前の域内協力
2.AFTA以降の域内経済協力
3.成長地域構想
4.域外との経済協力
むすび──日本とASEAN
第2部 新たな挑戦——新たなイシュー・新たなアクター
第4章 「大メコン圏」の形成と地域秩序──ASEANは東南アジアを統合できるか
はじめに
1.GMS計画の背景
2.GMS計画の成立と展開
3.GMS計画とASEAN
4.大メコン圏における中国
むすび
第5章 国際NGOの台頭──インドネシア民主化に果たした選挙監視NGOのネットワーク
はじめに
1.民主化を支援した国際社会
2.インドネシア民主化に動いた隣国の選挙監視NGOネットワーク
3.自国の民主化を支えたKIPP(独立選挙監視委員会)の役割
むすび
第6章 非伝統的安全保障──海賊問題とイスラム・テロを中心に
はじめに
1.非伝統的安全保障問題とASEAN──海賊
2.非伝統的安全保障問題とASEAN──イスラム・テロ
むすび
第7章 開発体制の限界──マハティール政権の評価を通して
はじめに
1.東南アジア諸国における体制移行
2.マハティール政権下の開発体制
3.多民族国家における政治システムと民主化
むすび
第3部 新地域秩序へのシナリオ——再活性化への前提条件を探る
第8章 「東アジア共同体」構想──背景と展望
はじめに
1.「アジア太平洋」と「東アジア」──経済と安全保障
2.「東アジア共同体論」の背景
3.「東アジア協力」の現状
むすび──東アジア協力の展望と課題
第9章 開発・民主化・安全保障の相互連関──「国づくり」に向けた国際支援の枠組みと日本の役割
はじめに
1.開発・民主化・安全保障の相互連関
2.ASEANにおける開発・民主化・安全保障と援助
3.「国づくり」に向けた国際社会の関与──カンボジアと東ティモールの事例
むすび──日本のODAの課題
第10章 ARF広域安全保障協力──ASEAN Wayの可能性
はじめに──冷戦後東南アジアの米中ロとASEAN
1.ARFの規範的・組織的基礎
2.「コンセプト・ペーパー」──ARFプロセスの基礎
3.ARFの戦略的基礎──ASEANのARF戦略
4.ARF活性化
むすび──〈way politics〉による〈相互扶助的安全保障共同体〉の創生
第4部 「ASEAN Way」の再構築を求めて
終 章 「ASEAN共同体」へ──幻滅と期待のはざま
はじめに
1.「ASEAN共同体」への助走
2.「ASEAN共同体」の青写真
3.「ASEAN共同体」の評価
むすび
関連地域略地図
索 引
前書きなど
はしがき
1989年の「ベルリンの壁崩壊」が戦後国際関係における最大の転機とみなされるとすれば、1997年にタイの通貨危機を端緒としてアジア諸国を席巻したアジア危機は、ASEAN(Association of Southeast Asian Nations:東南アジア諸国連合)結成以来の最大の転機であった。奇しくもそれは、ASEAN結成から30年後のことであった。30周年は、人生においては而立(じりつ)、すなわち自らの運命を自ら切り開く自助が可能になる年回りであるが、地域協力機構としてのASEANは、而立に先立つ「成功物語」から一転して破局的な危機に陥り、国際社会の眼も賞賛から幻滅へと文字通り逆転したのである。
それからほぼ7年、ASEAN諸国はおおむね回復軌道に乗ったものの、間もなく迎える40周年は、「四十不惑」とはほど遠い状況の中で迎えることになりそうである。まず第一は、軍事政権下の民主化抑圧で国際的に悪名高いミャンマーに関する問題である。確かに、2005年7月の第38回外相会談に際してミャンマー外相が、来年めぐってくるASEAN議長の座を辞退すると表明したことで、欧米諸国などによるASEANボイコットという最悪の事態は当面回避された。しかし——オン・ケンヨン事務総長が指摘したように——ミャンマーが議長国になればかえって国際世論に直面する必要から、民主化圧力に敏感にならざるを得ないが、議長国を辞退すれば、次の1、2年は国際世論のレーダーに映りにくくなり、民主化過程が停滞する結果となりかねない(SIIA online, 2005/7/11)。ミャンマーのASEAN議長国辞退という決定は、ASEANにとって真の救済であったというより、真の試練を先延ばししただけといえなくもない。
同様に、2004年12月に設定された「東アジア首脳会議」の展望も予断を許さない。すでに京都準備会議において本来の「ASEAN+3(日中韓)」に大洋州のオーストラリア、ニュージーランド、およびインドを加えた16カ国の参加で合意を見たとされるが、依然として域外大国米国の処遇をめぐって論議が続いているからである。ASEAN域内には米国招請派(たとえばインドネシア)と米国忌避派(主催国マレーシア)とが拮抗しており、こちらも容易には落としどころを見出せそうにない。というのは、主催国マ