目次
序
第一部 序論 国語と近代日本と
第二部 日本の言語政策と植民地
第一章 日本に植民地言語政策があったか
第二章 「外地」における日本語教育
第一節 台湾
1 発端
2 台湾における日本語教育の歴史的展開
3 伊沢修二の政策構想と理念
4 台湾人と日本語
第二節 満洲国
1 満洲国の「国語」
2 新学制とその背景
3 満洲国の統制方策
4 社会教育と語学検定
5 満洲カナと「協和語」
6 日本語普及の裏
7 関東州の日本語
第三節 大陸占領地
1 日中戦争以前の日本語
2 興亜院の日本語普及政策
3 興亜院の日本語教員派遣と日本語教育振興会
4 日本語普及の実態
第三章 淪陥下北京の言語的憂鬱
第一節 北京淪陥後
第二節 秦純乗と国府種武
第三節 教授法に纏わる葛藤
第四節 山口喜一郎の鬱憤
第五節 政治性・文化性と技術性
第三部 近代日本の言語思想 ——日本語論にみる言語イデオロギー
第一章 言霊と近代日本語
第二章 宗主語と隷属語
第三章 日本語とはどういう言語なのか
第四章 輸出用日本語
第五章 文化語と生活語
第六章 他言語とのあいだ
第七章 日本の言語政策の特質
第一節 宗主語イデオロギー
第二節 国家的、軍事的支配との癒着
第三節 言語政策の多元性
第四節 日本語学校
第四部 日本語文法と帝国意識 ——多文化、多言語社会に向けて
第一章 植民地教育と日本語文法の成立
第一節 「文法」概念の変革と時枝文法論の流れ
第二節 時枝言語理論の特色
第三節 ソシュール理論に抗して
第四節 時枝言語学における植民地の意味
第五節 言語価値論
第六節 言語の伝達
第七節 国語から日本語へ
第二章 帝国意識と日本語
第一節 近代的所産としての日本語
第二節 共同体意識と「日本文明」
第三節 「外地」における日本語教育の意味
第四節 膨張の論理と「日本文化」
第五節 日本語の復権
終わりに 多文化、多言語社会に向けて——結論に代えて
跋
参考文献
付録 「言語の権利に関する世界宣言」
索引
事項索引
人名索引
文献索引
前書きなど
序 「日本の植民地言語政策研究」というテーマに取り掛かってから、光陰矢のごとしで、はやくも二〇年近く経とうとしている。その時と今と比べれば、世の中が大きく変動したことは言うまでもないことであろう。当時の日本についていえば、八〇年代後半の異常な「好景気」(いわゆるバブル)に伴う「日本の国際化」、次いで「日本語の国際化」などがさかんに議論されるようになり、さらに「国際文化」という奇妙な漢字語が流行り始め、このことばを冠した大学の学部と学科も雨後の筍のように現われ、現在では、優に百を超えているのである。一方、世界第二位の経済大国となった日本は、その経済力をバックに、東南アジアおよび中国などへ経済・技術・資本と人的移転と、言語・文化面での進出が一段と活発になってきた。国内労働力の不足に伴う外国人労働者と留学生など日本に入国した人数も鰻上りの一途であった。 しかし、国際化とは何か? グローバリゼーションとは何を意味するのか? という問題をめぐって、現在の世界におけるもろもろの状況も含めて、歴史を振り返り、虐げられた民族とその言語、文化、さらに周縁文化、少数文化の立場にたって考え直すことは、きわめて重要なことであるにもかかわらず、当時の日本においては、これを顧みることはきわめて稀であったような気がする。「国際語としての日本語」などの議論が行われたときにも、誰一人かつての植民地時代の日本語普及政策とその歴史的な事実に触れようとしないのである。これが私のこの課題に取り組んだときの状況の一端であった。 それだけにこの研究を始めたときに、先行研究成果の蓄積が非常に少ないことと、史料の収集、実地調査など、確かに困難も大きかったが、一九九〇年の春に、「日本の対中言語政策研究序説」というタイトルで修士論文を完成して、一橋大学社会学研究科に提出することができた。続いて一九九三年一月に『植民地支配と日本語』(三元社)を上梓して、博士課程単位修得論文として同研究科に同書を提出して受理された。その後、この分野の研究は、実証研究の面でも理論的探求の面でも、大きく発展してきたということができる。私自身も引き続き研究を深めていき、二〇〇三年九月に、国際基督教大学大学院比較文化研究科に学位請求論文を提出し、同大学院から博士(学術)号が授与された。この著作は、「成蹊大学学術研究成果出版助成」を受け、私の学位論文をもとに新たな修正を加えて公刊するものである。 本書は四部から構成している。 第一部「国語と近代日本と」では、近代日本における「国語」概念の成立という問題を提起し、植民地における日本語教育と「国語」概念との関連、さらに植民地が日本の言語学と言語観念に与えた影響を踏まえて「宗主語」と「隷属語」という、二つの新しい社会言語学的概念を提唱する。 第二部「日本の言語政策と植民地」では、実証的な研究を通して、日本はいわゆる「外地」における言語政策の復元を目指す。第一章では、まず「日本に植民地言語政策があったか」という疑念に対して、学校教育をはじめ、社会生活の各分野においてさまざまな言語面での統制が行なわれ、計画的に日本語の普及が図られた歴史的な事実を指摘した。第二章では、台湾、満洲国、大陸占領地など、各地における日本語普及政策の具体的な展開を追っている。「台湾」の部分では、近代日本の植民地言語政策の発端に位置するその施策の背景、日本語教育の展開、とくに日本の近代植民地教育の開拓者である伊沢修二をめぐり、その政策構想と理念に光を当て、また台湾における日本語普及の実態とその理念の後への影響について追跡した。「満洲国」の節では、満洲国の性格上の問題もあるが、文化的、伝統的、さらに民族、宗教などの面で複雑な問題を抱えていたなかで、日本語を日本精神の拠り所とし、さらに日本人のアイデンティティの象徴にまでなる経緯を、その実際の施策過程において究明しようとした。「大陸占領地」の部分では、植民地でも外地でもない特殊な性格の大陸諸地域において、地域ごとに異なる様相を調べ、浮き彫りにした。第三章「淪陥下北京の言語的憂鬱」では、『華北日本語』言説を中心に、政治的葛藤と同時に、技術的にも、教授法の面でも、実際の担当者レベルにおいてさまざまな論争が起こったことを分析した。 第三部「近代日本の言語思想——日本語論にみる言語イデオロギー」では、第一章「言霊と近代日本語」で、そもそも素朴な信仰であった「言霊」が戦中時、どうして「神」同然の日本語論理の根拠となったかというプロセスを探っている。近代に日本の言語イデオロギーを、言語思想史的に、戦時中の日本語論を中心に追跡していく。また、その時代の当事者の心情を理解した上で分析を試みた。次の「輸出用日本語」、「文化語と生活語」、「他言語とのあいだ」などの章は、日本語の普及という時勢の要請のもとで、日本語論のさまざまな側面を取り上げ分析をした。そのうえで、日本の言語政策に顕著に現われたいくつかの特色を、宗主語イデオロギー、国家的・軍事的支配との癒着、言語政策の多元性、日本語学校、とまとめている。 第四部「日本語文法と帝国意識——多文化、多言語社会に向けて」第一章では、日本の植民地言語政策と言語認識が、近代日本の学問に、どのように影響を及ぼしてきたのかということを、主に時枝の文法理論に光を当てて分析を試みる。日本の文法理論の中でも異色な存在であった時枝の言語理論の成り立つゆえんは、植民地の現場において教育に携わっていたその「場面」が、大きく作用していたのではないかと指摘する。近代日本の植民地支配のもたらしたもの、日本の学問形態に対する内的影響という視点から問題提起であった。第二章「帝国意識と日本語」では、思想史と近代文化史の視点を踏まえながら、日本の植民地言語政策および近代言語理論、言語認識の性格を考察した。 戦前から戦中に、そして戦後にかけて「日本語」に関わる事態が大きく異なってきた。第二次大戦の終結からすでに半世紀以上経っており、今年はその六〇周年を迎える。今、再び世界へと進出しはじめた日本語をめぐり、また、ポストコロニアリズムの現在における日本の言語学的状況を考えるとき、超国家主義的な発想、言語イデオロギーへの固執は、やはり国家間、民族間に諸価値を分かち合いながら、文化的に自決し、かつ開かれた社会を作る道を塞いでいるといわざるを得ない。この場合、「宗主語」と「隷属語」という植民地時代の構図がなんらかの形でまだ尾をひいている。文明の衝突と叫ばれ、グローバリゼーションの波が寄せてくる現在、世界の一極化への疾走は、もはや歯止めが利かなくなるようにも見える地球の温暖化と環境破壊とともに、心ある人々の憂慮するところである。「多文化、多言語社会に向けて」というのが、まさにこの時代の切実な要請であろう。過去の歴史を正視し、どのような問題がいまだに残されており、いかにしてその超克を図るべきかについて、これからも問い続けたいものである。二〇〇五年三月一六日 吉祥寺にて 石 剛 識